見出し画像

『特別な公演』

 K氏はここ数日、パソコンの文字カーソルが点滅するのを眺めるだけの日々を送っている。早い話スランプに陥っていた。
 何かアイデアが生まれないかと悩んでいると、担当からメールが届いた。
『先生、執筆にお困りではないですか?こちら参考になればと思うのですが……』
 そう書かれた文面の下にはURLが貼られていた。リンク先は、とある劇団のレビューサイトだ。
『これは画期的。特に作家などの創作をしている人は絶対観に行くべき!』レビューにはそう綴られていた。
 K氏は少し気になり劇団の詳細を見ようとしたが、ホームページに載っているのはメールアドレスと、その下に一文だけ。
『観劇希望の方はメールにてご連絡下さい。選ばれた特別な方のみ、ご連絡を差し上げます』

 K氏はますます気になった。少しでもアイデアになればと藁にでも縋りたい気持ちで『是非とも観劇したい』というメールを送った。

 それから数日後。K氏の元に例の劇団から返信がきた。
『ご当選おめでとうございます。あなたは我が劇団に相応しい特別なお客様です』
 そのようなメッセージと共に、公演日時と場所が記載されていた。
──特別なお客様。
 そう言われて悪い気はしない。劇団や公演の詳細は不明なままだが、K氏は胸が高ぶるのを感じた。

 当日。公演場所は下北沢駅西口から徒歩10分ほど、狭い路地をいくつか抜けた先の地下小劇場であった。入り口の前には、すでに何名かの客が並んでいる。
 並んでいる最中、K氏は劇場掲示板を見た。『本日の公演予定』と記された場所に、A4サイズのフライヤーが貼られていた。そこには『特別な方への特別な公演』とだけ書かれていた。
 列が進み、K氏の受付の順番がきた。透明版を隔てた窓口が備わっている。
 しかし透明版の先には誰の姿もない。シンとした暗闇だけが続いている。
 どのように支払いをすれば良いかと悩んでいると、後ろの客が苛立ったように「これ、これ」とK氏の手間を指差した。
 そこにはカルトンが置かれており、『こちらに4千円を』と書かれた紙が貼られていた。
 K氏は4千円をカルトンに置いた。すると、スッと吸い込まれるように、カルトンは窓口の奥へと消えた。
 K氏が驚いていると、すぐにゴトっと音を立て、カルトンが戻ってきた。
 そこには領収書と、『ありがとうございます。劇場内へお進み下さい』という紙が添えられていた。

 K氏は妙な演出だと思いながら劇場内に入った。自由席のため、前列中央付近のパイプ椅子に腰掛けた。見渡すと10名程度しか椅子は用意されていない。
 開演10分前になるとアナウンスが流れた。
「まもなく開演いたします。スマホや携帯などの電子機器類の電源はお切り下さい。またおトイレは……」とごく一般的な注意事項を述べ始めた。アナウンスは一通りの注意事項のあと、
「我が劇団に関してですが、団員は全て透明人間です。あらかじめご了承下さい」
 K氏は耳を疑った。思わず椅子にもたれていた背中を起こした。しかし他の客は微動だにせず、何でもないかのように黙って聞いている。

 アナウンスは続いた。
「ご満足頂くことが出来なかった場合、お代は返金致します。また途中退席していただいても結構です。その際は他のお客様のご迷惑にならないようにお願い致します。
 しかし、ここに選ばれたのは特別な皆様ですから。きっとそのようなことはないと思われます」
 アナウンスの終了と同時にブザーが鳴り響き、会場はクラシックのような上品な音楽と共に、ゆっくりと暗闇に包まれていった。
 音楽が止まり、その数十秒後、ステージに明かりが灯る。
 上演が始まった。

 明転したステージ上には何もなかった。灰色の壁と、灰色の床に囲まれた無機質な空間だけだった。他にあるとすれば、演者の出入りする上手かみて下手しもてくらいだ。
 背景のセットもないのか?
 K氏がそう思っていると、劇場内には、風が木々の枝を通り抜けるような音が聞こえ始めた。そのことから、「場面は森の中」ということが分かった。しかし、その環境音以外のBGMは何もない。
 しばらくして、誰もいないはずのステージ中央で、トンッと音が鳴った。K氏は音の聞こえた場所を見たが、そこには何もない。
 しかし音はそこから更に、コツ、コツ、と靴音のようなものを響かせた。まるでそこに誰かがいるかのように、靴音はステージ上で歩きまわったり、止まったりしている。しかしやはり、演者の姿はどこにも見えない。
 本当に透明人間がいるかのようであった。
 しばらくすると、下手から駆け寄る足音が聞こえた。これも姿は見えず、足音のみだ。二人分の足音はステージ中央で一瞬止まり、お互いに近寄った。
 姿が見えていたとしたら、おそらく抱き合っているシーンだろうか、とK氏は思った。
 その後も足音は増えていき、ステージ上の演者は4人ほどになった。
 演者の声、つまりセリフは全くなかった。ステージには、森の中を思わせる環境音に、足音と、たまに布の擦れる音だけだった。

 ストーリーが進んでいるようだが、K氏は退屈だった。
 確かに透明人間が演劇をしているかのようで斬新だ。しかしセリフもない、セットも小道具も何もない。そんな中どう楽しめばいいのか。
 腹を立てていると、それが観劇の態度に出ていたのか、隣の席に座っていた男が小さく声をかけてきた。
「お兄さん、この舞台公演は初めて?」
「あ、はい」
「面白くありませんか?」
「そうですね。確かに斬新ではありますが。これがなぜ高評価なんでしょう」
「……私は毎回応募しています。今回で観るのは5回目です」
「そんなに?」
「お兄さんはこの劇団の本当の楽しみ方を知らないだけです」
「どうすれば楽しめるのですか?」
「想像するんです」
「想像?」
「今がどんな場面なのか、と。内容が合っていようと間違っていようと、別に構わないんです。あなたが頭の中で描いた場面が、いま目の前で行われている場面なんです」
 隣の席の男はそう告げたあと、ステージに向き直した。そして足音が鳴り響くステージを観て「おお!」と感嘆の声を上げている。
 K氏はそっと後ろを振り返り、他の観客の様子も伺ってみた。前のめりになり観入っている客や、口に手を添えて笑いを押さえている客もいる。そう思いきや、ハンカチで涙を拭っている者もいた。
──あなたが頭の中で描いた場面が、いま目の前で行われている場面。
 K氏は先ほどの男の言葉を思い出す。言われた通りに、今の場面を頭に描いてみることにした。目を閉じて、聞こえてくる音に集中する。
(今ステージにある足音は……3人分か? ドタドタと慌ただしい。これは……2人が取っ組み合いをしている? 喧嘩か? あ、1人分いなくなったぞ。残った2人は男女か? いや、どちらも力強い足踏みだ。男同士か。まてよ、太った女性かもしれない)
 K氏の頭の中には好き勝手な登場人物像が作り上げられた。
(こうなったら本当に好き勝手に妄想してやる。いま男女が相撲を取り始めた。のこった。のこった。おっ、片方が転がったな。勝ったのはなんと身長2メートルの老婆だ!)
 足音に合わせて、K氏の中ではそれはもう自由奔放な物語が繰り広げられていた。K氏は楽しくてしようがない。
 あっという間に上演時間の2時間が経っていた。

 終演後にアナウンスが流れた。
「いかがだったでしょうか。ここにいる特別な皆様なら、この公演を楽しんでいただけたはずです」
 K氏は去り際に、隣に座っていた男に職業を訪ねた。男は言った。「私は劇作家をしております」

 K氏はレビューの記載内容に納得した。
「面白い。今日はコントのようなストーリーを作ってしまったけれど、次は悲劇をベースに想像してみよう……そうだ、次の小説に今日思い浮かべた話が使えるんじゃないか?」
 K氏はさっそく担当編集者に電話した。
「次の作品ですが、いいアイデアが浮かびましたよ」
「そうですか、それは良かったです」
「しかし……あなた達も面白いことをしますね」
「え? 何のことですか?」
「これは編集社が仕組んだことでしょう? お客は全て作家関連だ。随分と大掛かりなことをしましたね」
「まさか。流石にうちの会社でそんなこと出来ませんよ。偶然ネットで見かけたのを教えただけです。編集社の仕業だと思うなんて。それだけ効果があったんですねえ」
 K氏は少し恥ずかしくなり、また連絡するだけ伝え、急いで電話を切った。
「しかし足音であそこまで表現するとは。凄い技術だ。本当に透明人間がいるようだった。想像力も鍛えられるし、また観劇に応募しよう」
 K氏はそんなことを考えながら、劇場を後にした。

 劇団の団長は、劇場から最後の一人がいなくなったのを見届けた。無事に舞台を終えたことに安堵の息をつく。
「よし。みんな、もういいぞ」
 団長の掛け声で、劇団員達は皆、裏方から出て、ステージ上に腰を下ろす。そして口々に言い合った。
「まさか今日も満席とは」
「次回も予約希望でいっぱいらしいぞ」
「へへ。俺たちが演じていたのがシェイクスピアの『夏の夜の夢』だと何人分かっただろうか」
「1人も分からなかったに1票」
「……団長、あの人間達はなぜ、見えるはずのない我々の演技を、楽しむことができるのでしょう?」
「うむ……それがだな」団長と呼ばれた男は答えた。
「『特別だ』と言ってやると、何故か見えるようになるらしい。人間というのは実に不思議な生き物だ」

 了。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

サポートしていただきました費用は小説やイラストを書く資料等に活用させていただきます。