『僕が君の耳になる』をどう見る?③

こんばんは。くつばこのりこです。今日はなかなか話が終わらないHANDSIGNさんの『僕が君の耳になる』考察回第3回です。今回で終わります!たぶん!

☆「『聴覚障害者です。 この曲に音楽の楽しさを教えてもらいました』というコメントがあるけど、本当に聴覚障害で苦しんでる人がいるのに、冗談でコメントするのがすごく嫌だ」

このコメントは、コメント欄の他のコメントに対する返信だと考えられます。他のコメントで、「聴覚障害者です。音楽の楽しさがわかりました」というものがあり、それに対し「聞こえないのにどうやって聞いたのか」「嘘つかないで」「聞こえないのにわざわざYouTubeをみるんですね」など、コメントを嘘とみる返信が多く、これもその一つです。くつばこのメンバーはこれをどうとらえたでしょうか?

・これは聴覚の子に聞きたかった…。でも、字幕がないし歌詞が伝わらないって言うのはそのとおり。ただ難聴で手話ユーザーの人が「音楽の楽しさを教えてもらいました」ってコメント書くことについては違和感ない
・聴覚障害を持っていることによって傷ついたことがあって、それで歌詞に共感するのは結構自然だなと
・この曲は音楽の楽しさを伝えるためだけのものじゃないんじゃないかなって思った。

まず、「聴覚障害者=耳が全く聞こえない」という認識をしている人が多いと思います。普段手話を使っていて、日常生活では支障があるような聴力で、音楽を聴く人はたくさん、たくさんいます。またもう一つ、他のコメントから見受けられた勘違いは「聴覚障害者=しゃべれない」だと思います。たしかに発音が苦手だったり、聞き取りづらい場合はありますが、音声でしゃべる人はたくさんいますよ!!!ということも声を大にして言いたいですね。
そのあたりの思い込みがなくなれば、「聴覚障害があるのに、音楽を楽しむなんて変だ。嘘つき」という考えにはならないのではないでしょうか。
また、少しずれますが、「この曲は音楽の楽しさを伝えるためだけじゃない」という意見もありました。たしかに、手話に触れるきっかけになるという、もっと大きな社会的価値があるでしょう。

☆「障害をネタにして、みんなが『感動をありがとう!!』と言っているのが怖い」

このコメントはメンバー内でも意見が分かれました。

反対派
・手話の存在を広める価値があるから、手話×曲は否定すべきものじゃないと思う。HANDSIGN本人が理解がないわけじゃない以上、全面的に否定する必要はないのでは。
・正直言っていることがよくわかんない

賛成派
・こういうの(障害をネタにして感動することへの違和感)が普通になる世の中にしたいですね。その為にはこういう啓発は必要だとおもいます。

その他
・そう思う人もいるのかーー これは24時間テレビとかでも言われてたね 難しいかも
・たしかに短いビデオだったからそういう短絡的なテーマだと感じることもわかる。

これは難しいですね。障害が「頑張って乗り越える感動の材料」として扱われている以上、その価値に違和感や拒否反応を起こすのは自然です。映画や小説で、普通に登場する友達Aが「障害者」であることって少なくて、大体はその子の障害が原因ですったもんだがあると思います。また、このMVを見た人の中で少なくない数の人が「障害があるのにすごい、感動」と、他人事に感じているのではないかと思いますし、このコメントの「怖い」という意見は理解できます。
他の意見としては、「障害への理解や親しみのためにはこのような作品も必要なのではないか」ということや「HANDSIGNさんはちゃんと手話が使えて、目的意識をもって手話を取り入れているから否定すべきではない」という意見もありました。
あなたはどう思いますか?

さあ、これで『僕が君の耳になる』特集は終わりです。いつかHANDSIGNさんに直接お話を聞いてみたい…。
足立梨花はかわいいですね!

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