近況報告

お久しぶりです。くぜです。

前回の更新から8か月空き、当然だがその間にはいろいろなことがあった。

中でも特筆すべきこととしては、ここ3か月間全く文章を書いていないという事だろう。

地獄のような前職を辞めてからもう少しで1年が経とうとしている。

このままではなんの進展も見込めない。

そう考えた末に原点回帰し、リハビリの為に久しぶりにnoteを開いた次第だ。

日記感覚でここ8か月を振り返ってみようと思う。

目先のお金が無い

「個人事業主として開業してフリーランスで生活」

そう舌を巻いてnoteを去った頃の事はもはや懐かしささえある。

あれからUber Eatsや自分のメディアを更新して生活する日々が3か月ほど続いた。

Uber Eatsの配達パートナーはもはや飽和状態で、全盛期ほど稼げなくなったのが現実だ。

そうなってくるとメディアを更新する時間を減らして、長時間稼働する事により収入を得る手段が常套となっていくのは必然だった。

立ち上げたてのメディアが収益の柱となることはもちろん無かった。

そうこうしているうちに「なんのために開業したんだろう」という思いが僕の中で膨らんでいき、次第に配達パートナーとしての活動もライターとしての活動も徐々に頻度が減っていく。

振り返ってみれば精神面があまり元気じゃなかったのだろう。


精神面が元気でない状態のくぜはいつもにまして出不精になり、家の中で一日を過ごす時間が長くなりがちだ。

相変わらずコロナ騒動は世間を賑わせているが、まったく関係のない部分でのステイホーム。結果的に見ると良かったのかもしれない。

だが、家に引きこもっている状態では段々体力が落ちていくという現実を身をもって知る。

僕ももうアラサーなのだ。

一ヵ月程前までは一日の睡眠時間が13時間に達する程度にはもやしっ子になっていた。


そんな中、気の置けない先輩が居酒屋の店長として近隣駅に異動してくる事となった。

曰く、キッチンの人員が足りないからと飲食店経験者の僕に白羽の矢が。

引きこもりがちで貯金を切り崩して生活をしていた僕としては願ってもいない話だった。

この状況下で店はそんなに忙しくないが、ここ3か月間は飲食店アルバイトとして体力と貯金額を戻すような生活をしている。

事務作業を伴わない飲食店の業務は割と好きだなあ。と、散々飲食を嫌ってる僕からこんな意外な感想が出るとは思わなかった。

家族の死

居酒屋で働き始めた頃、家で飼っていたデグーのさとが亡くなった。

亡くなる半年前程前から以前より不正咬合を引き起こし、歯周が弱い状態になっていたのでペレットをふやかした流動食しか食べられなくなっていた。

齧歯目にとって歯は第二の心臓だ。不正咬合は一度起こるともう治らないらしい。


でもさとは頑張った。

半月に一度動物病院に通い、歯切りを頑張ったさと。

ご飯の前に嫌々抗生物質を飲んでくれたさと。

大好きなえん麦を食べられなくなっても流動食を懸命に咀嚼するさと。

徐々に体重は戻ってきて不正咬合以前の運動量に近づいてきたのも束の間、1月11日にケージの隅で冷たくなっていた。

辛かっただろうけど頑張った。


僕が21歳の頃、親と喧嘩して家を飛び出し、初めての一人暮らしを始めた時、ふと立ち寄ったペットショップ。

狂ったように回し車を回し、時折何事かと近づいてくるその姿に一目ぼれしてお迎えした家族。

一人暮らしも店長経験も初めてで不安がいっぱいな僕だったが家に帰るといつもさととてとに励まされた。


陸上の生き物を飼う事も初めてだったため、もちろんその死に触れる事も初めてだった僕が、さとが亡くなって感じた事はただひたすらに感謝と後悔だった。

いつも居てくれて、見てくれて、そして僕の所で生きて、死んでくれてありがとう。

医者に連れて行くのがもっと早かったら歯が弱る事もなかったんじゃないか?もっとこの子が長生きできる術があったんじゃないか?もっといっぱい遊んであげられたんじゃないか?僕の所に来なかったら...。

なんて、そんなこと。

エゴだと言われようが、生き物の命に綺麗言も汚言もないと僕は思うので、できるだけ正直に書いた。


さとの死後、残された姉妹のてとはその精神状態からか数日間食事量が減ったが、今では以前の爆食デグーに戻った。

さとと比べてしっかり齧る癖があるてとだから歯周のことは心配していないが、やはり以前と比べて運動量が減り、僕と同じで長時間寝ていることが心配だ。でも、もう後悔は残さないつもりだ。


池井戸潤にハマる

精神状態が元気じゃない事さとが亡くなった事など暗い話が続いたわけだが、楽しい事が無かったわけではない。

ここからはのめり込んだもの部門について話したいと思う。


以前、noteにも書いて結構な酷評をしたAudibleだが、その後ボチボチ使っているうちに良い部分のみに着目できるようになった。(気がする)


中でも月イチでフリープレイ(今月の無料タイトルみたいなもの)を楽しめるようになった事は私の中ではかなり嬉しい事だ。

そして4か月程前のフリープレイにて、池井戸潤氏の「下町ロケット」に出会ってしまった。


当時は半沢直樹が一世を風靡していたので、人に話すと「今更下町ロケットかよ」という顔をされるのだが、僕にとってはAudibleで30分程聞いた時点でなんだこれはと思ったのはつかの間、翌日には4部作すべてを読み終わる程の衝撃だった。

様々な立場の人間が、色々な論理ですれ違い、そして仕事をする様子は組織を脱した僕にはかなり染みた。誇りをもって仕事をしている人はカッコイイ。

ちなみに僕推しキャラは山崎だが、トノも好き。


下町ロケットを読み終えた後は、ボチボチな頻度で他の池井戸作品を読み始めた。

民王やかばん屋の相続など、色々読んでみたが中でも面白かったのがシャイロックの子供たち。

調べてみるとその経歴から銀行事情に強い池井戸潤氏だが、シャイロックの子供たちは銀行という閉鎖的かつ開放的な舞台で職員一人一人の物語がオムニバス形式で描かれている。

読み始めた当初は「こんな人もいるんだな」とか「人生って色々だな」とかそんな感想が出てくるに過ぎなかった。

しかし、途中から暗雲が立ち込める展開になり、オムニバス形式の物語と思っていたそれは形相を変え、もはや戯曲となって目の前に描かれる。

小説を読んでいて初めての経験に、思わず読み返す手が止まらなかった。


と、色々な池井戸作品を読んでいくにつれて物語の雰囲気がなんとなくわかってきた。

そろそろ満を持して半沢シリーズを読み始めようかと思っている次第だ。

ミュージカルにハマる

以前からオペラをたまに観に行ったりはしていたが、機会があってミュージカル「オペラ座の怪人」を観に行く事になった。

内心、「原語こそ至高」「舞台なら歌わなくて良くない?」などと少々見下した考えを持っていた僕だったが、それは見事に打ち砕かれた。


ミュージカルとオペラの最大の違いは「語訳されているか否か」だと思っていたが、いざミュージカルを観に行ってみると舞台演出が際立って大掛かりで、より舞台的である事がわかった。

歌曲の間に音程を伴わないセリフがある事、舞台装置が縦横無尽に動き回ることが最たる例だ。

そしてその派手な演出は僕の心を掴んで、舞台から目を離せなくした。


ミュージカルを語る上で、曲ももちろん欠かせない要素だ。

初見では台詞を聞き取ることで精一杯になりがちだが、舞台を観た後はサウンドトラックで何回も聞き、物語の考察やフレーズの意味をじっくり考える楽しみがある。

フレーズの意味と表現したのは、ミュージカルでは同じフレーズが何回も使いまわされることが多々あるためだ。

これは単なる作曲者の怠慢による使いまわしではなく、そのフレーズ自体が場面に意味を付け加える意図があると私は考える。


オペラ座の怪人は有名なテーマ曲がある。ジャジャジャジャジャーン↑ジャジャジャジャジャーン↓のアレだ。


オーバーチュアとしてのあの曲はすごくかっこいいのだが、ジャジャジャジャジャーンの後のフレーズを知らない人も少なくないだろう。

そして、あのテーマ曲が劇中で何度も何度も使われていることを知らない人はもっと多いだろう。

劇中ではあのテーマはキャラクターが恐怖に陥れられる時に頻繁に使われる、いわば「恐怖のテーマ」だ。

劇中で怪人が現れたり、人の死体が見つかった時などにそれまで綺麗な曲が鳴っていたのに急に恐怖へ引きずりおろす役割を担っている。

歌詞の内容も都度変わるが、フレーズの意味合いには沿う形になる。「歌う必要なくね?」ではないのだ。


ミュージカルに関してはもっと語りたいので別途記事にする必要がある。(と思う。)

とにかく日中ずっと聞いている程度にはハマってしまったという事を熱弁したのだ。

次は6月にレミゼラブルの舞台が行われるので、今から楽しみで仕方がない。


近況報告という事で記事のリハビリをしようと思ったわけだが、ハイライトとはいえ8か月分を振り返るとなると3600文字に及ぶのは納得だ。ほんとはもっと書きたい気持ちもある。

ただでさえ遅筆のケがあるというのに、文章を書いてない期間が長いとこの程度の文字量で2時間かかってしまうのは問題だ。。

今後もコンテンツとしてではなく、日記感覚でnoteを更新する事を不定期で続けて行こうと思う。

継続できもしないのに完璧主義なところがある僕を先ずは滅するところから始めよう。










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