『本の虫』
気がつくと部屋中に雪が降り積もったかのような光景。しかしそんな風情のあるものではない。丸めた紙の屑が散らばっているだけ。
ボツにした自作小説が書かれた紙。書き起こすも、これでは駄目だと握り潰し、床に放る。繰り返すうちにこの有様。
受賞したい。どんな小さな公募でも良い。自身の作品を認めてほしい。そんな心中をため息とともに吐き出す。
足りないのはインプットだと、自身でそう常々感じている。今月末締め切りのコンテストへの応募は見送り、他の優秀な作品から学ぶことに時間を割くべきだろう。
スマホで電子書籍や小説サイトを巡回する。しかしそれも集中力が途切れ、気がつけば気晴らしにと開いたSNSを眺めていた。創作用アカウントで相互フォローの奴の呟きが目に入った。
『報告します。一次審査に受かりました』
自分の胸の中に、何か黒いものが沸々と湧き上がった。
こいつの小説の、どこが面白いのか。オチもない、くそみたいな話じゃあないか。
舌打ちをしながら、そいつの自慢めいた投稿に、心にもない賞賛のコメントを送った。
やはり見送りなどできない。俺はスマホを置き、再び机に向き直った。
「……しまった、紙が」
原稿用紙を全て使い切ってしまっていた。
俺はweb投稿であろうと、一度紙に書き起こさないと上手く書けない。仕方なく、俺は原稿用紙を買いに家を出た。
行き先は駅近くのデパートの文具コーナー。いつもの道を歩いていたが、途中、運悪く道路工事が行われていた。回り道をしろと案内がされている。
早く買って帰り、やる気を損なう前に書き始めたいのにと苛立ちが募る。しかしだからといって状況が変わるわけでもない。仕方なく迂回するため脇道へと入った。
その道を通るのは初めてだったが、駅の方角へ進めば知っている道に出るだろうと、やや急足で歩を進めた。
民家やアパートなどが立ち並ぶ景色が続く。するとその中に、店を見つけた。文房具屋だ。自営業でやっているのだろう、田舎の商店街の一角にあるような古い小さな店だった。
丁度良い。原稿用紙くらいならあるだろう。それなら駅まで歩く必要もなくなる。
透明な自動ドア越しから店内の奥を覗くと、店主であろう爺さんが一人、新聞を広げてレジカウンターに腰掛けていた。営業中であることを確認しながら進むと、自動ドアが開いた。
「……いらっしゃい」
店主はこちらを見て、それだけ言うと再び目線を新聞へと戻した。
他に客もおらず、店内のBGMもない。自分の靴音と、店主の新聞を捲る音が、無駄に大きく聞こえる。はっきり言って居心地が悪い。
早く原稿用紙を買って帰ろう。そう思いながら陳列棚を確認していくと、原稿用紙はすぐに見つかった。
「ん?」
通常の原稿用紙の隣に、ビニールシートに一枚だけ入った原稿用紙が置かれていた。
商品名のところには、『本の虫のための原稿用紙』と書かれていた。
本の虫ーー読書家のための原稿用紙という意味だろうか。
何か特別な仕様があるのか。表は至って普通の20字×20字の枠が入ったごく普通の原稿用紙に見える。折り曲げてみたり、透かしてみたりなどしてみたが、これといって変わったところはない。
すると、すぐ隣から声がした。
「その原稿用紙にはな、虫が住んでいる」
声の主は、先ほどまでカウンターに座っていた店主だった。
「……む、虫?」
驚きながら何とか声を出す。
「本を食らう虫。そいつは書かれた話が好物だ。話を書いてやると、それに見合った報酬をくれる」
店主はニヤっと笑った。
気味が悪く、すぐにその場を去りたかったが、足が竦み動けずにいた。
「特別に500円でいい。税込価格だ」
俺は震える手で財布から500円玉を取り出し、店主に渡した。すると足に力が入るのが分かった。そしてすぐにその場から走り去った。
「原稿用紙1枚で500円はぼったくりだろ……」
息を切らして自宅に辿り着き、最初に漏らしたのがその苦言だった。
あの得体の知れない店主の、言い知れぬ迫力に圧倒されて、怯えて帰ってきたものの、段々と怒りの感情が湧き出ていた。
「しかも虫だって? 気持ち悪い」
原稿用紙に顔を近づけて見てみるが、虫なんてものはどこにも見当たらない。腹が立ち、乱暴に机の上に叩きつけた。
「横着しないでデパートまで行けば良かった……」
今更後悔したところで、買ってしまったものはしょうがない。仕方なくその原稿用紙を使うことにした。
「……これじゃあ駄目だ。こんな、ありきたりすぎる」
いつもの癖で、紙をぐしゃぐしゃに丸めて後ろに放った。
「あっしまった、500円もしたのに!くそっ!……はぁ」
ため息をついて、その場に顔を伏せた。
──カサカサ。
静かな室内に、微かに音が鳴った。
嫌な予感がして、耳を澄ます。
──カサカサ。
今度ははっきりと聞こえた。掃除をさぼっていたせいで、部屋に虫が出たんだろうか。どうしてこうも面倒なことが続くのかと苛々しながら駆除用スプレーを片手に、音の発生源を探した。
──カサカサ。カサカサ。
音の発生源は、先程丸めて捨てたあの原稿用紙の中からだった。よく見ると、丸まった原稿用紙はカサカサという音と共に、小さく動いている。
中に虫がいる。すぐに丸めたはずなのに、いつのまに。
『その中には本を食らう虫がいる』
あの文房具屋の言葉が過ぎった。いやいや、と首を横に振る。
そうこうしていると、音が止んだ。恐る恐る摘むように持ち上げると、ズシリとした重さを感じた。不可解な現象に思わず手を離すと、床に落ちた瞬間、金属のような音が鳴った。
そおっと紙を開くと、そこには100円玉1枚と50円玉1枚の、合計150円が入っていた。お金を入れた覚えはない。カサカサと音を立てていたはずの虫も見当たらない。
更におかしな点がある。俺はこの原稿用紙に、さっき途中まで話を書いていたはずだ。そのはずなのに、そこには一文字も書かれていないかった。
『そいつは話が好物だ。話をやるとそれに見合った報酬をくれる』
そんな空想めいたことが現実にあるはずがない。しかし、実際に文字がなくなり、代わりに金が入っている。
ものは試しだと、僕は原稿用紙の皺を広げて、先程とは違う話を書いた。といっても100字程度の小話だ。
書き終わると、丸めて机の上に置いた。中からカサカサと音がし始めた。鳴り終わる前に中を開くと、文章は途中まで消えていた。そして1円玉が原稿用紙からするりと落ちて、机の上に転がった。
そのままもう一度、その原稿用紙を丸めた。またカサカサと音を立て初め、やがて止まった。今度は音が完全に聞こえなくなったのを確認して、用紙を開いた。
今度は完全に文字が一つもなくなっており、代わりに54円が入っていた。
非常に信じ難いが、この原稿用紙には本当に話を食べる虫とやらが住んでいるようだ。
あの文房具屋は「話に見合った報酬」と言っていた。ということは、この金は書かれている内容に見合った金額なのだろう。
そうなると、今の小話はたった55円。最初の話は150円ということになる。
最初から最後までしっかりと書いたものならどうなるのだろう。文学賞やコンテストに応募する前に、この虫が正当な評価をしてくれるのだとしたら。
俺は次のコンテストに出そうとしていた小説を本の虫の原稿用紙に書いた。食われてしまうので、別のところに書いていたものを転記した。自信作だ。優秀賞を取れたとしたら3万円か。準優秀賞だと1万円。佳作でも5千円。
カサカサと虫が食べ切ったのを確認し、中を開いた。
「100円?!」
思わず叫んだ。
俺の小説は自動販売機の缶ジュースにすら及ばない。落胆していたが、これは賞に応募する前のものだ。ここから書き直してよりよいものにしていけばいい。
「いったい何処が悪かったんだろう。オチが弱いか」
少し書き直して、虫に食わせた。文字は消えず、金も出てこなかった。
虫がいなくなったのかと思い、適当に違う話を書いてみた。文字が消え、120円分の硬貨が出てきた。
「書き直しただけの同じ話は、お気に召さないというわけか」
しかし先程より、微量だが値が上がっている。つまり少しは向上しているということだろう。この調子で何度も書いていけば、受賞が取れるような話が書けるのではないか。
それから俺は色々な話を書いては、毎日虫に食わせていった。
それを数ヶ月続けた。
ある作品を食わせたときだった。
「3万円だ……」
今度のコンテストの大賞に与えられる金額。つまりこの作品を出せば、間違いなく大賞を受賞できるだろう。3枚のお札を見つめながら、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「……3万か」
もう少し粘れば、もっと大きい金額のを目指せるのではないか。ネットで文学賞をいくつか調べると、中には大賞30万円というものもあった。どうせならでかい金額の方がいい。
今回のコンテストは見送った。もっと凄い大金を得られる賞を狙う。
それに応募しなくても、3万手に入ったのだから、特にマイナス要素はない。ちょっと書けば小遣い程度の金額も手に入る。
小説を書いて、金を得ている。これはもう、小説家といっても過言ではないのではないか?本の虫様々だった。
それからまた、原稿用紙に作品を書いては、虫に食わせ続けた。
それから約2ヶ月ほど経った。
あの3万円の作品以降、出てくる金額は1000円、2000円程度。多くて5000円。なかなか大きい金額が出てくることはなかった。
「いっそ電子書籍化して収入を得ようか……」
あの3万円の報酬があった話なら、買ってくれる奴もそこそこいるだろう。そんなことを考えながら、気晴らしにSNSを眺めていた。
『小説のコンテストで大賞を貰いました!』
前に一次審査を通ったとか自慢していた奴。結局あの賞は一次審査止まりだったようだ。それを思いだして、鼻で笑った。
そいつの今回の受賞報告は、俺が見送ったコンテストだった。いったいどんな話を書いたのだろうか。少し気になり受賞作品のリンクから、そいつの作品を読んだ。
「……は?」
俺は絶句した。そこに載っていた作品は、俺が書いたものだったからだ。
正確には、俺が虫に食わせて3万円を得た、あの作品だ。
「……どうなっているんだ」
パソコンに残っているデータを確認する。一言一句間違うことなく、自分が書いた作品だった。
そいつのアカウントは、審査員から絶賛の評価を貰い、フォロワーからの祝いのコメントで溢れていた。
本来それは、全部俺のものになるはずだった。しかし俺はこれをどこにも発表していない。俺の作品だと主張したとして、誰がそれを信じるだろう。
あの作品は、もう俺の作品ではなくなってしまった。
俺は無意識に、あの文房具屋と向かった。店主の爺さんは、あの時と同じように新聞を広げてレジに座っていた。
「あの、本の虫の原稿用紙について、聞きたいことがあるんですが」
店主は新聞を置き、俺の顔をじっと見た。
「お前が虫に食わせた話を、誰かが自分の話として世に出した」
店主はそう言って笑った。
「な、何故それを……」
「あの原稿用紙を買った者は皆、同じことを言ってくる」
「……あれは、俺が書いたものだった」
「お前はきちんと報酬を得ただろう」
「……え?」
「お前は自分の作品を『売った』んだ。売った奴がいれば、もちろん『買う』奴もいる。つまり、そういうことだ」
作品を売った。そして買われた。
あいつは、どういう方法かは知らないが、俺の作品を『買った』んだ。
「何故泣く? お前は作品に見合った金を得ただろう」
店主が聞いた。俺はいつのまにか泣いていたらしい。何故だろう。何故悲しいんだろう。何故悔しいんだろう。金は貰えた。大賞の金額と同等の。
じゃあ、名誉が欲しかったのか。絶賛された評価が欲しかったのか。皆から讃えられたかったのか。受賞した証が欲しかったのか。作家デビューの機会を逃したからか。
違う。
違う、違う。そんなことじゃない。
「あれは」
まだ題名も決まっていなかった。
俺が書き上げた。
俺が最初から最後まで完成させた。
俺の──。
「俺の、作品だったのに……」
膝をついて、子供のように泣いた。
そんな俺に、文房具屋の店主が何かを差し出した。
「これ、200円。税込価格」
渡されたのは、20枚入りの、何てことない、ごく普通の原稿用紙だった。文房具屋の店主はニィッと、優しく笑っていた。
俺は涙と鼻水を袖で拭い、200円払って、その原稿用紙を受け取った。
家に帰ると、あの虫が住む原稿用紙をぐしゃぐしゃに丸めて、部屋の隅に放った。カサカサと音はならない。虫が食べる餌は、もうそこにはない。
「これじゃダメだ。これじゃ足りない」
紙を丸めて部屋に放った。部屋の中を紙屑が埋め尽くす。
もっと、もっと面白い小説を書いてやる。あの作品よりもずっと、面白いものを。
雪が降り積もったように、部屋の中に白い紙屑が積まれていく。虫の住む紙ももう何処にあるか分からない。それでいい。
積まれていくのは、紙屑だけではないのだと、もう知っている。
《了》
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