バカなのではない
旅行記を昨日アップした。
今日もようやく一段落したので写真を見ながらまたブログを書こうとした。
……が。
写真が膨大過ぎるのと、このお寺や道は何処…?
という残念な記憶力が立ち塞がって書こうとしても書けないでいる。
五重塔は分かる。
しかし、あれ?
このお寺の名前はなんだっけ?
大好きになった鹿🦌さえも、
沢山いすぎて奈良公園の鹿?
どこーーーー!?
どこの鹿さんーーーー!?
状態。
今までもこういう事は多々あった。
私も哀しいが、1番残念で哀しいのは連れて行ってくれた主人のはず。
思い出を語ろうにも本人が分かってない。
連れて行っても無駄だなと前から言われ続けているがまだ懲りずに連れて行ってくれる。
しかも、自分がもう行った場所である。
私にまた見せてくれる心意気。
当日のドタキャンも1度や2度じゃない。
どうしても具合が悪くて。
……こんなんでいいのか!?
いいのかーーーー!
私は20歳の時にうつ病と診断された。
その後就職するも上手くいかず面倒見の良い先輩が色々調べてくれて「発達障害ではないか?」と言ってくれた。
その時の衝撃、そして、調べれば調べるほど当てはまり、今まで抱えてきた生きづらさを認めて貰えてとてつもなく安堵したのを今でも覚えている。
病気の事などは今は過去の事で今更書くつもりはなかった。
当事者どうしで慰め合う事もない。
だが、こういう時に本当に思うのが、私は障がい者だから記憶が曖昧になるのか?
それとも努力不足なのか?
という事。
あの時診断されてホッとしたが、たまにわからなくなるのだ。
発達障害の子は「脳の障がいのせいで脳に貯めておける記憶のお盆が小さい」というのはよく聞き、言われ、目にする。
なのに。
私は。
認めてないのかもしれない。
まだ。
自分は障がいを持っているかもしれないけど、努力したいと思ってる。
諦めたくないと思ってる。
だから辛い。
いっそ、バカなのだ〜
とお気楽に言ってしまえればいいのだけど。
ただひたすらに、「楽しかったよ」と、その事だけは伝わって欲しい。
「一緒に過ごせて嬉しいよ」
「連れて行ってくれて嬉しいよ」
と。
綺麗な言葉で締めることなんか出来ない。
だってまだ未解決なのだから。
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