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印象派 モネからアメリカへ

 第1回印象派展から150周年を迎える2024年、印象派がヨーロッパやアメリカへもたらした衝撃と影響をたどる展覧会「印象派 モネからアメリカへーウスター美術館所蔵ー」が2024年4月7日(日)まで東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36)にて開催中。
 「もともとフランスの印象派は日本の浮世絵に影響を受けました。それがアメリカに渡りました。今回、その作品の数々が日本にやって来ました。まるで里帰りしたかのようです」と東京都美術館の学芸員・大橋菜都子さんは朝日カルチャーセンター新宿教室で語った。
 開室時間は午前9時半から午後5時半。金曜日は午後8時まで。入室は閉室の30分前までとなっている。休室日は月曜日と2月13日(火)。ただし、2月12日(月・祝)、3月11日(月)、3月25日(月)は開室。
 一般2200円、大学・専門校生1300円、65歳以上1500円。
 その後、2024年4月20日(土から6月23日(日)まで郡山市立美術館、7月6日(土)から9月29日(日)まで東京富士美術館(八王子市)、10月12日(土)から2025年1月5日(日)まであべのハルカス美術館に巡回する予定だ。


 パリには内外から多くの画家たちが集った。同地で印象派に触れ、学んだ画家たちは、新しい絵画の表現方法を本国に持ち帰った。本展では、西洋美術の伝統を覆した印象派の革新性とその広がり、とりわけアメリカ各地で展開した印象派の諸相に注目している。
 東京都美術館の大橋学芸員は印象派の特徴としては「細かいタッチで画面に色を置いていく。近づくとただの絵の具だが、離れてみると目の中でいろいろな色が溶け合って新しい色に見えてくるところ」だと話す。
 これまで日本で紹介される機会が少なかった、知られざるアメリカ印象派の作品が公開されている。フランスからアメリカに渡った印象派は各地で独自に展開していき、その技法はニューイングランドの田園風景など、アメリカらしいテーマで花開いていくことになる。
 アメリカ・ボストン近郊に位置するウスター美術館の印象派コレクションが日本に初上陸。大橋学芸員によると、ウスター美術館が1898年に開館した当時、印象派は「現代美術」だったが、その後10-20年間、印象派を集中的に収集した。現在、印象派も含め約4万点を収蔵している。
 今回の展覧会はウスター美術館が企画したもので、昨年4-7月にウスターで、その後フロリダ州のタンパに巡回していた。
 モネ、ルノワールなどフランスの印象派、ドイツや北欧の作家、さらにはアメリカの印象派を代表するハッサム、さらにはクールベ、コロー、シスレー、ピサロ、カサット、セザンヌ、シニャックら40人以上の画家の作品が集結している。油彩画約70点が展示されている。

 第1章「伝統への挑戦」ー急速に近代化する19世紀、画家たちも新しい主題や技術を探求する。19世紀後半、農村に移り住んだ画家たちは、農民の生活や田園風景を主題に選んだ。バルビゾンはやレアリスムの画家たちは祖国フランスに目を向け、身の回りの風景に注目する。これは歴史画を頂点とする伝統的な絵画のヒエラルキーを覆すものだった。また、アメリカにおいても、自国の雄大な自然に対する関心が高まり、「アメリカ的な」風景が人気を博す。この章では、大西洋の両岸における、こうした印象派の先駆けとなる動きを紹介している。
 第2章「パリと印象派の画家たち」ー1874年4月、パリのカピュシーヌ大通り35番地にて、のちに「印象派」と呼ばれる画家たちによる初めての展覧会が開催された。クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、カミーユ・ピサロらは、サロンへの出品をやめ、自分たちで作品を展示する場をつくり出した。彼らはアカデミーの伝統から離れ、目に映る世界をカンヴァスに捉えようと、アトリエを出て、鮮やかな色彩を採用し、大胆な筆づかいを試みた。また、大都市パリには各地から芸術家が集った。本章ではフランス印象派に加え、彼らと直接に交流をもち、影響を受けたアメリカ人画家、メアリー・カサットやチャイルド・ハッサムの作品も紹介。
 第3章「国際的な広がり」-パリを訪れ印象派に触れた画家たちは、鮮やかな色彩、大胆な筆触、同時代の都市生活の主題などを特徴とする、新しい絵画の様式を自国へ持ち帰る。印象派の衝撃は急速に各地に広がるが、多くはフランス印象派に固執するものでなっく、各地で独自に展開してゆく。画家たちの往来・交流により、印象派と分類されない画家や、フランスを訪れたことがない画家にも、印象派の様式は波及した。日本も例外ではなく、明治期にパリに留学した画家らによって印象派は日本にもすぐに伝えられた。本章では、国内の美術館に所蔵される黒田清輝や久米桂一郎らの明治期から大正期の作品を展示し、日本における印象派受容の一端をたどる。
 第4章「アメリカの印象派」-1880年代になると、アメリカの画商や収集家はヨーロッパの印象派に熱い視線を送るようになる。多くのアメリカ人の画家がヨーロッパに渡り、印象派の様式を現地で学んだ。いち早くそれを自らの制作に取り入れたウィリアム・メリット・チェイスやチャイルド・ハッサムは、アメリカに戻ると画家仲間や学生たちにも新しい絵画表現を広めた。アメリカにおける印象派は、それぞれの画家の独自の解釈を交えて広がっていき、地域ごとに少しずつ異なる様相を見せていく。
 第5章「まだ見ぬ景色を求めて」-ここで紹介するのは印象派に衝撃を受けた画家たちの作品である。フランスのポスト印象派は、光への関心を継承しつつも自然主義を脱却し、印象派に影響を受けたドイツの画家たちの作品には、自らの内面の表出を重視する表現主義の芽生えが認められる。アメリカでは、トーナリズム(色調主義)の風景画が人気を博す。南北戦争の混乱が続く中、目に見えないものの表現を重視し、落ち着いた色調で描かれるこうした風景は、人々の心の安らぎとなった。南北戦争後は、アメリカと言う国のアイデンティティが求められるようになったこともアメリカの風景を描くことになる背景にはあろう。

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