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夏のエモ鏖(みなごろし)サークルを設立して皆さんの夏を台無しにしたい

「諸君、俺は夏が嫌いだ」

午前3時、屋根が腐り落ちた廃ラブホテル。
高々と積み上げられたスケベ椅子の壇上で、男が呟く。もう3年は朝日を浴びたことのなさそうな土くれ色の顔貌が憎悪に歪む。拡声器を持つ手が震えているのはビタミンDの致命的な不足によるものだ。

「海の家で、夏祭りで、田舎のあぜ道で、文化祭で、この地上で行われるありとあらゆる青春行為が大嫌いだ」

彼の名は徒花 嫌夏(あだばな けんか)
この夏、市役所の全職員の反対を押し切り改名を果たした生粋の夏アンチである。齢15にして自身の青春の全てに見切りをつけ、以降5年間を新海誠新作ポスターの焚き上げに費やす。2浪の末『今後の人生で脳を使う予定のない人専用』と名高い塵芥大学へ入学するも、存在しうる全ての単位を取りこぼし、今、『夏のエモ鏖(みなごろし)サークル』の頂点に立つ。

「脳がボイルされた青春ブタ野郎どもが、雨の日のミミズのように這い上がり、蠢き、赤茶けた男性器を格納する空間を奪い合う醜悪なる陣取りゲーム。それが夏だ。その癖、真に社会のミミズたる我々を落伍者と嘲笑し、小便を浴びせ、干上がった土壌に蹴り飛ばす。それが夏だ。夏の加害性だ」

「俺たちが、このクソッタレた季節を終わらせよう」

嫌夏が拳を振り上げる。3日放置した餅太郎のような頼りなく、小さな拳。
されどそれは、夏に見捨てられ、夏に追い詰められた男たちのズル剥けの導火線に火をつけるのに十分すぎる打金であった。
朽ちたラブホテルから、4つの黒い影が飛び出す。
この夏を、夏のエモを、誅殺するために。

4つの影は走り、然るのちバテた。



のエ鏖(なごろし)サークル、通称ナツモミは夏が来るたび所在不明の劣等感に苦しめられる5人の男子大学生により結成された団体である。
徒花嫌夏を総長とし、幹部は4人。クチナシ・ホオヅキ・ダリア・ヒマワリというコードネームを賜った、揃いも揃って青白く、不吉な顔の男たちだ。

「夏の痛みを忘るるなかれ」

よりによって夏に咲く花々の名を与えられ不満ドロドロ顔の盟友たちに嫌夏はそう言い放った。
さながらいのちのたまを持たされたトゲキッスのように、彼らは自身の名にダメージを受け続け、精神を研ぎ澄まし続けるのである。
刃の如きその切先が、夏の命に届くまで。

これは、彼らナツモミが『夏に伴うエモーショナル』に糞便を投げつけ、できるだけ多くの人の夏の思い出を黄ばんだ便器色にするべく悪戦苦闘する物語だ。
刮目して見よ。見苦しければ、薄目でもよい。


CASE 1. クチナシと海の家

「はい!海の家のバイトは未経験なんですが、なんっていうか、夏の思い出?を作りたいっていうか、みんなの思い出に一役買いたいっていうか笑……はい、そうですね。毎年サーフィンしにここ来るんで、その時よく焼きそば買わせてもらってます笑」

クチナシの任務は海の家に潜入し、黒焦げの若人どもの『ひと夏の恋』を未然に防ぐことだ。
人選の決め手となったのはクチナシの身長171cm体重61kgという(相対的)サーファー体型と、他の追随を許さぬ勤勉無能っぷりである。
ガソリンスタンドで働いてみれば軽自動車にMOCO‘Sキッチンエキストラヴァージンオリーブオイル90mlを注入し、ラーメン屋で働いてみれば客の注文を全て忘れおでんそうめん(オリジナルメニュー)を提供してみせた。

「うん、キミなら他のバイトの子とも仲良くやれそうだ。採用!」

目の前にいるのがそんな初対面の愛想だけはいいナチュラルバイトテロリストであるとは露知らず、店長は彼の日サロ一夜漬けの浅黒い皮膚だけを見て採用した。まるでトロイの木馬のように、クチナシは持ち前のドジでこの店を破壊し尽くすだろう。人のことをメラニン色素含有量でしか判断できないから、こういう目に遭うのだ。


「ハイオク満タン入りますーーーッ!!!」
「クチナシくん!!!!!お客様は!!!!
車じゃない!!!!!!!!!!」

海開き1日目、クチナシは止めどなく来店する浅黒いサーファーにゲシュタルト崩壊を起こし、既に客と黒塗りベンツの区別がつかなくなっていた。
全てのかき氷にMOCO‘Sキッチンエキストラヴァージンオリーブオイル90mlをかけたのが決定打となり、彼はバックヤードに回された。

「こちらクチナシ、俺のミスにより店内で暴動が勃発。営業停止秒読みです、オーバー」

どうしてこんな目に……
ナツモミへの定期連絡を終えたクチナシは嘆く。足元の海砂に涙が染み込む。否、砂ではない。これは彼が微粒子レベルにまで割り尽くした食器類の成れ果てである。

「先パイがド無能だからっすよ、ヘボ野郎」

震えるクチナシの背に嘲笑の声が刺さる。

「アカネちゃん……俺だって頑張ってんだよ……」

少女の名はアカネ。クチナシの同僚であり、出会って3分で彼の無能を看破した。小麦色の肌、ダメージ加工のデニムホットパンツ、健康的な太ももに刻まれたアネモネのタトゥー。彼女を構成する全ての要素がクチナシの精神を屈服させた。

「無能の働き者ほど迷惑なものはねェんすよ!」

食器の砂粒を手際よく片付けながらも、彼女はクチナシへの罵倒を欠かさない。意地悪く吊り上がった口角からは、クチナシがへこたれる様子をこの上なく楽しんでいるのが見てとれる。
やがて黒塗りBMW、否、店長から休憩が言い渡された。

「なんで付いてくんだよ……」
「先パイが!アタシに付き纏ってんすよ?」
「コペルニクス的転回にも程がある」

クチナシの尻拭いに東奔西走しているバイト仲間たちの視線から逃れるように、彼は海沿いの遊歩道を歩く。後ろから早足で着いてくるアカネに定期連絡を妨害され少し苛立つも、クチナシはこういう軽妙なやり取りって生意気後輩系のラノベっぽくていいなとも思っていた。彼は悲しいほどにオタクであった。

「あ、先パイこっち行きましょ」
「ゼィヤ!!!手ッ!!!!!」

アカネに手を取られ舗装もされていない脇道へ入る。薄暗い部屋で震えながら己を抱き締めるしか使い道のなかった右手に小さくやわらかな女性のぬくもりを感じ、当然の帰結として勃起した。



「あ、目ぇ覚めました?……先パイ、手握られただけで失神ってやべーっすよ。」

気がつくと眼下には水平線が広がっていた。周囲に繁る緑葉が額縁のように煌めく海を囲む。
簡潔に書くとクチナシは爆勃起により失神した。
セーヌ川の濁流の如き血潮が全身から股間へ流れ込み、彼の意識を奪った。勃起性貧血である。

「……ここまでおぶってくれたのか、ごめん」
「頭にロープ巻きつけて左右に揺らしながら運びました」
「モアイと同じ方法で……」
「先パイ爆勃起してたんで触りたくなかったんす」

「……綺麗な眺めだな、ここ」

爆勃起に言及された気まずさから咄嗟に話題を変える。

「アタシが小さいときに見つけた秘密のオーシャンビューっす。景色も綺麗なんすけど、なんか、落ち着くんすよね。人の声が消えて、波の音と水光だけが届いて、でも確かに人は彼処にいて」

寂しくない、生きてる絵画みたい。
目を細めて少し遠くの海を眺めるアカネに、クチナシは幼い少女の面影を見た。それはきっと今と変わらず勝ち気で活発で、しかし胸中に行き場のない寂しさを抱えた___________

「アカネちゃんはさ、なんで、俺にちょっかいかけてくるんだ?秘密の場所も、教えてくれたんだ……?」

「……先パイはちょっと似てるんすよ、アタシに。ああいや、アタシはそんなに陰キャじゃないっすけど。実はアタシ、ここで働くの初めてじゃないんす。一年前も、ここでバイトして。店長とノリが合ったんで面接はいけたんすけど、仕事慣れてなくて結構やらかしたりして。客がだんだん黒塗りのベンツに見えてきてママレモンで洗車しちゃったり、一旦お皿割ってから破片を一枚一枚洗ったり」

「お前ヤバ……」
「ハシゴ外さねーでくださいよ」

「……んで、だんだん失望に変わってく周りの目とか、店内に飛び交う生卵とかから逃げてバイト飛んじゃったんすよね。そっから一年、がむしゃらに飲食業の修行して今年リベンジしにきたワケっす」
「お前のときも暴動起きたんだな……」
「ちょっと肌焼いたら名前見ても気付かれませんでしたよ。あの店長、人のことメラニン色素含有量でしか見てねーっすから」

クチナシは今、初めて彼女と本当の意味で言葉を交わすことができていると感じていた。アカネは彼の隣に腰を下ろし、2人でしばし海を眺める。休憩時間は終わったが、まだしばらく大丈夫だろう。店を出たとき、客たちは各々のサーフボードを材料に店長を磔にする十字架を組み立て始めたばかりだった。

「だから初めて見たときから、あーこの人アタシとおんなじだーって気づいたんす。おんなじくらいポンコツで、おんなじくらい外面取り繕ってて、おんなじくらい……人が怖くて、でも関わっていたくて。だからついイジっちゃうんすよね」
「……」
「……でも、先パイはきっとアタシより優しい人っすよ。アタシがイジっても許してくれるし、仕事だって腐らずにやってる。『確かに似たもの同士だったけれど僕ら 同じ人間ではないもんな』って感じっすよね!」

あーあ!なんか、語りすぎちゃった。
そう言ってアカネは静かに目を閉じる。

「海の音、聴きましょ、先パイ。この辺の言い伝えで、心静かに波を聴いていると『海の神様のお告げ』が聴こえてくる、らしいっす」

2人の間に沈黙が降りる。静かな、涼やかなさざなみが耳をくすぐる。目を閉じると、まるで自分が青い海に浮かんでいるようだ。
そこには、少しぎこちない2人と海だけがあった。

夏だけがあった。

「ざざー……今日のバイト終わりにまたここに来たら、お主にいいことが起こるであろー……ざざー」

クチナシが目を開けると、夕陽のように頬を染めたアカネが肩にしなだれかかってきた。

「あ、もしや先パイ聞こえました?神のお告げ」

「神の忠告には、従っといた方がいいっすよー」

へへ、とアカネが笑う。
年相応のあどけない表情で。


その日から、クチナシの定期連絡は途絶えた。


CASE 2. ホオズキと夏祭り

「クチナシからの連絡が来ないンゴねぇ……」

女さんにでも絆されたか、雑魚乙。
悪態をつき暮れ方の神社の軒下から立ち上がる。彼の名はホオズキ。青春の全てをインターネットに費やし、なぜか青春が終わった今も費やし続けている男。頭には馬のマスク、Tシャツには「働いたら負けかなと思ってる」の文字、お母さんがしまむらで買ってきたベルト付きチノパン(折り返しチェック付き)にねずみ色のニューバランス。その出立ちから、近隣の警察署では新米警官の職務質問の初期研修に使われ、陰で『チュートリアルくん』と呼ばれている。
そんな彼の任務は、今夜行われる夏祭りをそこはかとなくぶち壊すことである。立ち並ぶ屋台と盆踊り大会、そしてフィナーレを飾る花火。祭りの目玉であるその3つに、ホオズキは罠を仕掛けた。有り余る余暇と実家の太さを活用した彼の計画は完璧に思えた。

「ふふ、ねえお兄さん。何か面白いことを企んでいるお顔ですねぇ?」

この女、カガチに出会うまでは。



「すごーい!じゃああのコピペもホオズキさんが?」
「まあせやな。ちな辛辣レスの流行りもワイが発端や(隙自語)」
「えー!ぐうレジェじゃないですかぁ!」
「タスマニアたけしもワイやし、VIPPERやった頃は『魔王倒したし帰るか』いうSSも書いたで」
「うっそー!あれエレファント速報で読んで3日くらい鬱になりましたよぉー!」

揺れるカガチの姫カットに浮かされ、ホオズキの虚言は止まらない。控えめなアネモネの髪飾りに血走った目が吸い寄せられる。
突如現れた、全てを透過する硝子細工のような眼差しを湛えた柳眉の女さん。マッマにしか話したことのないような匿名掲示板の話題に、楽しそうにころころと表情を変える女さん。生まれてこの方入ったことのないスターバックス。祭りが始まる前の静かに浮き立つ熱気。テーブル席なのに隣に座る女さん。あらゆるイレギュラーが、ホオズキの心を惑わせる。
落ち着いてクレメンス、ワイ将の拍動。
ワイは孤独に、静かに、この夏のエモを、夏祭りを、台無しにせな(アカン)。
警鐘を鳴らす思考とは裏腹に、ホオズキの弁は止まらない。

「ほんでな、田代砲を開発したのもワイ……あ、すまんな。定期連絡の時間や」
「ええんやでぇー、えへへ」

スマートフォンに表示された『経過ヲ報告セヨ』の通知がホオズキに冷静さを取り戻させる。

「経過は順調、あとは開始を待つのみ……と」
「ねぇえー、そろそろ教えてくださいよぉ。ホオズキさんたち夏祭りに何しようとしてるんですかぁ?『祭り』ってやつですかぁ?」
「あかん、教えへん。用済みじゃ失せろ」
「あは、出た!辛辣で草!」

席を立とうとするホオズキをカガチの少し骨ばった手が引き留める。
爆勃起によりホオズキは着席を余儀なくされた。

「ねえ、教えてくれたらなんでもしますからぁ」
「ん?今、」

「言いましたよ?なぁんでもしてあげる、って」

ホオズキはもう、限界だった。



でな、屋台が並ぶ通りに簡易コストコを出店すんねん。安くて高品質な商品見たらたっかい屋台でもの買おうとするニキなんて一人もおらんくなるやろ?ん?あぁ、大丈夫や、設営はワイのFラン大学の『よろず設営サークル』に一任してある。設営することでしか快楽を得られへんゴミどもや。ヤバ杉内。ワイは実家も野太いからな、予算も心配あらへん。ほんでな、盆踊りのスピーカーをジャックして『ちんこ音頭』流すねん。会場ヒエッヒエで草。なおあれもワイが作曲したもよう。そんでもって花火はな、初っ端にワイお手製のを勝手に1発打ち上げるんや。まあこれは後のお楽しみやね。台無しなるで〜、これは。勝ったなガハハ!

半年かけて練った計画の全てを話したのちホオズキおは急速に冷静になり、己の右腕に豊満な胸を寄せるこの女さんがナツモミの敵対組織で、自分たちの計画を破綻させようとしている刺客なのではないかと思い立ちガクブルした。
しかし、心配とは裏腹に計画は至極順調に進んだ。コストコが出店された屋台通りはさながらイオンに侵食された商店街のように破綻し、盆踊り会場の広場は大音量で流れる『ちんこ音頭』から逃れる家族連れで大混乱。広場はモナーのコスプレをした社会の落伍者どもが踊り狂う地獄絵図と化した。

「ほなあとは花火が一望できるこの高台の茂みで変態糞親父の朗読を流してカップルどもを退散させるだけやな」
「ほんとにすごいねぇ、ホオズキくん。夏祭りが台無しだ、あは!」

悲鳴が飛び交う祭り会場を頬を上気させて眺めるカガチの横顔に、ホオズキは生唾を飲み込む。

あかん、あかんで。こんなん地雷に決まっとる。
惚れたらあかん、惚れたら負けや。惚れてもうたら、ナツモミでの居場所も、この薄汚れた信念も、プライドも、なんもかんもないなる。

「ねえ、ホオズキくん」

カガチの唇が艶めかしく動く。

あかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかん。

「なぁんでも、してあげるよ?」

花火が上がった。
夜空に、『おわり』と書かれたパプテマス・シロッコのAA花火が咲く。

その日から、ホオズキの定期連絡は途絶えた。


CASE 3. ダリアと田舎のあぜ道

「クチナシとホオズキからの連絡が来ねぇ」

女にでも絆されたか、やれやれ。
突き刺す日光に手をかざし、ダリアは田舎道を歩き出す。彼の任務は夏エモのメッカ、片田舎のあぜ道で発生する病弱白ワンピ美少女と思春期男子のサマーロマンスを妨害することだ。実に3000本に登るエロゲームを完全攻略し、セカイ系ラノベの全てを読破したダリアにしかできない任務である。思春期の全てをそれらに捧げ、ついには目元にエロゲ特有の謎の影みたいなのが発生するようになったダリアは『徒花嫌夏に最も近い男』として他の幹部からも一目置かれている。彼には未来への希望も、異性への期待も、ない。
故に、今目の前に立っている麦わら帽子ワンピース黒髪病弱美少女に誑かされる可能性など______

「けほっ……こんにちは、お兄様。私の名前はキク。余命1ヶ月で世界の存続のために生贄の巫女に選ばれていて一族の因習により背中にアネモネの焼印を押されていて記憶を失っていて憑依体質で幼い頃あなたに会ったことがあって今から死体を埋めに行くところで実は10年前に死んでいます。

ねえ、私を救って……」


その日から、ダリアの定期連絡は途絶えた。


CASE 4. ヒマワリと文化祭

「絶対におかしい」

ヒマワリが潜入した高校の空き教室で頭を抱えている理由は幹部3人からの定期連絡が次々と途絶えているため、だけではない。

「ちょっと!ぬぁぁにボケっとしてんのよアホンダラゲーー!SQS団のブース設営がまだ終わってないでしょ!?」
「ヒマワリさん、文化祭の備品が次々と盗まれているようです。私、気になります!」
「先輩、ゲリラ演劇『プリンセスこけし』のキャストが捕まりました。お手を貸していただけませんか?」
「余計なことしないで!この駄犬!!どうせあのクソジジイは文化祭には来ないわよ……」

先刻から、普段なら誰も近寄らない筈のこの空き教室に多種多様な美少女たちが押し寄せてきているのだ。
これは夢か、それとも幻か?
20数年にわたる異性への渇きの末に脳が作り出した蜃気楼なのか?
ひしめく美少女たちとぐらつき始めたナツモミへの忠義。恐怖の果てに、ヒマワリは大量の綾波に囲まれL.C.L.化した青葉シゲルの心情を完全に理解した。

走馬灯が脳裏を駆ける。

消息を絶つ幹部たち。夏のエモ鏖サークル。
ナツモミ。夏への憎悪。青春。
迫り来る美少女。文化祭。
海の家。田舎のあぜ道。夏祭り。
少女たちの手首に光るアネモネのブレスレット。


徒花嫌夏。


思考の濁流のなかで、何かが繋がった。
ヒマワリは四方八方の美少女たちに唾を吐き、廃ラブホテルへ駆けた。
全てが始まった、あの場所へ。


CASE 5. 徒花嫌夏


「……どうした。反吐をぶちまけられたコンクリートのような顔色だぞ。我が同胞、ヒマワリよ。ドデカミンを飲むか?」

スケベ椅子の階段を、ふらふらとした足取りで降りる嫌夏。
ヒマワリがそれを睨みつける。
嫌夏の顔色の悪さはこの数日でますます深刻化し、午前3時、夜明け前の漆黒の保護色となっていた。

「嫌夏と話すときは奴の白目に意識を集中しろ」

いつだったか、ダリアがそんなことを言っていた。

「あいつは夜の闇に溶ける魔物だ。あいつの隠しきれない『白』を見据えろ。さもなくば、夜と同じ数の嫌夏が、闇と同じ量の嫌夏が、俺たちの心を呑み込む」

深夜に考えたんだろうなこのセリフ、と一笑に付した自分を殴りたくなる。
『嫌夏に最も近い男』の忠告は、なるほど的を射ていた。
なんなんだこの威圧感は、この不安感は。
『夏』という概念を打ち消す渦が蠢きながら近寄ってくるようだ。
ヒマワリは心底から湧き上がる震えを必死に抑え、口を開く。

「幹部が3人消えた」
「そうだな」
「これについてどう考える。徒花、嫌夏」

嫌夏が長いため息を吐いた。
人間が内側から腐っていくときにしか出ない悪臭が鼻腔を突く。

「残念なことだよ。同志を失うのは。夏はいつも俺からなにかを奪う。始まりの夏は胎内の温もりを、次の夏は無我を、その次は庇護を。そして今年は、仲間を」

「しかしだ、彼らはよくやってくれた。海の家では暴動の末、サーフボードの十字架にくくりつけられた店長を教祖としたカルト宗教が誕生した。夏祭りも酷かったようだな。『おわり』のAA花火を見て観客は全員本物の花火を拝むことなく帰ったらしい。実際あの会場は、まあ、終わっていたしな。田舎のあぜ道エリアはダリアを送った時点でなにも心配してはいない。あいつは夏と刺し違えてでも任務をやり通す男だ。万事順調であると言える」

君、以外は。

黒く乾いた眼光がヒマワリを貫く。
怯えるな。
し、ろ、白、を。
白を、見据えろ。

「なぜ任務を放棄している?なぜ夏をむざむざ見逃す?文化祭はあすには大団円だ。演劇ステージで脱糞せよ。お化け屋敷で嘔吐せよ。メイドカフェで喀血せよ。空き教室で______」

「黙れ!!」

ヒマワリが吠える。口の端が切れ、血が滴った。

「お前が、お前が幹部たちを籠絡したんだろう。アネモネを身につけた少女たちを使って。あいつらの干上がった心に仮初の瓶ラムネを垂らし、夏への恨みを、ナツモミへの忠義を忘れさせた!任務を遂行させた上で!違うか!!」

蝉の声がやけに大きく響く。
嫌夏の口がぎ、ぎ、と歪む。笑っているのだ。
その様はまるで。
世界の全てから疎まれ虐げられた種子が、汚泥に塗れた掃き溜めに根を張り、開花したかのようだ。

「きみはなんにもしんじちゃいないんだねえ」

心から嬉しそうに嫌夏は囁く。

「正解だよ、ヒマワリ。アネモネ隊の少女たちは俺の配下だ。正式名称を『アンチヒーロー気取りの根暗の非モテを根絶やしにし隊』という。現場でナツモミの連中と接触させ、一夏の恋の予感をちらつかせて奴らの中の憎悪の火を、サマーコンプレックスを消し去る。全ては、俺のマッチポンプだ」

「ふざけるな。俺たちを更生させようって魂胆か」

「あはははははは!まさか!逆だよ」



俺はね、君たち同胞のことも等しく恨んでいる。



シーブリーズとエモーショナルの臭いで充満したキャンパスを這いずって掲示板の『ナツモミ、メンバー募集!』のチラシを見つけたとき、胸が踊らなかったか?俺ってイケてない大学生だけどイケてない奴ら同士で集まってこういうバカみたいな無益なことして過ごす夏も悪くないよな、という思考が一瞬でもよぎらなかったか?森見登美彦の小説の冴えない男子大学生に自分を重ねて、あとは小津と樋口師匠がいればなぁ、とか思ったことは?こまっしゃくれた文体で登美彦モドキのクソ私小説を書いてみたことは?

あるだろう?俺はあるよ。だから嫌いだった。だから憎んだ。だから、そういう奴らが集まるようなサークルを立ち上げた。

お前らみたいな、救われないことに救われてるマゾエモ野郎どもを救って殺す。

それでようやく、
夏のエモ鏖サークルは完成するんだ。



ケホッ、ケホッ、と嫌夏は静かに咳き込んだ。
彼にはもう先ほどまでの威圧感はなく、真実と共に気迫まで吐き出してしまったように見える。

「……それで嫌夏、お前はどうする。『救われないこと』でも救われないお前はこの先、毎年訪れるこの痛みをどうやって乗り越えるんだ」

「はは、乗り越える必要はないよ、ヒマワリ。俺は生涯をこの痛みと共にする。あったかもしれない、もう失われた未来の幻肢痛とね。

それに、世界にはまだまだぶち壊さなくちゃいけない夏がある。救わなきゃいけないカスがいる。
全ての夏を鏖殺するまで、俺は止まらない。
それが俺から世界へ贈る献花だ。
アネモネ隊は適当な理由をつけてあいつらの元を去るだろう。この夏と共に。救いを得て、そして失った彼らがどうなるかは君が見届けたまえ。真実を話すも口を噤むも君次第だよ」



そして俺も 夏と共に去ろう

今はね なんでだろう 痛くないんだ

とても エモーショナルな きぶん だ


廃ラブホテルの崩落した天井から朝日が差し込む。
陽だまりに包まれた徒花嫌夏は、
泣きたくなるほどに、
ふつうの どこにでもいる青年だった。

バイバイ、と手を振り足元のスイッチを踏む。
そびえ立つスケベ椅子の祭壇が一瞬、嫌夏の背後で後光のように形を変え、次の刹那には彼を巻き込みながら崩れていった。
よろず設営サークルの仕込んだカラクリだろう。

スケベ津波の跡地には、嫌夏の姿はない。




午前4時半、早朝。

静止した廃墟に、向日葵だけが揺れていた。







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