【日々雑感】『君はしっかり生きぬいたんだ』 Kくんのこと。
人間はいつかは死ぬ。人は必ず、死ぬ。
長く生きるか短い時間しか生きられないか、そんなことは分からないけれど、死ぬのだけは確定した事実だ。
だから人間は、どう生きるかということがとても重要になる。
いかに生きるか。
大切なのは、生きている人の記憶にどう留まれるか。
どれだけ人を励ましたり勇気づけられるか。
人の心に、身体に、明日への希望を刻むことが出来るかということ。
それが生きている者の仕事なのかもしれないな、
なんて考えたりもする。
どのような分野で、場所で人に感動を与えるかは、いろんな仕事や場面があるから、今いるその場所からやっていくのが手始めにはいいのかもしれない。
先日見たドキュメンタリーでわたしは泣いた。
病気の少年が愚痴を言いながらも家族に励まされ、いやいやながら点滴を受けることになったらしかった。
音声の遠いそのテレビ画面を見ながら、彼も家族によって生きる希望や勇気を持つことが出来始めたんだな、と思っていた。
しかしほんの一瞬テレビから目を離し再び視線を上げたとき、わたしの目に映ったのは生き続けているはずの彼の遺影だった。
彼は死んだのだ。
彼はもう死んでいたのだ。
わたしが生きる希望を感じていた映像の中の少年の姿は、生前のものだったのだ。
彼は家族にメッセージを残していた。
「お母さん、一緒に遊んでくれてありがとう」「おじいちゃん、タバコ吸いすぎないでね」「おばあちゃん、一日でも長生きしてね」「〇〇(妹の名前)、お母さんの言うことを聞くんだよ。僕がこんな体になって遊べなくてごめんね」
君が死んでしまって、赤の他人のわたしでも悲しいよ。
だけど、優しいメッセージをきちんと立派に残せた君が、素晴らしいと思うよ。
家族は寂しいだろう。でも長い時間が経った後には、きっと君のメッセージに救われたり、素敵な言葉を残してくれてありがとうって思ってくれるよ。そして生きる希望が生まれるんじゃないかと思う。
そういうことをしっかり生前にできた君は立派な大人だと思う。君は素敵な男だ。
人が生きていた証というのは、そうやって今を生きる人に受け継がれていく。
そういう人間としての働きをわたしもやりたいと思う。
生きるって、格好つけてもばかりもいられないんだよ。わき目もふらずにやらなければならないことってたくさんある。
人生を楽しむには、持ち時間が短いのかもしれないけれど、それでも激しく感動的に密度濃く生き抜きたいね。でなきゃ、本当はもっと生きたかっただろう君が怒っちゃうね。
だけど、人に生きろというのはあまりに簡単だよね。
それは無責任にもほどがある。
だからわたしはひたすら生きるよ。
生きぬく。生き切るよ。
だってたった一度の人生だからね。一度きりのチャンスだからね、生きるということは。
わたしがわたしという体を持って生きられるのは、今のこの一瞬の積み重ねの生活でしかないわけだから。
だから後悔しないように、しっかりと自分の心や体に責任をもって明るく前向きに明日も生きるよ。
ありがとう、Kくん。
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