メタルマクベスdisc1をみました(ウサギノヴィッチ)
三週間くらいかけて「メタルマクベス disc1」を見ました。
記憶が曖昧なところがあるけど、全体を通しても面白い作品だと思います。ただ、脚本がクドカン作品にもかかわらず、クドカンっぽさがないのは新感線と相性が良くないのかな。クドカンのニッチな笑いと新感線の王道的な笑いだと、「違うよなぁ〜」とため息を漏らしてしまうばかりです。
クドカン作品といえば、現在放送中の「いだてん」も「なんか違うなぁ〜」という気持ちで見ています。大人しい、上の人から粛々と脚本を書かされているようなイメージがします。ただ、扱っている時代が時代で、関東大震災と第二次大戦があるので幾分真面目に書かざるを得ない部分があることは理解できます。主役のバトンが、阿部サダヲになって少しドラマのテンポと色が変わったかなとは思いますが、自分が知っているクドカン作品、「IWGP」や「木更津キャッツアイ」みたいなはっちゃけた感じにはならないので、なんかもどかしい。それとも自分が懐古厨なのか、子供なのか、どっちもなのか……。
メタルマクベスの話に戻すと、一番印象に残ったのはランダムスター役の濱田めぐみさんでした。妖艶でいて、歌がうまくて、舞台に出ていると自然と目がそちらに行きました(ただ、カメラはそちらに行きませんが)もともと、この話はタイトルに『マクベス』とついているから、『マクベス』が下敷きかと思いきや、そうでもなく、そこは脚色がたくさんされていて、見ているうちに、『マクベス』って「こんなんだったっけ?」ってなりました。でも、踏襲されているマクベス夫人がマクベスにけしかけるところとか、「あー、あったなぁ」と思いました。でも、濱田めぐみさんみたいな人にけしかけられた従うかもと、なぜかM的な気持ちで感情移入してました。
これから九月ぐらいにかけてWOWOWでdisc2とdisc3を放送するのですが、同じ役をやるのが、大原櫻子と長澤まさみなんですが、制作発表のときは、「長澤まさみが見たい!」と思ったんですが、もう今の時点で満足です。
次になにを期待して見ればいいのかわかりません。
ここからは、メタルマクベスから少し話がズレるですが、「有名な古典を下敷きにして物語を書く」ことについて書きたいと思います。
基本的に、元ネタで大々的宣伝したり、最初からネタバラシをしたりするかどうかにもよるのですが、それによって物語の形式はある種のアンチクライマックスになると思われます。読者は筋とオチを知っているわけだから、その分読者の物語を読むハードルは高くなるわけです。いかにオリジナルからズラすことができるのか、それとも「メタルマクベス」みたいに脚色に脚色を重ねて、オリジナルの色を薄くするか、そういう努力を作者は求められるわけです。さらに、下敷きにする物語が有名ならば有名なほど、筋とオチを知っている読者の母数は多くなります。
そのリスクを背負ってでも、古典を下敷きに物語を書くことをする勇気があるならば、さらに努力しないいけない点があります。
それは「オマージュ」という言葉の重みです。
ある文芸評論家が言っていました。
「――オマージュは全集を全部読んでから書くものだ――」
それくらい、もし下敷きにする作家をリスペクトしているなら、そこまで読み込む必要があるということです。小説からは離れますが、演劇の野田秀樹はおそらく「贋作 桜の森の満開の下」を書くにあたってそれぐらいはしたと思われます。
小説を普通に書くことでさえ時間が掛るのに、先人の作品を借りて作品を書く場合はさらに時間が掛んですよね。
ぼくは過去にこの方法をとったことがありますが、オマージュまではいけてませんでした。
あしからず。
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