Pさんの目がテン! Vol.80 そも文化人類学とは? レヴィ=ストロース『野生の思考』 2(Pさん)

 というわけで、前回、取り上げるといって結局取り上げられずに紹介とイントロだけで終わってしまった、クロード・レヴィ=ストロースの、『野生の思考』について、内容に入っていきたいと思う。
 とはいえ、何年か前に、この本に挑戦した時は、真中までも行っていない、四章の「トーテムとカースト」で止まってしまっていて、今回、改めてそこから読み進めようと思って読んでみたが、流れがつかめなくなったから、また最初の第一章に戻って読み進めている、というていたらくなので、この本が全体としてどうなっているのか、現時点ではぜんぜんわかっていない。そして、これがやっかいだが、そんなら途中だけ切り取って順繰りに紹介していけばいいじゃんと思うかもしれないが、そうすると、固まりかけていたゼリーがまたかき回されて液状に戻ってしまうといったような、つかもうとする瞬間にかき消えてしまうような理解のしづらさがある。これは、単に僕の頭が悪いからなのかもしれない。わかる人にはすぐわかるのかもしれない。
 しかし、わかる人にわかっても仕方なく、あくまで自分が理解しなければいけない。

 文化人類学というのは、文字通りにいえば人類が作り出した文化というものを考察する学なのだろう。それで、どこに焦点を絞るのかというと、もっぱら、アフリカのインフォーマント(先住民とか言った方が通りは良いけれども、レヴィ=ストロースは一貫してこのインフォーマントという呼称を使っている。今も住んでいるからだろうか)や、アメリカのインディアンなど、それこそ近代を完全に避けた所でまだ生きている文化というものに着目する。
 古くは、確かほとんどが事例の蒐集に費やされているフレイザーの「金枝篇」から、マルセル・モースなどを通じて、レヴィ=ストロースでこの形に結晶した、というのが、この学問の流れへの、僕の雑な理解である。
 近代では考えられないような思考法や視点を得られると思って、これに撮りつくわけだが、そこにはどこか、単なる事例の蒐集にとどまってしまうような、発展性のなさも感じてしまう。だって、これから作られる文化について考えるなら、可能性は無限大だけど、既にあって、なお遅れている、いわば進化の系統樹でいう根元に近い方、最初に分岐して今まで何とか残っている文化を見ていくわけだから、どこかで尽きるという感じもあるし、もちろん新しくない、という表面感があり、そこから何かが発展するかあやしい。
 しかし、そんな風にイメージしていた文化人類学が、中沢新一の視点を借りたレヴィ=ストロース理解を通して見ると、全く覆るような思いがする。(続く)

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