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文章のグラデーション(ウサギノヴィッチ)

 今回も自分の文章作成カウンセリングみたいな、一人語り的なものです。

 最近はちょっと自分の気持ちの浮き沈みがあるので小説をコンスタントに書けていないのですが、書いたものを俯瞰的に見てみると自分の癖みたいなものが見えてきます。
 それが、文章の濃淡みたいなのがあるなと思えるようになった。
 濃淡というのは、密度が濃い所は濃いし、薄いところは薄いと、当たり前のことを書いてしまったが、それが如実に出ているところがあると思う。自分の書きたいところに向かって書いていくのを登り坂に喩えたときに、登っているときは全力で駆け上がっている(ときもある)。とにかく、自分の書きたいところになると、一番濃度が濃くなっている。そして、締めに近く下り坂になって、荒が目立つくらいに雑になってしまう。
 と、今もそんな風になってしまっているようなきがしなくもない。

 自分の文体について考えることをよくするだが、そんなことを考えなくても自分の文体でやればいいじゃないか、と思うかもしれない。
 自分の小説を読んでいただいている人にはわかる人もいるかもしれないが、自分の文体は稚拙なものだと思っている。それにどっちかといえば、エンターテイメント的な文体だと思っている。それを純文学の文体にアジャストさせたいと思って自分なりに試行錯誤させている。
 今、時間があるときに書いている小説をふとなんでもないときに思いついた。
「今の書いているやつは描写が足りていない」
 なんて思った。
 自分の書いている分量だと、説得力が足りないと思えた。
 それは、物語のとあるギミックに縛られている関係で、主人公の仕草など色々なものを描かなくて思いました。いや、描いているつもりだったんですが、もっともっと描き込まないいけないと思った。

 以前、自分はだれの影響も受けないだとか、自分は過去の自分からヴァージョンアップして書いている、と書いたが、それは自分に自信が無い証拠なのかもしれないなと最近考えるようになった。
 上手くなりたいというのはいいことなのだと思いたいが、自分のスタイルを確立したいと思っている。
 そのために日々頑張っている。

 ほら、今、クセが出ているような気がする。

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