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『たねなしブドウ』

「君たちの仕事はとても簡単な作業だ」
 薄暗いコンクリートの壁に反響し、工場長の声が響き渡る。
 工場内には長いローター式の機械が道のように室内を埋め尽くしている。
「これは『ベルトコンベア』という。この上には『タネなしブドウ』が流れてくる。君たちは各配置につき、ブドウを一房ずつ箱詰めする作業をしてくれたまえ」
 それが、僕がこの仕事についたときに受けた最初の説明だった。


『タネなしブドウ』。
 それを箱詰めする作業が、僕の仕事だ。
 僕は毎日、ベルトコンベアの上を流れてくるブドウを丁寧に箱に入れていく。
 
「タネなしブドウって、どうやって作るんだろう」
 箱に入れようとしたブドウを眺めて、ある日ふと、そんな考えが浮かんだ。

「……おまえ、手が止まっているぞ」
 背後から主任の声がする。
「申し訳ありません。いま箱に入れるところです」
 僕は持っていたブドウを箱に入れる。
 主任はそれを確認すると、巡回の続きに戻った。去っていく姿を、僕は横目で確認する。

 主任が遠くに行ったのを確認し、いつも隣で作業をしている同僚に声をかけた。
「ねぇ、タネなしブドウってどうやって作るのかな?」
「…………」
「ねぇってば」
「……手を動かせ。見つかったらタダじゃすまないぞ」
「……わかった」

 隣の同僚はいつも会話をすぐに終わらせようとする。
 僕は仕方なく作業に戻る。
 大量に流れてくるブドウを一つ取り上げて、それを丁寧に箱に入れていかなくてはいけない。

「……タネって植物には必ずできるよね」
「さっきからうるさいぞ」
 隣の同僚がこちらを向いた。
「気になるんだよ。どうやって作ったんだと思う?」
「…………」
 同僚は目だけをキョロキョロと左右に動かし、近くに主任がいないことを確認すると小声で答えた。
「品種改良」
「ひんしゅかいりょう?」
「ブドウを育てていく過程で、段々タネができない種類がつくられたんだよ」
「どうやって?」
「そういう分野の、科学とか技術を使ってだろ」
「そうなんだ」
「分かったなら作業に戻れよ」
 
 そう言って同僚はコンベアに向き直って作業を再開した。僕も仕事をしなくてはならない。
 ……でも、何故わざわざタネをなくしたんだろう。

「どうして『タネなしブドウ』なんて作るの?」
「…………」
「ねぇ、ねぇ」
「……またかよ。作業に集中しろ」
「気になるんだよ」
「気にならないようにしろ」
「…………」
「…………」
「ああ、やっぱり無理。気になっちゃう」
「……食べやすいようにするためだろ」
「食べやすいように?」
「タネがあると面倒だろ。食べる人間にとってタネはいらないもの。不必要なものはない方が都合がいいんだよ」
「タネはいらないものなの?」
「そうだよ」
「じゃあこのブドウにはタネの代わりに何が入っているの?」
「実(み)に決まっているだろ」
「そうか。このブドウには実がぎっしり詰まっているのか」
「そう」
「タネがなくなって、実がぎっしり詰まった、皆に喜んでもらえるブドウってこと?」
「そう」
「僕たちの仕事は、その手助けをしているってこと?」
「まぁ、そうだな」
「じゃあ皆に喜んでもらえる仕事なんだ!」
「ああ…………えっ」
 同僚の顔が何故か変わっている。
「その顔どうしたの?」
「……お前こそ」
「どういうこと?」
「お前、今、えが……」
「え?」
「……っ、なんでもない。早く作業に戻るぞ」
 同僚は元の顔に戻り、作業を再開した。どうしたんだろうか。
 不思議に思いながら、僕もコンベアに向き直った。

 流れていくるブドウを手に取る。
 大事なタネのかわりに、実がぎっしり詰まったブドウ。
 皆に喜んでもらえるブドウ。
 
 僕は──。
 あれ? 僕には──。

「……僕にはいったい、何が詰まっているの?」
「いい加減にしろ! じゃないと──」

「おい」
 低い声が背後から聞こえた。主任の声だ。

「お前また手を止めているな」
「主任! すみません、つい……」
「何だ」
「か、考えごとをしていました」
「何だと? 作業中に考えごとをしていたのか?」
「はい……すみません」
「はぁ、考えをしていたのか」
「そうです。すみません……」
「お前もか?」
 主任は隣の同僚に声をかける。
「自分は……」
「彼は悪くありません! 僕が彼の作業を邪魔していました」
「…………」
「そうか、それならお前だけ来い」
 僕は主任の後をついていく。
 
 ちらりと作業場を見ると、先ほど話していた同僚が僕の方をじっと見つめていた。あの顔は、どうしたんだろう。

 連れてこられたのは工場長室だった。
 仕事をクビにされてしまうのだろうか。
 
「なんだね。その顔は」
 室内にいた工場長が僕に話しかけた。
「え? 顔?」
「ああ、実に不安そうという顔だ」
「不安?」
「……まぁいい。君、考え事をしていたんだって? 何を考えていたんだい?」
「その……タネなしブドウについて」
「ほう?」
「タネなしブドウで皆が喜んで、僕もその仕事に関わっているんだなって」
「そうだね。君は皆が喜ぶ仕事をしている」
 そうなんだ!
 ……〈嬉しい〉!
「はい! それで僕自身には何が詰まっているのかと──」
「嬉しそうだね」
「え、嬉しそう?」
「ああ、実にいい笑顔だ」
「…………」
 工場長は、さっきから何を言っているんだろう。

「だけどね」
 工場長は立ち上がり、僕に近づいた。

「君に笑顔は必要ないんだよ」

「えっ……」
 後ろから誰かに首元を叩かれた。

 薄れていく意識の中、僕の目に映ったのは無表情の工場長と主任の顔だった。

 僕、は──。

 ──。

「工場長、報告通りコレ、“思考”していたでしょう」
「ああ。それに“感情”もできてしまっているようだ。どうしてこんな不良品が出てくるんだか」
「ただプログラム通りに動くよう、設定されているはずなんですけどね」
「働くだけのロボットに、思考も感情も必要ないのにな」
「とりあえずコレは修理工場に出しておきますね」
「ああ、頼んだ。
 “いらないもの”は抜いておかないと、不便だからな」

 ──。

『タネなしブドウ』。
 それを箱詰めする作業が僕の仕事だ。

 僕は毎日、このベルトコンベアから流れてくるブドウを丁寧に箱に詰めていく。
 それだけの仕事。

「なぁ……」
 隣で作業する同僚が音声を発した。
「ただいま作業中です」
「…………ああ、そうだな」
 隣の同僚が作業に戻るのを確認し、僕も作業に戻る。

「……ばかなやつ」

 隣の同僚は意味のわからないことを呟いている。顔のパーツも少し崩れているようだ。
 エラーかもしれない。今度主任に報告しておこう。

 僕はブドウを箱に詰めればいいだけ。
 ただ、それだけ。

 それが僕の仕事。

 それだけで人間たちが喜ぶらしい。
 だから僕はこの仕事をする。

 そのように指示(プログラム)をされている。

おしまい。


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