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”役に立つ本”ばっかり読むな

佐藤優『この不寛容の時代に』を読んでいます。

ヒトラーとレーニンの読書の仕方について、こんな話が出てきました。

両者とも、知識なんて革命に役立つ形で使っていけばいいだけだ、と思っているわけです。知識のための知識はいらない、革命のために有機的に使えるものだけが必要なんだ、と確信しています。
(中略)
でも、共産主義やナチズムや革命と関係なくても、一般向きの読書法指南でも似たことを書いているものはあるよね。正確に知識を増やしていったり、体系的に深めていったりする必要はなく、自分の生活に役立つような読書をしましょう、というような読書法は、ヒトラー型であり、レーニン型なんです。知識には知識の内在的な論理があるから、都合のいいように解釈し、実人生へ引っ張ってくるという読み方はテキストの暴力的な破壊になるし、テキストが持つ歪みが自分自身に跳ね返ってくることもある。いろんな意味で危険です。 (p.114~115)

知識を単なる道具と見なし、「自分に役立つ」部分だけを都合よく解釈し、実人生に引っ張る読書法は危険であると、佐藤さんは仰っています。

速読のハウツー本なんかだと、たまにこういう読書法が出てきますね。
私個人としては、こういった読み方は”知”に対するリスペクトが欠けているように感じられるため、あまり好きにはなれません。

知識を理解すること、学ぶことをすっ飛ばして、「自分の人生に役に立つか否か」という物差しだけを持って本に接することは、本好きの私からするとあまり受け入れられるものではありません。

同様に、「役に立つか否か」だけを基準に本を選ぶことも、よろしくないなぁと思っています。

・・・とは言うものの、私もこれまでは「役に立つことこそ正義」だと考えていた時期があります。
「営業成績をあげたい」、「(漠然と)成功したい」と思って、ビジネス本や自己啓発本を読み漁っていた時期がありました。

しかしある日、自分の本棚を見て思いました。

「なんか自分、薄っぺらいなぁ」

当時の私の本棚には、ビジネス本や自己啓発本(のあまり品のないタイトル)ばかり並んでおり、教養のきの字もありませんでした。
あと、もし人に自分の本棚を見られたら、恥ずかしいとも思いました。

その頃から、「役に立たなさそう」と思う本を優先的に買うようにしています。本屋さんに行くと、ビジネス本のコーナーも見ますが(根っこではまだ好きなので)、購入することはほとんどありません。

特に、新書を読むことが増えました(中公新書が好きです)。
昨日は、伊藤章治『ジャガイモの世界史』という本を書いました。
ジャガイモの歴史について知ることが、人事コンサルの会社で働く私にどんな役に立つっていうんですか?
まだ少ししか読んでいませんが、最高に役に立たなさそうで、最高に面白いです。

役に立つかはわからない。たぶん、役に立たない。
それでも、「読みたい」「知りたい」という思いが湧いてくるような本を、積極的に選ぶべきだと、今は思っています。


「役に立たなさそう」な本はすなわち、短期で利益や利便性があるわけではないが、”教養”が身に付く本であると最近は考えています。

あの頃に比べて教養がついたかどうかはわかりませんが、本を読み、学ぶことそのものを楽しめるようになったと感じています。

その人の本棚を見れば、その人の人となりがわかると言います。
私の本棚には「役に立たない」本が増えましたが、あの頃よりは少しはマシな人間になれたのでしょうか。

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