靴音

01, 22, hyogo

靴音

01, 22, hyogo

最近の記事

憧れで雑記

「憧れ」について書きたくなったので筆をとる。 あなたは何かに憧れていますか? 小さい頃の「将来の夢」なんかは自分の未来像に憧れたもので、初恋は、自分とは違う美しさをもった誰かへの強い憧れで、いまだに僕は、そういった感情に導かれて生きている。私は憧れへの流れである。どれだけ絶望的な世界に見えても、絶えず美しい方へ向かっていこうとする流れとしての今が自分であると思っている。 “アイデンティティ”という言葉があるが、そもそも自分とは何なのか どこまでが自分で、どこからが自分以

    • 俳曲 / I overlay U - 新しい(?)音楽の概念をつくってみた

      Overlayヨルシカの春泥棒(https://www.youtube.com/watch?v=Sw1Flgub9s8)という曲に別のメロディーを重ねて遊んでみた。春の歌に夏の言葉を重ねる。 初の歌作り、メモ書き程度に ↓適当に録音したのを合わせたので閲覧注意です。春泥棒大好きです。夏泥棒しました。 歌詞 夏が来れば ぱっぱっぱっ 花火が散りました ああ僕ら、子どものままがいいや はっはっはっ 笑い飛ばす君の 髪が揺れる 旋律が2つあるのに、どちらも聴き取れて、何らかの

      • 草流し

        子どもの頃、家の前の小川でよく遊んでいた。コンクリで舗装された浅い水路だけれど、川を上に辿っていけばすぐに山の中に入る。そこから上流は昔のままの細い川が残っている。水はよく澄んでいて、苔の生えた木の板が橋になっているような小川。そこから転がってくる石や砂が、家の前の小川に堆積していて、石の下にサワガニが隠れていたりする。 神社の近くまで持って上がった葉っぱを幼馴染とせーので川に流す。水路のあちこちに散らばる小石に形作られた複雑な水流に乗って、草花は速度を変えながらジェットコ

        • 感情で雑記

          ONEPIECE 巻106 を読んだ日に書いたもの。 尾田っちの心に憧れた。 居ても立っても居られなくなって 蝉が鳴き始めた。 初夏は音も匂いもカラフルで歩くだけで楽しい。 ----- もちろんです!以下に夏らしい詩的な英語表現の例文を示します。 * Swaying hammocks(揺れるハンモック) * In the shade of the swaying hammocks, we surrendered to the gentle rhythm, lu

        憧れで雑記

          重心と余白、輪郭のぼやけ

          “夕焼けにつっかけのまま走り出る” 夕陽のあの美しさは何だろうか。 西の空が赤らんで 建物は赤銅色の反射をする 海は凪いでいて 窓に切り取られた風景と ぼんやり淡く映る飛行機雲 この美しさは何だろう。 夕陽に見惚れて、ふと考えてしまう。 カフェのバイトを辞めた日、 ベランダから星がよく見えた。 “秋星の隙間をみている、別れかな” と言葉が浮かぶ。 あのとき自分は何を見ていたんだろうか。 空をぼんやり見ているとき、 何に焦点が合っているんだろう。 この街の風景が好きだ

          重心と余白、輪郭のぼやけ

          言葉の向こうを想像してもいいですか

          窓を開けると 仄かに草の香りを纏った風が カーテンを涼やかに靡かせる 僕は音楽を流して部屋を出る 誰もいない部屋に ただ風と音が鳴っている どれほど美しい響きだろうかと 想像して歩く 効率や生産性と引き換えに失うものがある。 忘れた記憶みたいなものかもしれない 自然は合理的で、淘汰というギミックがある。 追い立てられるように歩く人たち 他の動物に比べて生きるのに余裕をもてる人間は ましてや現代に生きる自分はせめて、 人間らしい無駄なことを楽しんでいたい 大きなうねりは

          言葉の向こうを想像してもいいですか

          料理と音楽、雑観

          柚子を口に入れると高い「音」がした。 貰った食事券で親とちょっと贅沢なランチをした。アンチパスタには、鱈と春菊と柚子の明太パスタ。 口に入れると、柚子が口の奥の方で香りを広げて、それぞれの具材が独立して感じられた。美味しかった。ふと立体的な空間イメージがよぎる。 音楽を集中して聴くとき、低音から高音まで、さまざまな楽器の音を同時に、しかも別々に聴くため、広がりをもった空間イメージを自然とすると思う。空間と言っても自分の中ではまだ漠然としていて、2次元あるいは1次元かもし

          料理と音楽、雑観

          物を置いておく価値

          本とかCDの話。 液晶に点滅する文字が当然になり、CDショップでは頻繁にセールが開かれる。音楽作品にはライブのチケット、握手券、限定品、追加の価値を付けて売上を伸ばそうと試みがなされている。 CDジャケット自体に価値は見出せるわけだが、音源と円盤が切り離されて希少性が平された分、価値が下がったと感じるのは当然だと思う。 しかし、そういった作品にはそもそも「形ある物」として充分価値があると思う。 音楽でも本でも、近くに置いておけば目にする機会が増える。この「目にする」とい

          物を置いておく価値

          「言葉は感覚のグルーピングだと思う」

          一人が持つ概念は、その人の辿ってきた道にどうしても依存してしまう。 ジャズと呼ばれる曲を聴いて、また別のジャズの曲を聴いて、さらに他の曲も聴いていって、それぞれに感情が動いたとする。 一曲聴いて受け取った夥しい数の感覚は、忘却曲線に乗ってぼやけていくんだろうけど、他の曲でも同様に感じた感覚は、その分よく記憶に残る。何回も繰り返し触れるものは忘却の波に耐える。その感覚たちはジャズっていう言葉と一緒に仕舞われる。 ある曲を街で聴いたときに、それと同じ感覚をまた味わったとする

          「言葉は感覚のグルーピングだと思う」

          多分、風。

          ベランダに陽が差す。葉が明るく透ける。庭の植物は住み始めた頃よりずっと大きくなって、物干し竿の手前まで腕を伸ばしている。 ただ、”手前まで”で止まる。 道路に突き出す木の枝も、車に当たりそうなのに、ある程度の交通量があれば当たらないように生えている。意思があるように絶妙な距離感を保っている。「人が通れば道になる」ように、獣道の輪郭だって簡単に消えてしまわないのが不思議だ。 触れていなくてもはたらく力がある。 半年ほど前、部屋に小さな羽虫が数十匹発生したことがあった。お

          多分、風。

          ものを見る瞳

          携帯のメモに一気に書いた文章を載せます。思いつきのままに書きなぐったような文体ですが、最初だけこのまま載せさせてください。 2021/10/19、神戸大学俳諧文庫にて 山口誓子、俳句鑑賞入門 鑑賞の「鑑」は鏡、自分の鏡、経験に照らして読み味わうこと、読み方は徹底して正しく 俳句は作者が過去の歴史的な時間と空間に経験したことを言葉にしたもの その言葉のカーテンの向こうに全く同じ景色は見えない、赤の他人である鑑賞者には見えない だからそのカーテンを通して、自分の経験を見る、自

          ものを見る瞳

          考えていること、空想、勘違い、たまに書いていくかもしれません。

          考えていること、空想、勘違い、たまに書いていくかもしれません。