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食事に希望が持てない(ウサギノヴィッチ)

 三日目からは記憶が曖昧になってくる。
 とりあえず、飲食が解禁された。
 それとともに、睡眠時に薬が飲めるようになった。院内の薬剤師がやってきて、ぼくに適当な薬を処方しにやってきた。
 あいかわらず、入院生活は暇でだった。ワンセグテレビやスマホからYouTubeを見ていた。歩くことを薦められたが、一往復するだけで体力は消耗してしまい、自分のベッドに帰ってくるとぐったりとしてしまう。ほかの人は、表情を一切変えずに廊下を往復していて「すごいな」と関心するばかりだった。
 食事は重湯から始まった。まずかった。どうやったらおいしくできるものか考えて対策はうっていた。ふりかけを持参していた。それでなんとか重湯は食べることができたが、それ以外のおかずを食べようとは思わなかった。好き嫌いもあるが、病院の調理法や味付けが好きにはなれなかった。食に希望が持てないことは入院生活を暗澹たる気持ちにさせる。
 小便をするときは相変わらずカテーテル方式だった。ただ、それに看護師もしびれを切らしたのか背中の麻酔を終わらした。驚くことにそれにより、小便が自分の意思で出るようになった。それから、看護師の指導により尿がどれだけでたか計っているらしく、計測マシーンのやり方を教わった。その機械に登録されている名前が間違っていて、最後まで指摘はしなかった。所詮一、二週間の生活だからそんなにかわらないだろうと思った。
 食事は日を追うごとにおかゆになり。普通の白米になった。しかし、食事をする度に消化されないものが溜まっていき、おなかが苦しくなった。当初計画していた入院の期間よりも延びてしまった。一旦、食事をリセットするために、点滴から栄養を取るっようになった。入院の計画書を眺めては、「本当は退院する日は今日だったんだよなぁ」と思った。
 テレビでは夏が本格的に到来してきたこと。コロナが猛威をふるっていることがニュースになっていた。病院内は適温で管理されているので、嵌め殺しの窓から夏の日差しが入ってこようとも、季節を感じることはできなかった。
 ぼくは相変わらずYouTubeを見ていた大食い系の動画を見て、自分を飢餓状態であることに追い込んだ。知り合いが盲腸になったときに食に対して貪欲でいることでスムーズに退院できたので、自分も食に対して希望を持ちたい。退院したときに美味いご飯が食べたいとおもっていた。それで、まぜそばセット注文して家に帰ったら、それが待っていると自分に希望を持たせた。
 ただ、入院生活はまだまだ終わらなかった。

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