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春がきらいなあなたへ。



皆さんこんにちは。


肌寒い時期をようやく乗り越えて過ごしやすい春の訪れがあったと思いきや、最早暑くない?と言わんばかりの気温が続く今日この頃ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

(投稿遅れてすみません!)


さて、4月である今回は、タイトルにある通り、春がきらいなあなたに向けて書いていこうと思います。エッセイというより、見ず知らずの私からの長い長いお手紙だと思って是非受け取ってください。

⚠️組織と表現している箇所があります。学生の方は学校やクラスやグループに、社会人の方は会社や部署やチームに置き換えて読んでくださいね。




春といえば



突然ですが、あなたは【】といえばどんな言葉を連想しますか?エイプリルフールや入学式や桜など、春を象徴とするものを連想する人もいれば、様々な変化が起こる季節、目新しいことが始まる季節だと考える人もいるでしょう。

一般的に春は"新生活"や"新入生"等の言葉があるように、新しい出会いがあり、新しい環境に飛び込む季節だと認識する人が多く、なんだか気持ちがワクワクする楽しい季節だと捉えられがちです。

しかし、その新しさや変化がとてつもなく億劫で、毎日不安でたまらない人もいるのが現実。むしろ私はこっちの方が一般的なのでは?と思っています。


かくいう私も口では「楽しみ〜!」と言っていても、本音では不安でいっぱいな天の邪鬼タイプ。初めての出会いに、慣れない環境に、知らない自分。その状況がもたらす影響が、必ずしも良いものだと確信が持てないからこそ不安に思ってしまうんですよね。割と多くの人がこのタイプなのではないでしょうか。

始める前から、例えば、高校に入学する前から「私の高校生活は絶対に良いものになる!」と信じて疑わない人は、余程のポジティブシンキングの持ち主か、アニメの主人公くらいだと思います。

では、なぜ自分は、ポジティブなあの子のように、あのアニメの主人公のように、素直にワクワクと楽しい気持ちになれないのだろうと、考えたことはありますか?

元々ネガティブだし・・・元々人見知りで引っ込み思案だし・・・と、元からの性格が影響している場合ももちろんあると思いますが、不安に思うということは何か種があるということ。不安の種。その種は一体なんなのか。



不安の種とトラウマの根っこ



皆さんには、新生活においての過去の"失敗体験"はありませんか?

成功体験ではなく、失敗体験。例えば、初めて組織に入った時、友達になれそうな人に思い切って声をかけてみたけど微妙な反応をされた。突然発生する自己紹介イベントで声が裏返って皆の笑いものになってしまった等々。


私が持っている失敗体験は、小学校の時。私が通っていた小学校は大阪ならではかもしれませんが、ダジャレや一発ギャグ等をクラスの皆の前で披露するという謎の時間がありました(本当にあれやめた方がいい)。その中で自信満々に披露したものがダダズベリしたことがあります(笑)ここは南極か?と思いました(笑)

私の場合は特殊かもしれませんが、そのような失敗体験が"小さなトラウマ"として潜在意識に残っている。これが不安の種の原因ではないでしょうか。「また失敗したらどうしよう」と思ってしまうから、新生活がこわい、春がきらい。



この不安の種を解消する方法は意外にも簡単です。それは、失敗体験を"失敗体験として残しておかない"こと。

どういうことかというと、その失敗体験を自分のネタとして持ってしまうのです。ネタの擦り方はお任せしますが、それを誰かに話して笑ってくれたとしたら、それは逆に成功体験になるとは思いませんか?

なにも無理に面白くしようとしなくても構いません。人間というのは醜いことに、他人の失敗談を聞くと自然に笑えるようにできています。誰もが一度は「笑ったらアカンのはわかってるけど、なんかおもろい」みたいな体験をしたことがあるかと思います。それです。大体は面白く思えます。

私は過去の失敗ややらかしエピソードもこの方法で失敗体験として意識に残さないようにしています。タネをネタに反転させ、失敗体験を成功体験に反転させる・・・そんなイメージですかね。

このように、不安の種は案外簡単に取り除いてしまえるので失敗体験をお持ちの方は、ぜひお試しくださいね。


春がきらいだと思っている人の中には、そのような"小さなトラウマ"ではなく"大きなトラウマ"を抱えている方もいらっしゃるかもしれません。例えば、いじめ。過去にいじめられた経験がある人、現在進行形でいじめられている人。

いじめというのは、心の奥深くに根付いてしまい、日常生活に支障をきたす程のトラウマを抱えると言われています。いわば根っこです。不安の種どころではない、根っこ

種は根が生える前に取り除いてしまえば芽は出ません。しかし、一度生えてしまった根っこはどんどん奥深くに拡がってしまいます。引っこ抜いたと思っていてもちぎれた一部が残っていたりして、知らず知らずのうちに残った根が成長し、ふとした時に芽が出たり・・・これが所謂フラッシュバック。

そんな根っこを抱えたまま、ワクワクした気持ちで春を迎えられるわけがないんです。私も学生時代に軽いいじめを受けたことがあり、それまでは誰とでも話せる陽気で活発な性格だったのにもかかわらず、その一件から人見知りをしてしまう内気な性格に180度変わってしまいました。

現代っぽくいうとすれば、性格がE型からI型に変わったということでしょうか(ちなみに今の私はサイトによってENFPの時とINFPの時があります)。それほど当時は人間不信に陥ったし、学校に行くのが億劫でした。



私の心の奥に生えた根っこ



何があったのかというと、まずは小学4年生の夏頃。私は小学1年生の頃からスクールでダンスを習っていたこともあり、ダンス部に入部していました。夏になると毎年、地元の夏祭りの中でスクールの発表会があったり、学校でのお楽しみ会で部活動の活動報告があったりと、人前で踊る機会が多くありました。

その頃からクラスの女子の私への態度が変わり、私に聞こえるように「ちょっとダンスが出来るからって調子乗ってるよね!」や「男好きだからモテるためにダンスやってるのバレバレだよね!」など、訳の分からない悪口を言われ始めました。

そうすると主犯グループじゃない女の子達も、私に絡めば"自分も悪口を言われてしまうかもしれない"という恐怖からか私を無視するようになり、その状況を見ている男子も面白がって「ブス!」「キモい!」「死ね!」等の罵声を浴びせてくるようになりました。

教室のドアをあけると、上から粉まみれの黒板消しが落ちてきたこともあります。クラスの半分は大爆笑だし、もう半分は見て見ぬフリ。見事に典型的な一例ですね。


ダンス部だった私は、大好きなはずのダンスも心から楽しめなくなり、5年生にあがるとともにダンス部を退部。それでもどこかのクラブには入らないといけなかったため、唯一こっそり話してくれていた友達がいる手芸部へ転がり込みました。

こうして心の奥深くに根っこが生えてしまった私は、性格が180度変わってしまったのです。その根っこは中学にあがってもまた違う形で拡がっていきました。


中学1年生の頃、帰宅部も選択出来ましたが、もう一度好きなことに挑戦したいと思い、女子バスケットボール部に入部しました(ダンス部はありませんでした)。

私達の学年の新入部員は、私も含めて13人。最初の頃は13人みんなで仲良くやっていたのですが、夏休みに差し掛かる頃、私は輪を離れて1人で練習する子が居るのを見つけました。

「あっちで皆で一緒にやろうよ!」と声を掛けると、「ううん、ここでいい。」という。私は小学校の頃の自分と重なったのか「じゃあ私もここでやる!」と言って、一緒に練習を始めました。


しばらく11人と2人の時間が続いたある日、私がインフルエンザにかかってしまい部活を一週間ほどお休みすることに。その子に「1人にしてごめんね」と言いましたが「大丈夫だから早く良くなってね」という返答があったため、安心して休養しました。

後日、インフルエンザから復帰し、その子のところへ「ごめんね」と駆け寄ると、まるで聞こえなかったかのように、まるで私が視界に入っていないかのように、完全にスルーされてしまいました。そしてその子が向かった先はというと、11人の輪の中。

私がお休みをしていた期間に仲が深まったのか、何かを吹き込まれたのか、11人と2人だったはずが、12人と1人に。驚いて言葉も出なかったことを覚えています。

もしかしたら、その子は同情されたと思いムカついていたのかもしれない。はたまた私が何かしてしまったのかもしれない。正解がわからないまま、12人と1人のまま、私は女子バスケットボール部で過ごすことになりました。部活自体は、中学2年生の半ばに違う理由で辞めてしまいましたが、辞めるまでずっと、12人と1人のままでした。


私の中に残っている根っこは大きくこの2つが原因だと思います。詳細は割愛しますが、他にも仲良いと思っていた友達が、レイプ(未遂)の計画犯だったこと等もありました。



私が根っこを引っこ抜いた方法



私の経験上、女子がやるいじめの基本形は、聞こえるように悪口を行ったり、誰かや組織を使って無視したり嵌めたり、モノに落書きをしたり隠したりと関節的に追い詰めるような陰湿なイメージです。

それが歳を重ねるごとに直接的になっていくか、間接的のまま行動範囲や濃度が広がるかという感じですね。それに対し、男子がやるいじめの基本形は、何歳であれずっと直接的に負荷を与える攻撃型というイメージ。

私はどちらかというと女子のやり方は、一人でいることさえ苦痛でなければこっちも無視しておけばいいと思えるのですが、男子の直接的な攻撃には少しくるものがありました。面と向かって悪口を言われると、やはり傷つきますよね。


そうして傷ついて、人間不信になって、一度生えてしまった根っこをどうやって引っこ抜くのか。私の場合は、自ら進んで不登校になりました。


いじめに立ち向かう人は勇敢だと聞いたことがあります。確かに、立ち向かうこと自体はすごく立派で勇敢だとは思いますが、それじゃあ逃げた人はダメなやつなのでしょうか。私はそうは思いません。逃げることもまた、勇敢なのです。

人間というのは、慣れ親しんだ環境に居ることを好みます。変化が怖いからです。その環境がどんなに苦痛であっても、そこから抜け出すことだって怖いのです。立ち向かうこと、耐え抜くこと、逃げること。その全てが勇敢だと、私は思います。

根っこが生えた当時、母親から言われた言葉があります。

学校は勉強だけをするところじゃない。主に人間関係の構築や道徳を学ぶ場所だと思う。そういう場所でありながら、道徳もクソもない連中が居て、間違った人間関係の構築しか出来ないような場所なら、行くだけ無駄だから行かなくていい。勉強だけしたいのであれば、今の時代、家でだって出来る。


私はこの言葉を聞いて、学校に行くのを辞めました。そうしてまずは根っこの成長を遮断したのです。ストレスという栄養がないと、トラウマの根っこは育ちませんからね。


成長を遮断したら次は、根っこを枯らしていきます。自分が楽しいと思えるものだけを見て聞いて、好きだと思えるものだけをそばにおいて、ゆっくり時間をかけて。樹木が水分を与えられないと枯れてしまうように、ノンストレスの生活を心掛けます。

そしたら今度はいよいよ、根を引っこ抜いていきます。枯れ木を引っこ抜くのは生木を引っこ抜くより難しいんじゃない?と思いましたよね。でも枯れているからこそ出来ることがあります。それは、掘り起こすこと。

掘り起こし、根こそぎ引っこ抜きます。具体的にどういうことかというと、誰かに話すことです。


不安の種と対処法一緒じゃんと思いましたよね?そうです、一緒です。ただ、種は地上から浅い所にあるのですぐに実行出来ますが、根っこは既に奥深くに拡がってしまっているので、ゆっくり時間をかけ、枯らすことが大切なのです。生木の状態で掘り起こしてしまったら、無駄な傷がついて折れてしまう可能性がありますからね。

本当に誰でもいい、どこでもいいので「実は中学の時にいじめられたことがあって」等と、話すのです。新たに出来た友達に話すのもOK、私のようにnoteで記事にするのもOK、ネットでお悩み相談を受け付けている配信者に話すのもOK、なんなら犬や観葉植物に話すのもOKです。枯れた根っこを引き抜いて、誰かに渡すイメージです。

もらった本人は、良くも悪くも、案外そんなことは気にしません。それに、枯れ木の一部をもらったところで、それをまるで接ぎ木のように自分に植え付けて、ストレスの一部として受け取ってしまう人などいません。第一、もう枯れているのですから接ぎ木をしたところで、なにもうまれません。

だから、あなたが話してもいいなと思う人であれば、誰に話しても、どこに置いても良いのです。


そうして枯れ木の一部を誰かに渡した時、どこかに置いた時、あなたは気づくはずです。「枯れているということは、これを誰かに話せるということは、これはもう過去になっているんだ」と。

先程、生木の状態で掘り起こすのはリスクがあると話しました。その意味とは、現在進行形で抱えているトラウマは、基本的には人に話せないのです。特にいじめなどの人間関係でのトラウマを抱えている人は、善人も皆悪人に見えてしまうほど人間不信に陥っている人がほとんどです。

その状態で、トラウマを他人に話すのは自分を削ることとイコールだと思います。だから時間をかけて、出来事を過去にしていく。過去になってしまったらもうこっちのもんです。芽が出ないように、フラッシュバックしないように、自分の抱えている根っこの全てを引っこ抜いて、自分じゃない場所に置く。

ちょっと残ってしまっても、不安の種のようにネタにしてしまえるくらい遠い過去で、小さいトラウマにまで抑え込めるのであれば、それはきっと自分をつくった過去として愛せる物語になります。



見ず知らずの私からあなたへ


過去に何があったとしても、現在(いま)が幸せだったり、未来(これから)が幸せだったらそれはもうハッピーエンドだろ。

私の昔からの持論です。あなたの未来には、あなたの過去を受け止めてくれる人がきっと居ます。そして、その人に枯れ木の一部を渡した時、あなたの物語はハッピーエンドになります。


私は母の存在があったから逃げることが出来、根っこを枯らせられ、引っこ抜けました。しかし、これを読んでくれている人の中には、組織から逃げたくても逃げる場所がない、家にも居場所がないと感じている方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。

あなたに許可を出してくれる大人が周りに居ないのであれば、代わりに私が言います。


逃げていいんだよ。勉強なら家でも出来る。友達や恋人ならいつか出来る。仕事なら星の数ほどある。組織の中でのあなたの代わりはいくらでもいる。でも、この世界であなたの存在はたった一人。代わりなんていない。だからあなたがこの世界からなくなってしまいたいと思うほど辛いことや苦しいことがあるのなら、逃げていいんだよ。月並みな言葉かもしれないけれど、組織という小さい世界のために、あなたの今後を失ってしまうのはあまりにももったいない。世界はもっと広いよ。あなたの味方はいくらでもいる。ひとりじゃない。だから、逃げていいんだよ。

それから、あなたは自分が愛されていないと思っていることが一番の不安かもしれない。それは自分が自分を愛してあげられる環境にいないから。惨めで弱くてかっこ悪い。こんな自分を愛せないと思っているよね。私も思ってた。でもね、あなたはたくましくて強くてかっこいいよ。根っこを抱えながらも、毎日生きてる。それだけで十分えらいんだよ。

そんなあなたは、いつか絶対に今の辛い出来事は過去になって、その過去を含めて自分を愛せる日がくる。だから、今はせめて自分を労わってあげてほしい。ストレスから、逃げてほしい。

逃げてストレスを遮断して、根っこが枯れた時、話す相手が居なかったら私のところにおいで。枯れ木の一部をもらってあげる。そうして皆と分け与え合って、自分を愛せるようになっていこうね。


私は今でも春は怖いしきらいです。でもワクワクする気持ちもあります。でも、どうせ生きるのではあれば、100楽しい気持ちで春を迎えたいと常々思っています。

あなたにも、少しでもそう思ってもらえますように。



最後まで読んでくれてありがとう。またね。

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