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AI時代の大学の歩き方|知久哲彦

知久哲彦
理学部准教授・統計力学

今の若い世代は生まれたときからデジタル機器に囲まれ、スマホが片時も手放せなくなってしまっている時代です。だからと言ってこの小文はキャンパス内でスマホ歩きを勧めるものではありません。

情報技術が人間社会にインパクトを与えた三つのステージを挙げてみると、まずは人間をはるかに超える計算能力と扱える情報量を獲得した第一段階、あらゆる情報機器がネットワークで結ばれ、どこにいても各種の情報に容易にアクセスできるようになった第二段階(これは日本で言えば平成時代)、第三段階としてそれまでのコンピューターが苦手としていた漠然とした多面的な情報から何かを総合的に判断し、有効な動作をするいわゆるAIの時代というもので、これから我々の生活の中に様々な形で入ってくることは確実です。

研究者の立場で言えば、第一段階においては今まで扱えなかったような大規模な対象が扱えるようになり、ビッグデータの処理技術は現在も発展中で、科学研究以外でも防災や様々な社会予測にも役立っています。
第二段階の革新に伴って、データベースの充実と検索の利便性によってそれまでの知見が格段に容易に入手できるようになりました。それまで各分野の専門家のみに占有されていた情報に触れる機会が増え、分野横断的な研究が進んだのは好ましいことのように思います。一方で情報を検索するのに一生懸命で、得られたものの吟味がおろそかになりがちな傾向は見受けられます。

ネットの時代の申し子といえる道具がスマホですが、この端末の特徴は基本的には携帯性に優れどこでもネットにつながるということ、一つの端末でコミュニケーション、コンテンツ再生、カメラ等あらゆる機能が搭載されている汎用性があげられます。

ただし人間とのインターフェイスとしては、あの小さな画面を通した視聴覚情報のみでそれを行うのでストレスが多く健康によくないという指摘があります。思うにスマホという形は過渡的で、もっと人間の生理に合う形に変わっていくものでしょう。

電車の中でみんながスマホを見ている風景はおそらく2010年代のものとして記録されるのではないでしょうか(これが30年前はマンガ雑誌だった)。スマホの教育における功罪(実際は罪の部分の指摘が多い)はすでに各所で議論されているところなので、ここではくどくどと書くのは控えます。一つだけ記せば、みなさん、常につながっていることに疲れているように見えます。

まわりと切り離して自分と向かい合う、自分の身体を通して直接飛び込んでくる刺激の中で五感をフル動員してじっくりその中に浸ってみる、そんな時間を少しでも持てれば自分が今本当に何を欲しているのか気づくこともあるのではないかと思うのです。

さてAI時代になり、より人間的な場面に情報技術が入ってくることになります。労働においても人間にとって代わり、今まで知的と言われた分野でも失業する職種が増えるというような予測もあります。教育の現場はどうなるでしょうか。「読み書きソロバン」的な基礎力の鍛錬は個々の学生の理解度に応じてきめ細かに辛抱強く(という感覚はAIにはないが)対応するところはAIが得意なので、うまく取り入れると教育的効果は上がるかもしれません。

一方で単なるスキルと違って学問の面白さは、それが面白くてたまらない研究者本人が教育の場でそれを醸し出すことで伝わるものでもあるので、まだ近未来では啓蒙や専門教育がAIに取って代わることはないと楽観的に考えています。
AIは基本的にインプットとアウトプットの対応を最適化しようとするものなので、因果関係を説明してくれるものではなく、人間の「なぜ」に答えてくれるものではありません。したがって将来的にも研究の現場で人間がすることがなくなることはないように思います。

今後AIが浸透してくると、現在よりもさらに利用者の意図を忖度して、先回りして様々なことを代わりにしてくれるようになるのでしょう。ネットが普及し、みんながスマホを持ち歩くようになった時に「人間は自分で考えなくなった」と言われたものですが、AIが浸透してくると「人間は身の回りのことも自分でしなくなった」といわれるのかもしれません。

ただ考えてみれば家電が普及し始めた60年ぐらい前もそれによって家事が大幅に省力化されて自由にできる時間が増えたわけで決して悪いことではなく、AIとの付き合い方も導入される中で最適化されていくのでしょう。
おそらく、利用者が生活していくのに必須だけれども手間をかけたくない部分はとことんAIに任せる方向に進む一方で、本人が楽しく感じることや価値を感じることについてはAI任せにせず人間自身が行うというような使い分けが進む気がします。

さて現在進展中のAIの主流は、神経細胞のネットワークである脳を模した構造を用いて深層学習(ディープラーニング)を行うというものです。これは知的な動作の情報が神経細胞という比較的単純な要素がたくさん集まったネットワークの構造に宿っており、外部からの刺激に正しく適応するようにネットワークの構造を変化させることで知性を獲得していくという信念に基づいています。

このような系のメカニズムの理解には私の専門でもある統計物理学という分野の知見が役に立っており、物理を目指すみなさんにはそのようなことも頭の片隅においていただけるとうれしいです。そしてそのような分野にも新しい世代が加わってくることを大いに期待しています。

知久哲彦
理学部准教授・統計力学

『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために毎年発行しています。

この連載では最新の『学問への誘い 2020』からご紹介していきます。