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ものを見る瞳

携帯のメモに一気に書いた文章を載せます。思いつきのままに書きなぐったような文体ですが、最初だけこのまま載せさせてください。


2021/10/19、神戸大学俳諧文庫にて

山口誓子、俳句鑑賞入門
鑑賞の「鑑」は鏡、自分の鏡、経験に照らして読み味わうこと、読み方は徹底して正しく
俳句は作者が過去の歴史的な時間と空間に経験したことを言葉にしたもの
その言葉のカーテンの向こうに全く同じ景色は見えない、赤の他人である鑑賞者には見えない
だからそのカーテンを通して、自分の経験を見る、自分の過去の記憶や想像した風景を見なければならない


芸術作品を鑑賞するとは、そういった自分の鏡に照らして映るものを味わうことなのか

作品と自分、他の人の感性と自分の感受性の衝突があって、感情が動く。それが価値があって美しいと俺は思う。

その感受性は、生まれつきの性質、過去の体験(特に感情が大きく動いたとき、トラウマ、コンプレックスも)、学んできたこと、会話、自分で考えたこと、、自分の全部から出来ている「直感」が大きく影響していると思う。

何かを見て、聴いて、匂って、触れて、反射的に動いた感情、ぱっと浮かんだ印象、直感
それが芸術なのではないか

自然の風景も、音楽も、絵も、建物も、空間も、家具も、服も、料理も、全部芸術に入ると思っている。


その個人的な直感と、作品の分野的な技術や質の高さ、の2つの点で見て、良いか悪いか、価値がどうとか判断されていると思う。
(個人的な要因とクオリティ、両方が完全に分かれているわけではなくて、作品のクオリティが高い方が心を動かしやすいことが多いし、それを分析して学問にして、その知識も使って創作をするのが多いと思う。)

個人的な要因の方は、ある人にどれだけ強烈な感情をもたらしたとしても、遍く人の心を動かすものの方が価値が高いと判断されている気がする。
(認知度も関係していそう。希少価値と芸術の価値の両方が価値に影響するのではないか。)


でも、本当の価値なんて言い出したら、それは芸術の神様しか知らないってn-bunaさんは言うやろな
適当に並べた石ころにだってとんでもない価値があるかもしれない

それは、存在がみんな一人だから
人の価値、世間が付けた価値と自分の価値は違う
比較が出来ないから、自分は自分でしかないから、ってことと繋がる気がする
この色はあなたと同じ色にみえているかなんて分からないように、痛みだって感情だって一人のものだから


でも、きっちり測れなくても良いんじゃないかな

歴史的に良いって言われてる作品は自分にとっても良いことが多い

普遍的に良いと言われる作品→共通して感情に来るものがある→自分にも良い作品が多い
けど
すごく良い作品なのに有名じゃないものは沢山存在するんだと思う

それを教えてください
紹介してほしい
もしくは、あなたが作ったあなたの好きなものを教えてほしい
その中の一つが自分の人生を変えるくらい衝撃的な良いものかもしれないから。


この文章も一つの作品だと思っている。

目的とか理由とか義務とか、他のことと結びつけずに何かをみる。ぼーっとして向き合う。
ふとしたときの小さな感情の変化に気づく。
その瞳をn-bunaさんの作品に触れて、言葉に触れて、考えて、見つけた気がする
完全に出来るわけじゃないけど、きっかけをもらった。


鑑賞は自分の鏡に映るものを味わうこと
そう思うと、作品を楽しむことはどこか内向的で、自分と向き合う活動
孤独と結びつきやすいのも分かる

自然を見て、桜を見て存在を思う

ただ、それを誰かと同じように見られたら、どれだけ幸せだろうかと、そう思う


後書き

言葉にすると感情が意味に入れ込まれてしまうってことを聞く
愛だと言葉にすれば初めて愛になる
みたいなやつ
でも、言葉の組み合わせを自分でつくれば、その感情は狭まらずに、糸が切れずに表現できるかもしれない

車輪が悲鳴をあげる、ヤジロベイみたいな正しさ、みんな集まって全員ひとりぼっち

ただ悲しい、嬉しいとか、孤独、とかじゃ言葉足らずでも、半ば比喩的な言葉の組み合わせに落とし込めば、感情を殺さずに済む気がする
その組み合わせはもはや一つの作品となり、渡された人が開くときは開く人の感情の表現になったりする
文字を扱う作品の、匂いとか音とか内容自体も、言葉以前の感情を単語以上に表現出来ているのだと思う


作るときは、作るものを聴いて自分が好きかを確かめて進める


俳句は最初の直感というより、ほとんどの句は状況を言葉から読み取って、考えて味わうものだ。第一の感覚より、思考に重心があるかもしれない。想像したときの感情の変化を味わう。
だから、上記の触れて反射的にというのは、作品に最初に触れたときではなく、終始ありえるという意味だと思うと自然
ただ、考えながら感じるというのは中々難しい
それゆえよく考える俳句を味わうのは難易度が高い気がする
考えながら味わうのが難しいというのは、経験上、論理とか理性とかがうまく働くと、感情の小さな変化みたいなものに気づきにくいから


最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。


後書きの後の書き

大学に入ってから、一人でいる時間が増えて、自分と向き合うことが多くなりました。何回も何回もつらい気持ちになったり、時期によってはずっと息苦しかったり、感情の起伏が続いたり、このまま眠ってしまおうかと空想するような日々を過ごしていた記憶があります。しかし、そのおかげで、自分の感性に前より素直になることができ、何が快いか納得するまで時間をかければ、本当に快い方向へ進めると実感することもできました。ちょうど十代最後という時期でもあり、自分と向き合って、向き合い続けているから、そうしてきたから、自分の哲学みたいなものの根本が、しっかりと心に根付いている感覚もあります。これからも自分はずっと変わり続けて、自然と心も更新しつづけて行くと思います。もし昨年出てきた言葉が、あなたの世界と出会って、衝突して、開いてもらえたら嬉しく思います。

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