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● 脱皮後の世界  - お金のない世界

 「126ページから飛んでくるなら、ここ・・です。ココ」

 「ナイス、タマ子。では、皆さん、本格的に私たちの脱皮後の世界をご案内しましょう」
 「ご案内って、誰か案内するんですか、ココッ?」
 「タマ子、これはね、ABC銀河放送でやっている『明るい惑星』とかいうテレビ番組のインタビュー…のはずだったんだが、レポーターはじめクルー全員、この星の水が合わなかったようで、腹痛になってしまったんだ。明日以降はまた次の惑星に向かって移動の予定らしい。それでディレクターらしき人が、『あ、そこの人、もう、駄目元だめもとでいいので、このビデオカメラ使って適当にインタビューお願いします。アイタタタ。あー、それからあんまり理屈っぽいことは結構です。視聴率に響きますので。ではよろしく、イタタタ』と言い残して、いなくなってしまったんだ。みんな今、隣町の病院らしい。このビデオはいつかどこかの惑星の人たちが見てくれることになるのかな」
 「大変ですね、コッコ」
 「まったく。遠い星から来ていただいたのに気の毒なことだ。ここはひとつ私が感動のドキュメンタリーか何か制作してあげようと思うんだ。理屈もたっぷり付けて」
 「それはきっと喜ばれますね、コッコ」
 「タマ子も協力頼むぞ。うまくいったらコーンをドーンと2日分はずむからな。しかし、タマ子のことで大分だいぶ回してしまったもんだから、もうそんなにフィルム残ってないんだ。ここから巻いていくぞ」
 「ここから巻くって、何か巻くんですか、ココ?」
 「無駄むだ話などせず進行を早めることだよ。フィルムが残り少ないからね。では散歩がてら循環センターに行ってみようか。何といっても、循環センターは脱皮社会の象徴みたいなところだからな」
 「そこって、おいしいものがあるんですか、ココッ?」
 「あ、まあ、あるけど、タマ子、その食い意地、何とかならんか…」
 「やったー、コッコ。でもその前に、ご主人様、私、のどカラカラなんで、ちょっと川に降りて一杯ひっかけてきます。コッコ。
 …ただいま。川の水、おいしかったです。うるおいました」
 「早いな。タマ子がそんな勝手な行動するもんだから、私ものどが渇いたじゃないか。循環センターに行くついでにスーパーに寄って、ビールでもいただくとするか。タマ子は店内で大も小も禁止だから、ここでしっかり済ませておきなさい」
 「はい、さっき川辺で、ついでに済ませました、コッコ」
 「早いな。ところで、タマ子は、橋を渡ってこんなところまで来るのは初めてだろ?」
 「はいはい、ウキウキ、ココココ。共同縄張りを出るのも初めてです」
 「共同縄張り? ニワトリ社会にもいろいろとあるんだな。さ、て、と、スーパーまで歩くには遠いからバスに乗るとするか。ほーら、タマ子、私の心がけがいいから、ちょうどコミバスがやって来た」
 「やったー、コッコー」
 「タマ子、コミバスというのはね、コミュニティバスの略で、各地域の決まったコースを回る市営や町営の乗り合いバスのことなんだ。ここらの今の時間帯なら、20分おきに回って来てくれて、小型だけれど、中は快適で荷物を置くスペースもあるし、子どもやお年寄りや車を運転しない人にとっては、なくてはならない便利な移動手段なんだ。それでは乗せてもらうから私の肩にとまって、じっとしているんだよ。いいかい、タマ子、つりかわで遊ぶんじゃないよ。その上の金属の丸い横棒も、止まり木じゃないからね」
 「…コェッ(チェッ)」
 「コミバスはね、タマ子、かなり昔からあったんだ。しかし、脱皮し始めてからは根本的に変わった。何が変わったかというと、無料になったんだ。コミバスに限らず普通のバスも含め、あらゆる公共交通機関の利用が無料になったんだ。
コミバスを利用する人々は、バス停でありがたく乗って、降りたいバス停でありがたく降りるんだ。もっともこれは脱皮し始めてからのやり方で、脱皮前は必ず乗車口か降車口で運賃を払う必要があった。そうしないと無賃乗車という犯罪になる。常識中の常識だったんだ。後で、ちゃんと説明するからね。

 ほら、タマ子、外を見てごらん。ちょっと乗ってこの辺りまで来れば、こんなにおしゃれな街並みになっているんだよ。道路も街路樹もきれいだし、大きな家から小さな家まで、外観も美しくて見るからにしっかりした造りで、しかも街並みに溶け込むように調和しているだろ。中にはへそ曲がりっぽい家もあるけどね。おっと、収録、収録。
 皆さん、この街並みの多くが、私たちの脱皮期間中から今までに整備されたものです。
 道路などの共用部分にだって税金など投入されていません。個人の家にしても途中からは無償で建築されたものです。誰も何十年も住宅ローンに人生を縛られるようなことはありません。もしあなたがここを気に入って住んでみたいと思ったら、新築するもよし、空きの出た家にそのまま入るもよし、それを改築するもよし、すべて無償で実現するのです。家具や備品も同じことです」
 「ココココ、すてきです。でも、そんなバカな、と思われないでしょうか? ココッ」
 「バカではありませんよ。なぜそんなことができるかはまた後で。
 建ててよい場所、建物の高さ、資材、居住のルールなどある程度の制約はあって、町との契約も必要ですが、基本的には困難なことではありません。
 これは、この町に限ったことではありません。今では、この国の、この惑星の、だいたいどんな所でもこんな感じなんです。
 さあ、タマ子、バスを降りるぞ。スーパーの前に着いたからね。
 タマ子はいったん私の肩から降りてもいいけど、スーパーの中では、また肩にとまって、おとなしくしてるんだよ、いいね」
 「コッ」
 「タマ子、スーパーというのはね、スーパーマーケットの略で、食料品を中心にいろんな日用品が並べてある便利なところなんだ。人々は、たなやケースから必要な品物を直接もらったりいったん備え付けのカートやかごに入れたりして、ありがたくいただいて帰るんだ。もっともこれは脱皮後の今のやり方であって、脱皮前は必ずレジを通って代金を払う必要があった。そうしないと万引きという犯罪になる。これも常識中の常識だったんだ。

 ほら、タマ子、入ってすぐ左、ここが野菜コーナーだよ。見てごらん、今朝うちで収穫した自慢のトマトも並んでるだろ。形や大きさは不ぞろいでもトマト特有の香りや甘みがしっかりしているからね。トマトは葉っぱの病気になりやすくて大変なんだけど、今は、生産者も消費者もコストや値段に左右されずに、安全性と本来の栄養や風味を重視するようになったんだ。それに、みんなで農業を正当に尊重するようになったんだよ。
 それから、タマ子、こっちが、魚のコーナーだよ。魚といっても、もっぱら海で獲れた魚で、このスーパーで川魚といえばうなぎあゆが並ぶくらいかな。脱皮した今は、人が海も川も大切にするから、鰻も鮎もたくさん川を遡上そじょうするんだ。鮎なんか、稚鮎ちあゆを放流しなくても本物の天然鮎だらけで、初夏には橋の上から川が黒々と見えるほどなんだ。
 それから、この先は、肉のコー…。あっ、タマ子、ビールをいただきに来たんだったね。
 お、お、おばちゃん、このニワトリは品物じゃありません。これは、うちのタマ…」
 「チッ、なんやそうかいな。明日あしたのおかずにしたろ思たんのにな。当てが外れてもたわ」
 「すみません、まぎらわしくて」
 「ご、ご主人様、スーパーって、こわいとこですね。早く出ましょうよ、コッコ」
 「大丈夫だよ、私の肩にしっかりつかまっていなさい」
 「いやや、ご主人様。タマ子、もう帰る。ねえ、ねえ、コケ、コケ」
 「気色きしょく悪いからやめなさい。目的のビールもまだだからね、いうこときくんだよ」
 「コッ」
 「ビール、ビール、私の大好きなビール。あ、これだ、これ。1本ちょうだいします。さっきのおばちゃんのところはカットだな。
 皆さん、こちらがビールコーナーですが、輸入ビール、国産ビール、地ビールと、それぞれ種類も豊富に取りそろえてあります。しかし、脱皮前にあったような、ビール、発泡酒、第三のビールなんていう価格帯ごとの分類はありません。ビールはビールです。原料は、水、麦芽、ホップ、ビール酵母、基本は以上です。あのややこしい分類は、ビールという人類が作り出した最高の飲み物(と私は思っているのですが)を愚弄ぐろうするものです。
 あのややこしい分類の背景にはビールにかかる高い税率があったのです。その税率対策でビールメーカーさんの涙ぐましい商品開発から生まれた結果があの分類なのです。わが国のビールメーカーさんは世界最高レベルのうまいビールを作れるのに、国(政府)の税率に振り回されて、わざわざ、代わりの原料を混ぜ、あれこれ工夫を凝らしてビール風味のアルコール飲料を作っていたのです。ビール風味にケチを付けているのではありません。問題は税率です。しかも、ビールなどのアルコール類は、高い酒税を含んだ価格にさらに上乗せして消費税(付加価値税)がかかる二重課税だったのです。私たちが飲むビール代はその実に約40%が税金として国(政府)に上納されていたのです。しかし、国(政府)からしてみれば、あの手この手で税収を確保せねばならない事情があったわけです。それは、もちろんビールに限ったことではありませんでしたが。
 時は過ぎて今、ビールはビールしか存在しません。なぜなら、税金の仕組みがなくなり、お金の仕組みもなくなったのですから」
 「ココココ、すごいです。でも、そんなバカな、と思われないでしょうか? ココッ」
 「バカではありませんよ。なぜそんなことができるかはこの後で。…とは言ったもののさて、どうしたものか? さて? …お、おお、そうだ。ここでさっきのおばちゃんにもう一回登場してもらうことにします」

 「おばちゃん、先ほどは失礼しました」
 「なんや、あんたかいな。気が変わったんか? そのニワトリ、くれるんか?」
 「いえ、そうではなくて、おばちゃんに頼みがありまして」
 「なんや?」
 「実は私、別の惑星からやってきたテレビ局の人たちから自画撮りの独占インタビューを委任されてまして」
 「そりゃ、なんとも大層なことやな」
 「はい。それで、その人たち、『視聴率がどうのこうの』と言ってまして、いまだにそんなことを気にしなくてはならない気の毒な惑星の人たちみたいなんです。だから、私が気を利かせてがんばっているんです。そこで一つ、おばちゃんにお願いなんですが、スーパーは脱皮後の現在のまま、おばちゃんは今から20年以上前、つまり、脱皮以前で大半の人々がお金に振り回されていた頃の『やとわれ店長』という設定で、特別出演または友情出演をしてもらえませんでしょうか」
 「ええで、任しとき」

 「では、おことばに甘えて、ビールいただきます。(プシュ)ゴクゴク、クー、うまい」
 「ちょーっと、あんた。かね払ってや。うちは慈善事業やってるんと違うんやで」
 「お金はもうなくなりましたよ、店長さん」
 「なんちゅう厚かましい開き直りや。金もないのに入って来て、支払いもせんとその場で立ち飲みかい。ほな、警察に来てもらうから、奥の事務所、行こか」
 「いえ、私のお金がなくなったんではなくて、世の中にお金が存在しなくなったんです」
 「なんやて?」
 「ですから世の中からお金がいらなくなったんですよ、店長さん」
 「何わけのわからんこと言うてんのかいな。お金がいらんわけないやろ。ええから、おとなしく奥の事務所に行き。そこで話を聞いたる。立ち飲みの万引きやなんて、聞いたことないわ。会社をリストラされたんか? 家で奥さんに邪魔者扱いされとんか?」
 「あー、あの、おばちゃん、ではなくて店長さん。そういう話に持っていくんではなくて、フィルムもそう残ってないし、あんまり余計なことは…」
 「そりゃ、すまなんだな、ガハハ。ほな、聞くけど、お金がなかったら、私らどうやって商売するんや? どうやって欲しい物を手に入れるんや? 大昔みたいな物々交換に戻るんか? 何のために仕事するんや? しんどい仕事でもお金が入るからこそ、また明日もがんばろちゅう気になるんやろ」

 「私たちは、20年間かけて、あげっぱなし、もらいっぱなしの世界に移行したんです。
 物やサービスを直接交換するのではなく、人それぞれの仕事の成果はめぐりめぐって、『損得は全体トータルでとんとん』になる、みんなで支えあう世界を実現したんです。そこにお金もカードも労働証明もいらないんです。今の私たちは、お金を稼ぐために働くのではありません。私たちは、みんなで幸福になるために、人類の向上のために、働くのです」
 「ちょっとあんた、何を勘違いしたか知らんが、世の中なめとったらあかんで。世の中はな、どれだけ口先できれいごと並べても結局はお金のために成り立っとんや。人間はお金を稼ぐために働くんや。あんたが今飲んだビールも仕入れにお金がかかっとんや。あんたみたいな変な人がお金も払わんとチョロチョロしとったらうちの従業員に給料払えんようになる。あらゆる諸経費も払えんし、資金繰りもできんようになる。もちろん、麦芽の生産者も困るし、ビール会社も困るし、間の業者さんや運送屋さんかて、お金が入らんかったら、大、大、大迷惑や」

 「店長さん、脱皮前は何をするにも何を得るにも、先立つものはお金でしたが、脱皮した今は世の中にお金自体が存在しないんです。誰も請求書を発行しない代わり、誰も請求書を受け取ることもないのです。資金繰りの心配も支払いも不要なんです。何か物を作る人も、運ぶ人も、研究する人も、事業をしたい人も、何か学びたい人も、必要な物は、無償で入手できるのです。私たちには、そのための合理的で柔軟な仕組みがあるのです」
 「あんたのおつむ・・・は青くさい少年少女のままでストップしとるようやな。顔洗って、現実をよう見てみ。この世の中はお金や。仕事して、お金を稼いで、利益出して、税金を納めて、株主さんに配当を渡して、次の資金を確保して、会社が成長し続けることで、世の中ぐるぐる回っとるんや。働いてもお金が入らんのやったら働く『はりあい』ちゅうもんをどないしてくれんねん。誰一人働かへんわ。嘘やと思うんなら、そこのレジのパートさんに『給料出ませんけど、ずっとタダ働きでいいですか?』とでも聞いてみ。
 レジ、レジ…ありゃ? ここにあったはずのレジが消えとるがな。えー? なんやこれ?
 ドッキリカメラか? おばちゃんは、おばちゃんは、引っ掛からへんでー」
 「やってくれますね、おばちゃん。もしや、演劇部ご出身? と感心してる暇はなくて。
 脱皮した今、レジはありません。レジのパートさんもいません。パート収入が消えたといっても、お金がいらないのだから誰も困りません。働きたければ今こそ必要とされる仕事が豊富にあります。レジ一筋だった人はしばらく寂しいかもしれませんが、それは、レジ打ちがバーコードのスキャン(読み取り)になったときだって同じだったのです。
 脱皮前の私たちは働いてお金が入ると、『はりあい』とか『やりがい』というものを感じていました。しかしそれは、順調な人、順調なときだけです。お金あっての『はりあい』は、いつ谷底まで落ちるかもしれない危険な綱渡りでした。事実、無数の人がお金のために苦しみ、命をすり減らし、命を落としていました」
 「レジもなくタダで品物持って帰れるんやったら、店じゅうの品物、30分で片っぱしから略奪されてしまうがな。それと私、出身はハンドボール部や。演劇部にはご縁なくてな」
 「品物、なくなってますか?」
 「なくなって、ないな」
 「もしも脱皮前の世界で、ある日突然何でも無料となったら、きれいさっぱり持って行かれていたことでしょう。大型冷蔵設備まで運び出されていたかもしれません。しかし、私たちは、命あることを、労働のあり方を、お金のことを、一から問い直し、対話を重ね、ある日突然ではなく20年という期間をかけて、お金を必要としない世界に徐々に移行していったのです。
 その20年の脱皮期間中にも脱皮してから後も、略奪こそなくても無料となれば、欲張ってあれこれと持ち帰る人もいました。もちろん、それはめられたものではありませんが、子どもが欲張って他の子のおやつまで食べてしまうことがあるように、長い目で全体として見れば些細ささいなことだったのです。何を隠そう、私は今でも車で来るとビールを10ケースばかりもらって帰りたい気になることがあります。惣菜そうざいコーナーにできたての唐揚からあげがあると、大きめのタッパーに詰め替えて持ち帰りたい衝動にかられます。しかし、深呼吸して頭を3秒冷やせば、ビールを自宅で保管するには場所を取るし、品質が落ちていくのはもったいないし、ビール作りに関わる人に恥ずかしくなります。唐揚げをそんなに欲張って食べても体に悪そうだし、他の人の分がなくなるし、作っている人にもニワトリたちにも申し訳なくなります」
 「何のことですか? ココッ」
 「タマ子、これは人間の大人の会話だからね。もうしばらく、おとなしくしてるんだよ」
 「コッ」

 「話を続けますと、『きょうはスーパーでこんなに取ってきた』と知り合いや近所に自慢して分けようとしても、今は奇妙な人と思われるだけでしょう。
 お金が当たり前だった脱皮前の世界は力くらべの世界でした。お金や物がないと、人は不安にかられ、お金持ちをうらやましがりました。競って物を所有しようとしました。見栄を張って高価なブランド品を買おうとしました。しかし、私たちは脱皮し、ほどよく脱力もして、私たちの慎みや恥じらいというつぼみも、少しずつ自然に開いていったのです。
 脱皮した世界では、利益を出すための小細工も誇大広告も値引き合戦も不要です。食品偽装や手抜き工事などのごまかしも意味がなく、起こりようもないのです。良い物を作り良いサービスを提供し、みんなに喜んでもらえることが、自分の仕事への誇りとなり情熱となるのです。そこにこそ本物の『はりあい』や『やりがい』があるのです。そこでこそ人は、見かけの豊かさや上辺うわべの優しさでなく、真の豊かさや優しさを具現できるのです。その大人たちの姿や心の余裕は子どもたちに伝わります。強く美しい心根こころねは上からの強制や道徳教育によってではなく、身近な人々のお手本の中でこそ揺るぎなくはぐくまれていくのです。同時に私たちは、愚かしいこともしてしまう人間の負の可能性を、歴史教育や芸術や文学などを通して伝えていっています」
 「そないな夢みたいな絵空事えそらごと、現実にあるわけないやろ。人間は欲深い動物や。しかも、頭でっかちで、その頭の使い方を持て余してんのや。お金を間にはさまず『仲良しこよし』でやっていけるほど人間は立派とちゃうんや。人の欲と欲の間にお金が入って、仲を取り持つからこそ凶暴な事件も戦争もこの程度ですんでるわけや。あんたかて、どうしようもない食いしん坊で、呑兵衛のんべえで、ど助平すけべいでございます、と顔に描いてあるやないか」
 「お、おばちゃん、私のことは、ほぼ完璧に的中していますが、そんなことまで発表してもらわなくていいです」
 「そりゃ、すまんかったな。おばちゃんちゃうで、店長やで」
 「そうでした。店長さん」

 「つまりやな、おばちゃんが言っておきたいことはやな、人間は欲望のかたまりやから、お金の存在しない世界なんか絶対に無理ということや。百歩譲って、できたとしても何百年も先のことやな」
 「しかし、店長さん、レジはありませんよね。品物も略奪されてませんよね」
 「そうやったな。けど、まあそれは、これが架空の話やから、てなことあらへんの?」
 「お、おばちゃん、それも余計な突っ込み…てなこともないか。この際、架空か現実かなんてどっちでも良いことです。本質は架空も時空も飛び越えますからね」
 「なんや知らんが大げさやな。ほな、どないして脱皮したか、それを言うてみなはれ」
 「かたじけない。では言うてみます。
 私たちはお金の経済から脱皮しました。といっても、虫の脱皮にさなぎの段階があるように、私たちもいきなり脱皮できたのではありません。私たちは、どこにも手本がなく、うんとめて試行錯誤もしたから脱皮に20年かかりました。しかし、やり方次第ではもっと早く達成できたようにも思います。
 その脱皮期間は長すぎてはいけません。『300年先には』『いつか遠い未来なら』なんて言っていたら、誰も本気になれません。現役世代のほとんどの人が享受きょうじゅでき、年老いた人もできるだけ間に合い、間に合いそうにない人も安心して期待して後を託せる、そんな期間でなければならないのです。しかし焦ってもいけません。足元がおぼつかないままの性急さは、どんな場面でも危ないものだから。
 また、『人類の脳の前頭葉ぜんとうようがもっと進化したら』なんて言っていたら、その前に人類が終わってしまいます。私たちは、進化したから脱皮できたのではありません。脱皮し始めた世界が、魅力的で優しく幸福であると、来る日も来る日も実感できたから、徐々に感情をうまくコントロールし、理性的に行動できるようになってきたのだと感じています。
 私たちは、死ぬ間際まで年齢と知識と経験を重ね、十分に分別が付くのを待って、結婚するわけではありません。よぼよぼになる頃には分別が付いているとも限りません。子どもを授かりたくても遅すぎます。それと同様に、祝福すべき大きな変化のためには、たとえ未熟でも、困難に立ち向かう勇気や勢いが必要なのです」

 「前置きの長い人やな。何をどうしたのか、さっさと出さんかいな」
 「はい、店長さん。しかし、あんまりかさないでください。
 私たちは、次の二つの原則で『お金の仕組み』を見直しました。
 (1) お金の仕組みは、人間を苦しめるものであってはならない
 (2) お金の仕組みは、わかりやすくなくてはならない

 少しみ砕いて説明しますと、
 (1) お金の仕組みは、人間を苦しめるものであってはならない…お金は元々、天から降ってきたものでも、地からき出てきたものでもありません。お金は人間が作ったものです。そのお金に人間が振り回され苦しみ続けるのはおかしい、と私たちは思ったのです。

 (2) お金の仕組みは、わかりやすくなくてはならない…人が築き上げてきた『お金の経済』というシステム。そこには厚いブルーシートをかぶせたまま、私たちは様々な社会問題に取り組んでいました。財源は? 予算は? と言いながら。その間にも専門家の人たちさえ当惑するほど『お金の経済』は混迷し、問題は深刻さを増していました。
 一方で、経済の難解な用語や理論や数式、国や銀行間の複雑で不透明なお金の流れなどは一般の人々にしてみれば、始めからお手上げで、少しでも手元のお金を守ろうとするしかなかったのです。しかし、それこそおかしい。お金は子どもにもわかるシンプルなものでなくては、真に経済を滑らかに、真に人を幸福にはできない、と私たちは思ったのです」

 「それで、どないしたんや? ええ加減に出さんかいな、コッコ」
 「あー、はい。え? なんでタマ子が? おばちゃんはどうした?」
 「おばちゃんは、『晩ご飯の仕度したくあるから、もう帰るわ』と言って帰りました。コッコ。それと、『あんたのご主人、回りくどい上に、周りが見えてないみたいやから、ケツたたいたらなあかんで。まあ、そうは言うても、他の星の人に一発でわかってもらうんは確かに難儀やろな。おばちゃんかて、脱皮前には、こないなええ・・世界になるなんて信じられへんかったしな。ほなまたな。あ、そうや、ついでにあんたを予約しとくわ。今度うたら、どうでも、もろて帰るで』とのことでした。コッコ」

 「そうだったのか。ついつい熱くなって気づかなかったな。おばちゃん、出演お疲れ様でした。なお、ギャラは出ません。予約も永遠のキャンセル待ちとなります。あしからず。
 タマ子もおばちゃんに捕まらず、よくやったな。では、さて、ここから本丸です。
 私たちが、二つの原則を踏まえて、脱皮に成功した最大の要因、それが、
 『政府通貨』だったのです」
 「何ですか、それ? ココッ」
 「政府通貨とは、国(政府)の通貨発行権によって発行され流通するお金です。
 脱皮前、紙幣は、国(政府)とは独立した中央銀行によって発行され、見えないお金(口座上のお金)の大部分は、民間銀行で国民の借金から作り出されていました。
 しかし、私たちは、通貨発行権を完全に国(政府)のものとし、『政府通貨』を実現しました。
 通貨発行権は本来、国(政府)の権利であり、お金は本来、国民の経済を滑らかに国民を豊かにするための手段だからです。それにまた、民間銀行で利子付きの借金から作られる口座上のお金、国債の運用などは、利子の成長に負けない経済成長を社会に強要します。ところが、有限の資源に対し永遠の経済成長などあるはずもなく、経済は、浮沈を繰り返しながら、長期的には必然的に行き詰まってあらゆる社会問題に波及するからです。(詳しくは、『お金の経済』ご参照)
 そこで、出てきたのが、
 『国(政府)の通貨発行権は、おかあさんの母乳』だったのです」
 「また何ですか、それ? ココッ」
 「これは、通貨発行権を国(政府)に帰するために掲げられたスローガン(標語) です。
 私ががんばって解説しますと、
 粉ミルクは良い物です。母乳が出なくても、授乳が難しい場面でも、代わりとなり補助となります。しかし、良い母乳が出るにもかかわらず、粉ミルクしか許されないとしたら、あなたはどう思われますか? …赤ちゃんに母乳を飲ませようとして、おかあさんは偉い人に制止され次のように言われました。
 『あなたの母乳が出るはるか昔から、我々はこの町で粉ミルクを売ってきた。ルールに従ってもらわないと困りますよ』
 よくわからないけどルールなら仕方がないかと、おかあさんは粉ミルクを買って赤ちゃんに与えます。良い粉ミルクなら良かったのに、金もうけ優先で作られたその粉ミルクは不純物が入っていて、赤ちゃんは体調を崩し苦しみました。おかあさんは言いました。
 『粉ミルクが世の中に出回る遥か昔から、人類の母乳は出ていました。哺乳類の母乳なら太古の時代から出ていました。粉ミルクがあれば助かるときもあるけれど、私は母乳中心でこの子を育てたいと思います』
 偉い人は厳しく警告しました。
 『あなたは何もわかっていない。我々がなぜ母乳を禁止し粉ミルクにしたか。それは、ミルクの出所でどころの独立性を重視するからに他ならない。母乳では母親の状態次第で与え過ぎたり、逆に与えなかったりして赤ちゃんを不健康にしてしまう。特に、際限なく与えて、ひどい母乳過多になりミルクの価値がガタ落ちしては大変なことになる。実際に昔あった失敗を教訓に我々は粉ミルクに決定した。母乳は暴挙だ。無責任な行動はおやめなさい』
 しかし、おかあさんは、偉い人の言うことをききませんでした。
 『この子は今、粉ミルクで現に苦しんでいます。私は昔あった失敗には十分注意して母乳で育てることにします。周りにも注意して見守ってもらいます』
 母乳で赤ちゃんは回復し、良い粉ミルクの助けもかりながら元気に育ちました。
 『国(政府)の通貨発行権は、おかあさんの母乳』…は、国(政府)が発行する通貨こそおかあさんのオッパイから出る母乳のように、本来の望ましい姿という意図でした」
 「ココッコ、うちの主人が変なお話を持ち出しまして、すみません。コッコ」
 「では、ふざけていると思う人がおられるかもしれませんので(私たちは大真面目まじめなんですが)、現実に即しますと、国(政府)が発行する『政府通貨』は、実は古くからありました。硬貨がそれです。しかし、一枚一枚が硬貨より高額な紙幣は、国(政府)ではなく中央銀行が発行していました。昔の政府や他国の政府が紙幣を乱発して超インフレになり、紙幣が紙くず同然になったにがい経験から、紙幣は国(政府)とは独立した中央銀行が発行することになっていたのです。
 金額の総計でいうと、紙幣が95%に対し、政府通貨である硬貨は5%程度でした。
 私たちの政府通貨は、硬貨だけでなく・・・・・・・紙幣も・・・
見えないお金・・・・・・(口座上のお金・・・・・・・)もすべて・・・・国(政府)が発行するものです。私たちは政府通貨のことを『循環通貨 (略称・循貨じゅんか)』とも呼んでいました。政府が発行する通貨ではあるけれど、政党や政治家や資産家のための道具ではなく、全国民に循環し続ける通貨であることを強調したかったのです。政治に関わる人たちには常に自戒していただきたい思いを込めたのです。もう少しセンスの良い呼び方はなかったものかと個人的には思う次第なのですが」

 「あの、ご主人様。私たち、ずっと通路で邪魔してますよ。もう出ましょうよ、ココッ」
 「え? あ! これは抜かった。皆さん、すみません。すぐに退散します。えーそれから異星の皆さん、この続きはこの外で。タマ子、ナイス、ケツ叩き!」
 「コッコ」
 「タマ子、どうやら私は困った人のようだね」
 「そうなんですよ、ご主人様、ココッ」
 「そうだったのか。困ったものだね。ところで、タマ子、外に出たのはいいけど、どこへ行こうとしてたんだっけ?」
 「循環センターですか? ココッ」
 「ああ、そうだったね。じゃあ、タマ子、循環センターの方に向かおうか…。
 なあ、タマ子、私は自信がないんだよ。私たちの脱皮を異星の人々にうまく伝える自信がね。異星のよく出来る人々は鼻であしらいそうだし、異星の教育ママはわが子に『こんな情けない宇宙人にならないように必死に勉強なさい』と言って聞かせそうな気がする。人々にしたら、お金の仕組みにそれぞれの人生を適合させようと、それこそ必死なのに、そんなところにお金の根源から問い直すような脱皮が届くだろうか? 『突飛で、現実離れしていて、あり得ない』と言われるんだろうな。タマ子、これはやっぱり無理かも」

 「ご主人様、『信じ続ける心が可能性を広げる』って、いつか言ってましたよ。コッコ」
 「お、おお、タマ子、そうだったね」
 「そうですよ、コッコ。バカにされたっていいじゃないですか。だって、ここはこんなにすてきな世界なんですもの。完全じゃなくたってね。ご主人様、しっかり!」
 「そ、そうだな。よし、しっかりするぞ。しかし、タマ子、しっかりして何をするんだろう? 何だかわからなくなってきた。ちょっとしか飲んでないのに酔っ払ったかな?」
 「脱皮のことを紹介するんじゃなかったですか? 『政府通貨』が何たらかんたら言ってましたよ。コッコ」

 「そうだった。

 さて、皆さん。私たちは、脱皮してお金のいらない世界を実現しましたが、初めからお金のいらない世界を目指したわけではありませんでした。当初は、お金と決別しようとしたのではなく、『政府通貨』によってお金の仕組みを健全な姿にしようとしたのです。
 ところが、20年かけて脱皮していく間に、お金が次第に不要になっていったのです」
 「なんだか知らないけど、その調子です。がんばれー、コッコ」

 「私たちは初めの5年間で、お金の仕組みについて現状の問題とその原因を調べ解決策を徹底的に探りました。それは官民挙げてのプロジェクトです。公開討論はテレビやネットで中継され、討論には専門家や識者だけでなく、一般人、学生、ときには中学生や小学生も参加します。専門家が専門用語でまくし立てて煙に巻くようなことは許されません。生まれ変わるお金の仕組みは子どもにもわかるシンプルなものでなければならないからです。5年もかかったわけは途中まで根強い疑いと反対があってめに揉めたからです。
 公開討論が始まるまでは、大人でも『信用創造』も『政府通貨』も聞いたこともない、何それ? という人が大多数で、私もその一人でした。紙幣と硬貨の違いなら、紙と金属の違いで高いお金が紙幣ほどにしか思っていない人も多く、これまた私もその一人でした。
 そもそも、お金がどこでどんな決まりで発行されるのか私も知りませんでした。それほどにお金の仕組みはわかりにくくされ、タブー視されていたのです。
 なお、『信用創造』は、民間の銀行が利子付きの借金としてお金を無同然から作り出すことです。『政府通貨』は、国(政府)の通貨発行権によって作られるお金のことです。(詳しくは、『お金の経済』ご参照)
 『政府通貨』によるお金の仕組みの見直しは、プロジェクト終盤の国民投票で圧倒的支持を得ました(私たちの場合です)。誰かさんの回りくどくてハチャメチャな説明とは大違いの説明や討論が実ったのです。この国民投票は中学生以上の任意投票で実施されました。その後、国会でお金の仕組みの見直しが晴れて決定し、本格準備に入ったのです」
 「ハチャメチャは困ります。でも、その調子。もう一人で大丈夫ですね、コッコ」

 「次の10年間で、『政府通貨』により、お金の仕組みを大胆に簡単にしました。
 中央銀行が発行していたお金も民間銀行が『創造』していた見えないお金(口座上のお金)も国(政府)が発行します。利子付きの借金ではなく。
 その内訳は、紙幣や硬貨の現金が約1%、口座上のお金が約99%になりました。ほとんどが口座上のお金でよいのです。
 『政府通貨』の発行は一度ひとたび動き出せば決して難しいことではありません。
 国(政府)がお金の行き先と発行量を慎重柔軟に決め、中央銀行の機関が発行(物理的に)します。それは国庫に入ります」
 「コッコ?」
 「そう、国(政府)のお金であり、国民のお金なのです。すると、どうなるか?
 税金も保険も不要になるのです。新たな利子も不要になります。
 国(政府)や地方(自治体)が国民や企業から税金や保険料を集めてサービスを四苦八苦しながら配るのではなく、国(政府)が必要なお金を作って必要なところに配るのです。
 だから、個人でも企業でも、税金も保険料も払う必要がなく、公共サービス利用時にも料金を負担する必要がないのです。このことだけでも、収める側も納められる側も膨大な事務負担から開放されました。
 国(政府)や地方(自治体)のため、とどのつまりは国民のために必要でありながら、誰もなるべく払いたがらない税金。そして、必要なところに届かず繰り返される巨額の税金の無駄むだづかい。それは、何という制度の暗部、利権私欲の横暴だったことでしょう。保険もまた同様に、取り取りの保険が矛盾と国民の不満と制度の行き詰まりを抱えていました。

 税金や保険料が不要になるだけでなく、国民の銀行口座には『政府通貨』から『基本金』が給付されます。『年金』や各種様々な給付金はすべて撤廃し基本金に一本化されました。
 基本金は、全国民に一律給付される『標準基本金』と、世帯の年間所得が基準額に満たない場合に差額を付加する『付加基本金』から成り、世帯ごとに給付されます。基準額は、世帯ごとの人数や年齢などによって決められ柔軟に調整されました。

 年金にまつわる諸問題(人口減と高齢化により年金が減っていく問題など)は、『年金シフト』によって解消しました。年金シフトとは年金を白紙に戻し基本金に移行することです。
 納付した年金保険料が『無駄だった』とか『損をした』と感じる人はいませんでした。
 なぜなら、年金保険料が先に晩年を迎えた人々の年金給付に充てられてきた事実に変わりはなく、脱皮する社会には、年金制度を補って余りある経済的恩恵がすべての人にあるからです。しかも、自分たちの子や孫やその先の世代に負担を押し付けずに済みます。年金シフトが瀕死ひんしの年金制度を救い、全国民に現在と未来の安心を届けたのです。

 公共サービスの無料化は、10年の間に、公共性の高い順に徐々に拡充していきます。
 まずは、医療と教育(科学技術などの研究推進を含む)を完全無料にしました。
 関連機関の銀行口座には『政府通貨』から『基本資金』が給付されます。『基本資金』が運営に必要な有形無形のあらゆる支出をカバーします。
 保険料や医療費が払えず通院を我慢し症状が悪化したり、保険の利かない高度医療が受けられず治る病気も治せなかったりといった社会的無情もなくなります。入学金や授業料が払えず進学や通学をあきらめたり、食費にも事欠く中で次から次へ教材費や雑費に追われたりといった社会的無情もなくなります。予算が取れず有意義な研究開発が進まなかったり頓挫とんざしたりといった不条理もなくなります。無料化の対象は公立私立を問わず保育も含む幼児教育から大学や大学院など、すべての教育研究機関になります。
 政府通貨を財源とする教育の完全無料化によって少子化問題は大きく改善していきます。子どもたちが都市にも地方にも増えていきます。ただし、私たちは一国の経済発展や将来の税収確保のために少子化を問題視していたのではありません。経済的理由だけならロボットの生産性向上などで多少は改善します。私たちは、まさにその『経済』に『生命』が振り回された結果、子どもの人数が、親やそのまた親の世代の人数とのバランスを著しく欠いていたことを何より問題視したのです。
 医療と教育を最優先で無料化した理由は、健康が誰にとっても生きる力の根っこであり、教養や考える訓練が強くしなやかな枝葉(視野)を伸ばしていくからです。心身の健康と知恵や科学技術が、豊かで穏やかな人生、社会、国家、そして世界をはぐくむからです。

 医療と教育の次は、電気、ガス、水道、通信(電話、郵便、インターネット)などいわゆるライフラインを無料にしました。医療や教育がさしあたり無用の人もいるのに対しライフラインはほぼ全国民に日常的に不可欠であるため、その恩恵を誰もがすぐに実感しました。関連機関の銀行口座には『政府通貨』から『基本資金』が給付されます。そこで働く人も理不尽な売上ノルマを課せられて苦しむようなことはなくなります。メーター検針などによる使用記録は残ります。無料は資源が無限という意味ではないからです。
 公共交通機関と呼ばれていた電車やバスも無料にしました。高速道路などの有料道路も無料にしました。関連機関の銀行口座には『政府通貨』から『基本資金』が給付されます。
 想像してみてください、改札も券売機もない駅を、運賃箱のないバス乗降口を、料金所のない高速道路を。それらが、いかに、どれほど人々の気持ちや行動を滑らかに自由活発にすることか。
 ほんの一例ですが、私は以前、K急行電鉄のK駅を利用していました。K駅は改札が駅の上り方面にしかなく、駅の南側から来て下り電車に乗るには、踏み切り待ちと大回りをして改札を通り、跨線橋こせんきょうを昇り降りして、下りプラットフォームに出る必要がありました。毎日何千人もの人がその動線と動作を疑いもなく甘受していました。ところが、駅舎両側の改築と周辺の少しの拡張工事で乗降が劇的に簡便になったのです。

 新聞、テレビ、ラジオなどのマスコミも完全無料にしました。関連機関の銀行口座には『政府通貨』から『基本資金』が給付されます。新聞社や放送局などは、読者や視聴者からの購読料や受信料が不要になります。広告主からの広告収入も不要になります。それによって、広告主に気を使わなくていい、発行部数や視聴率も気にする必要ない、利権にも政治圧力にも屈しない報道や様々な番組が当たり前になります。

(中略)

 あなたは言うでしょう。そんな何から何まで『基本金』や『基本資金』をばらいていたら、お金の価値は暴落し、経済は大混乱し、社会はガタガタになるに決まっていると。
 しかし、私たちの社会は、そうはなりませんでした。何となれば、
 私たちは、中央銀行がじかに発行するお金ではなく、民間銀行が個人や企業の借金から創造するお金でもなく、国(政府)の『政府通貨』として、世の中に必要な量のお金を予測しながら発行し、循環するお金として流通させたのです。
 つまり、過剰に出回ることもなく、借金返済によって消えることもないお金なのです。

 世の中に必要なお金の全体量は、そのときの経済規模に応じてだいたい決まっています。
 しかし、脱皮前は、その内の極めて多くのお金が極所に固まったり眠ったりしていました。その残りの生きているお金の中から様々な税金や保険料を徴収し、様々な公共料金を徴収し、それでは足りず、さらに国債などの借金を積み上げながら公共サービスは成り立っていました。もし何かを、たとえば教育を無料にしようとすれば、やれ財源は? やれ何を犠牲に? それ増税やむなし、といった、さも当然のような世の中の動きがありました。
 しかし、借金社会の中で、税金や保険料、さらに料金を徴収しながらサービスを提供することは、息苦しいお金の相殺を果てしなく繰り返すことです。一つの部屋の中でわざわざ暖房と冷房のスイッチを交互に切り替えているようなものです。部屋が快適ならしなくて済むことを延々とやっていたのです。
 一方、私たちの『政府通貨』は、国(政府)から個人や企業や自治体に流れ、社会を循環します。そこから再び国(政府)に税金や保険料などの形で上納する必要はないのです。余ったお金は国庫に戻されますが、原則は一方通行でよいのです。
 過剰に出回ることもなく、突然消えることもなく、お金は社会を循環し続けるのです。
 当初、基本金だけでも、その総額は脱皮前の国家予算を上回るほどの大金でした。しかしそれは、お金の出所でどころが『政府通貨』に変わったからこそ、できたことなのです。
 『お金の価値は暴落し、経済は大混乱し、社会はガタガタになる』という決め付けは、『国(政府)の財源は主に税収、足りない分は国債』という仕組みや、利子付きの借金をベースにした経済成長ありきの枠組みの中での発想なのです。

 すべての民間銀行は、民間のままで中央銀行の支店として機能します。信用創造も国債の運用もしません。手数料も取りません。では利益はどうやって上げるかというと、利益は上げません。あきれ返るのも引っくり返るのもご自由です。席を立つなら今のうちです。
 警察や消防が利益を上げることが目的ではないように、銀行も営利目的ではなく、純粋に社会に貢献する組織になるのです。利益を上げない代わりに、銀行にも『政府通貨』から『基本資金』が給付されます。新規の利子は廃止され、貸出も無利子になります。つまり『信用創造』がなくなり、銀行に給付される『基本資金』に取って代わるのです。『信用創造』との違いは、『基本資金』は、政府通貨として発行され、誰が借金するにも利子は不要で、返済時にも消えずに新たな貸出に回せるということです。社会をまさに循環するのです。

 また、政府通貨のために中央銀行を完全国有化する必要もありません。鉄道でも郵便でも公営か民営かによって業務内容が大きく変わるわけではありません。業務が健全に機能し経済が円滑に回り、そこで働く人が不当に苦しまないことが重要なのであって、政府通貨のもとでは公営か民営かは、脱皮前ほど意味を持たなくなるのです。もちろん関連する法律も柔軟に修正されます。
 さらに、公共サービスの無料化は、公共性の高いものから順次適用されていきます。
 基本金も基本資金も財源は政府通貨です。税金でも保険料でも誰の借金でもありません。
 脱皮前には、生活に余裕がないと感じる人が7割ともいわれ、さらに、決して少なくない人々が生きながら死んでいるかのような生活を余儀なくされていました。
 それが一転、税金も公的保険も公共料金も不要になった社会では、基本金と基本資金によって誰もがお金の不安や苦痛から開放されたのです。

 ここまでのところ、ややこしそうに思えるかもしれませんが、私たちがお金の仕組みで変えた核心は、お金の出所を完全に政府通貨にしたことに尽きるのです。そこから、税金や公的保険や公共料金が不要になり、利子とは決別し、基本金や基本資金の給付が可能になって、国中に仕事が回りお金が回り始めたのです。
 ちなみに、民間のあらゆる各種保険も不要になっていきます。何かあっても政府通貨から十分な補償が支給されるからです。株や社債も不要になっていきます。政府通貨から基本資金が銀行の民間貸出用にストックされ、企業はそれを無利子で借りられるからです。出資者からお金を集める必要がないのです。

 お金はよく血液に例えられました。血液の流れが悪くなると体に支障が出るようにお金もまたよどみなく流れ続けることが社会には何としても必要なのです。それなのになぜ人も組織もお金を貯めようとするかというと、競争社会では貯えがないことには、したいこともできず逆に他者にしたいようにされてしまうからです。
 ところが、政府通貨でお金の仕組みが変わり利子と決別すれば、競争社会はただの社会・・・・・になります。生産力も情報も乏しかった昔とは違います。変化への条件が整い、手負いの競争社会から十分な反省を経て脱皮する社会では、人々が助け合い共に向上していこうとする方向に進みます。『富』がどこにも不足なく行き渡っていくからです。
 この『富』とは奪い合っていた限られたお金や物のことではありません。合理性(人としての望ましいあり方にかなうという意味での合理性)によって、必要十分に作られるお金や物のことです。物やサービスは滑らかに品質が向上し適量が確保されます。だから、個人や組織がせっせと蓄財する必要もなくなっていくのです。

 もう十分にあきれておられると思いますが、私たちには、もう一段階その先がありました。
 というのは、私たちは、初めの5年間と次の10年間で政府通貨によってお金の仕組みを大きく変えましたが、さらにその後の5年間でお金そのものが徐々に不要になっていったのです。それについてこれから…」

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