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花のように生きられたら、きっとすばらしいこと

花のように生きられたら、きっとすばらしいこと
管の中で生きる子供たちに 飴をやろう

花のように/the cabs

「自分事」と「他人事」の境目は、どこにあるんだろうか。

何となく責任の所在をどこに置くかで変わってきそうだけれど、どうにも自分は他人事にしてしまうことが多い気がする。自分事にするって、思ったよりも覚悟が要るものだから。

ただ、実際のところ、自分事にしすぎても苦しくなってしまったり、かと言って、ぜんぶを他人事にできるほど、誰もが図太く生きていられるわけではない。

それに「他人事」は「ひとごと」と読むことが多くて、巡り巡って、どっちにしろすべての物事は「人事」で、「自分事」になるのかもしれないし。

それはそれで、解せない気もするけれど。

the cabsが活動休止を発表してから、もう10年以上経つ。

中性的な歌声で淡々と唄いあげるベースボーカルの首藤義勝(敬称略)と、対照的に、激情を込めたシャウトを曲に落としながら、退廃的な美しさを帯びるアルペジオを奏でる高橋國光。

そして、世にも奇妙な変拍子に合わせて、常軌を逸するほど手数の多いドラムを叩く中村一太による、異色のスリーピースバンド。

あらためて、今の時代に曲を聴いていても唯一無二だと思える世界観で、ディストピアを彷彿とさせながらも、抗おうとする人々の心を置き去りにしていない確固たる楔が曲には打ちこまれている。

どこか他人事に思える歌詞の連なりに、そこはかとない意思が宿っているように感じるのが、the cabsが今もなお、復活を望む声が絶えない理由なのかもしれない。

〈花のように生きられたら/きっとすばらしいこと〉という歌詞は、皮肉めいていながら、諦めを感じさせる言葉なような気もして、瀬戸際の戸惑いが現れているようだった。

どんな状況だとしても、彼らが自分で納得する音楽を鳴らしていてほしいと願っている。


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