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辛抱する、考えさせることで自律を促す

指導者と学生のあるべき関係性

大学生の運動部を指導していると、「学生の自律」がいかにテーマであるかと常に考えさせられます。

「学生の自律」と言っているのは、学生自身が自分で目標を持ち、自分でアプローチを考え、自分の力を信じてやり抜き、自分で結果を評価し、自分で次の目標を立て、そこに向けて自分で改善をするといったサイクルです。このサイクルにおいて、自分で考える補助として、指導者である監督やコーチをいかに使うかという関係性が構築されるとベストです。

なぜこれが大事かというと、常に指導者が現場にいて客観的に手取り足取り教えられるわけではないため自分で考えた方が効率的という練習効率の観点と、部活動を円滑に回すための学生の自己肯定感・自己主体性育成の観点です。

練習効率

練習効率の観点についての前提として、運動部の指導者(監督・コーチなど)はOBで構成されるケースも多く、この場合、そのOBは一般社会人として企業で働いているといったことが通例です。そうなると、当然平日の昼間の練習を横で見るということはできず、せいぜい平日は夜のミーティングに参加したり連絡を取り合う程度、実際に見れるのは週末の時間のどこかで時間が作れれば、、という感じです。つまり、学生は練習時間の大部分の時間を、安全配慮行動も含めて学生だけで過ごすことになります。

この現状において、学生が指導者の「指示待ち」スタンスで取り組んでいると成長スピードは早くなりえません。前述の通り、指導者が現場で見れるのはせいぜい週に1回程度。もし「指示待ち」スタンスの場合、この機会でもらった指示をもとに、次の1週間練習する、、といったことになるでしょう。しかし、このやり方には以下のような問題があります。

・ある1点の練習しか観察されていないこと。
・ゆえに、その日の選手のパフォーマンスの良し悪しに関わらず、それで評価されてしまう。その日のパフォーマンスはたまたまかもしれない。
・それにも関わらず、見たものを全てとして、ここで適切でない指示が与えられた場合でも、次の1週間を過ごした後ではないと評価されないこと。

大学生生活において、1回1回の練習機会は貴重です。
大学1年生が4年生のタイミングでインカレなどで活躍をしようと思うと、実質の練習期間は約3年。つまり約52週間 × 3年 = 約156週間になります。平均で週に10回程度の練習機会があるとすると、1560回。この1回1回をいかに有効活用できるかが試合の成果を左右し、そして人生を左右します。
1回1回の有効活用を突き詰める必要があるという中で、その質や練習の方向性を1週間ごと(=10回ごと)定めていたのでは、少々勿体無い。もう少し短いスパンで評価して、PDCAを素早く行っていくに越したことはありません。

これを実現するために「学生の自律」が必要です。
仮に指導者がその場にいなくても、自分で自分を客観視し、次に何をすればいいか自分で考え、試し、次に繋げるという試みを毎日やるのです。普段の練習がビデオなどで撮影されていれば、これは十分にできます。
指導者に対して「言われた通りこうやってみたんですけど、うまくいかなかったんです、次に何をすればいいですか?」というコミュニケーションをしてしまうメンタルモデルから、「自分でここが課題だと思っているので、これを試してみたんです、でもうまくいかないところもあって、ここの部分ってこうやろうと思ってるんですけど、他にアイデアなどありますか?」というようなコミュニケーションができるように育っているのが良い状態と言えます。
つまり、学生は、スタッフをうまく使い、いかに「自分が」強くなるかという1点に意志を持つべきということです。指導者は学生がこのように考えられるように、日頃の方向づけをしてあげることが大事。

これにあたっては、指導者としては「我慢」、「辛抱」がキーワードだと思っています。指導者は経験豊富なほど、学生がぶつかる壁に対して、様々な解決方法の「模範解答」を持っています。
必ずしもそれがその学生に当てはまるかはわかりませんが、少なくとも過去のパターンをいくつかもっているので、困っている学生がいた時に「こうしてみようか」と言ってしまいがちです。学生に対して優しく、そして熱のある指導者ほどこうなりがちに思います。そこを辛抱して、指導者はあくまでヒントを与える程度にとどめ、「自分で考えろ」の方向に持っていくことこそが大事なのです。その際に、突き放すということではなく、「自分で考える際の考え方」を指導するということが重要です。

学生の自己肯定感・自己主体性育成

指導者が「模範解答」を提示し、学生がそれに沿ってやるということは、学生の「自分で考えて解決策を見出す」という問題解決能力を削いでしまい、自律が促されないだけでなく、「やらされている」感にもつながります。
特に後者は問題です。指示によってうまくいっているうちはいいですが、うまくいかない場合に学生が「言われた通りにやっているのに、うまくいかない、いろんな練習ばっかりやらされてつらい」という方向に思考が向くことが多いです。
それが続くと、「次もうまくいかないんだろうな」という思考になり、最終的には「やっぱ俺はダメなんだ」となります。特に指導者が経験豊富だと、学生からは大きく見られるため、「指導者は正しいのに、自分はそれについていけないんだ」という思考になりがちで、学生の自己肯定感を下げます。

私自身、部活動とは学生の意志で行うものであり、指導者とはその想いに応えるために支援をするというスタンスでいますが、指導者が熱を入れすぎるあまり、学生からすると「やらされている感」まで発展してしまうということです。「やらされている感」を感じた際、そこで嫌になる人もいれば、指導者のやり方に応えて褒められることに快感を覚える人もいます。
これらは自律とは真逆の方向であり、学生もいつの間にか当初の想いは忘れてしまっています。特に指導者に褒められることが練習の目的になってしまう場合は、運動をする目的すら誤ってしまっている最悪のケースと言えるでしょう。

また、学生が部活動をするにあたっては、練習以外の面にも意識を向ける必要があります。例えば適切な栄養を確保するための食事面の管理や、睡眠時間の確保といった生活面の管理、資金調達のためのOBへの働きかけや学校への働きかけ、新入部員獲得のための活動などです。
「指示待ち」が染み付いてしまう場合、このような事柄についても指示をしてあげないとうまく動けないということになってしまいます。指導者もそこまで時間が使えないだけでなく、日頃の生活の管理をするにあたる各家庭環境の前提把握は容易ではないですし、新歓活動をするにあたっての昨今の学生の状況などの把握も難しいでしょう。ここでも「学生が自律」して自分で主体的に考えて成果を目指すことが重要です。
練習面において、指導者が辛抱をし、自分で考えさせる力を日頃から身につけさせることは、自己主体性を育み、こういったシチュエーションにおいても発揮します。

例えば新人獲得活動において、従来は大学の門をくぐってくる学生たちに声をかけて勧誘をするというのが通例だったのに、「最近の学生はtwitterアカウントを持っているから、twitterで春から入学してくる人に先に声をかけていこう」というような取り組みは指導者だけではなかなか発想できません。あくまで学生が主体的に考えて出てきたアイデアです。

最後に

学生が学生なりに考えてくるアウトプットは、指導者からすると至らないものが出てくる場合も多いです。ですがそれを軽んじてはいけません。考える力を身につけさせることで、指導者が思いもよらなかったような発想をする場合もあり、その方法で何か成果が出たときこそ、学生自身に「自分でできた」という感覚を芽生えさせ、もっと自分でやってみよう、、という形になるでしょう。

このサイクルがうまく回ると、究極的には指導者が何もしなくても学生たちが自分で部活動を回しているという状況が理想です。(安全面などの責任を指導者が負うのは言うまでもない)
指導者は指導者としてチームの成果をあげるという責任がありますが、それに焦って何かを教え込もうとすればするほどドツボにはまります。指導者側も大変になります。「なんでそんなことも考えられないんだ」という学生がたくさん生まれてしまいます。これは誰も望んでいない結果です。

すぐに成果は出ないかもしれないですが、辛抱して、時間をかけて若者の成長を見守っていくくらいの気持ちでやっていくのが適当なさじ加減と言えるでしょう。


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