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4.リップショット(2/6)

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2/6

* * *


 天外にはフォートと呼ばれる巨大閉鎖コミュニティが点在している。

 ドーム球場を複数連結させたような見た目で、市《まち》の一区画を天蓋と壁で覆ってあるのだ。

 富裕層のみが住むことを許されるその内部は汚染霧雨の影響を受けず、空気清浄機によって天外でもっとも貴重な消耗品である新鮮な空気に満たされている。

 清潔な通りを電気自動車が静かに行き交い、歩道は青々と芝が繁り、素顔をさらした人々は健康そのものだ。

 ここには首にロープをかけて吊るされている死体も、裏路地でうごめく失業者も、ストリートギャングもいない。

「〝世界は今にも滅ぼうとしているのに、あなたは今も美しい。月よ、あまたの文明が崩壊する様を見てきた月よ〟」

 藤丸《ふじまる》昴《すばる》は手にした教科書を読み上げた。
 月を取ろうとするように手を伸ばすと、長い髪がさらりと肩からこぼれる。

「〝もしも私の声が届くのならば、この焦がれる想いをあの人に届けて欲しい。この世界がなくなってしまう前に。ああ、月よ……この想いを!〟」

 三人の同級生が憧れと羨望の眼を向け、手を叩いて賞賛を口にした。

「キレイだわ、藤丸さん!」

 昴は謙遜するようにはにかんでうつむいた。

 ここは購坂フォート居住区、高級住宅街にある藤丸家の豪邸。
 敷地内に美しく整えられた庭園を備え、蓮の花が浮く池にはレンガの橋がかかっている。

 その橋上に作られたあずま屋に、昴と友人の女子高生三人が集まっていた。四人ともフォート立購坂高校の制服姿だ。

「お茶のお代わりをどうぞ」

 はしゃいでいる四人の少女の元へ少年の声が割って入った。
 藤丸家の給仕、衛木《えぎ》流渡《りゅうと》だ。美しい顔立ちの少年だった。エプロン姿で銀の盆を手にしている。

「ありがとう、衛木くん」

 昴が礼を言うと、流渡は慣れた手際でカップに茶を注いで回った。

「劇の練習ですか?」

 にこやかな流渡の質問に、昴の友人が答えた。

「芸文の授業で発表があるんですよ。寸劇をやるんですけど、昴さんにお姫様の役をやってもらおうと思って」

「へえ」

 流渡は目をしばたたかせた。

「特進科の生徒も勉強ばっかりしてるワケじゃないんですね」

「これもいずれ人の上に立つ訓練ですよ。優れた指導者は優れた役者でもなければならないって先生が言ってました!」

 昴は遠慮がちに切り出した。

「あの、やっぱりお姫様の役なんて言うのは私にはちょっと……荷が重いというか……」

「遠慮しないでください! みんな納得して決めたことですから。眉目秀麗、成績優秀、しかも購坂フォート最高経営責任者の令嬢! ぴったりじゃないですか」

「私は……その……そうだ! 私がヒーロー役をやるって言うのは?」

 その唐突な提案に友人たちはきょとんとした顔をし、やがて笑い出した。

「藤丸さんが主人公ヒーローじゃカワイすぎない?」

「あなたにはやっぱりお姫様の役がぴったり」

「見て! このドレスを発注してあるんです。きっと似合いますよ」

 演劇部部長がスマートフォンでドレスの画像を見せた。

 昴は自分の胸の内を石のように硬くして本音をこらえ、礼儀作法の教科書通りに微笑んだ。
 眉目秀麗、成績優秀、そして購坂フォート最高経営責任者の令嬢という己の役目を演じるために。

「……ありがとうございます。キレイですね」

「僕もそう思います。では御用があればいつでも」

 流渡が一礼して去ると、友人たちはその背を見やり、忍び笑いを漏らした。

「衛木くんってちょっとカワイイですよね。藤丸さんの幼馴染なんでしょう?」

「ええ。衛木くんのお父さんがうちのコックなの。衛木くんはコックの見習いをしながら給仕をしてるんです」

 友人はにやりとした。

「それだけの関係?」

 昴はきっぱり言い切った。

「それだけです!」

「やめなさいよ、藤丸さん困ってるじゃない。それに衛木くんとじゃ家柄が違うでしょ」

 夕方になるとフォート天井の人工陽光ライトは赤みを帯び、夕日を演出する。

 昴は友人たちを邸宅の門まで見送ったあと、あずま屋に戻った。
 ドーベルマンを連れた警備員が道を譲って一礼すると、彼女も上の空で礼を返した。

 あずま屋のベンチに腰を下ろし、小さくため息をつく。

「リューちゃん、お茶ちょうだい」

 カップを差し出すと流渡は微笑み、ポットを傾けた。

 流渡と昴、友人三人はみな同い年で同じフォート立購坂高校に通っている。

 昴は茶を含み、長いため息をついた。
 もちろん友人たちもフォート住人というだけでも天外では上流階級だが、市《まち》で最大規模のフォート、購坂フォートの最高経営責任者である藤丸家はその上を行く。

 三人とも悪い子ではないのだが、あのおべっかやへつらいには時々うんざりさせられた。

「お姫様の役なんて……」

 呟きながら顔を上げた昴はふと、流渡の首筋に絆創膏が貼られているのに初めて気付いた。

「どうしたの? それ」

 流渡は恥じるように絆創膏に触れた。

「学校帰りにちょっとフォートを出てたんだけど、強盗にあってさ」

「強盗って!」

 昴は驚き、テーブルに手を突いて立ち上がった。カップがガチャンと音を立てた。

「大丈夫だったの!?」

「僕は平気だってば! 落ち着きなよ。その時さ……」

 流渡は一部始終を話した。立ち寄ったコンビニで強盗に遭ったことと、リップショットと名乗る謎のヒーローのことを。

 昴は眼をしばたたかせ、流渡の顔をまじまじと見つめた。

 流渡はきょとんとした。

「え?」

 昴はあわてて首を振り、取り繕うように笑った。

「うん? ううん……フォートの外なんか一人で行っちゃダメじゃない、危ないんだから」

「これを君に」

 流渡は周囲の目をうかがったあと、懐から取り出した紙袋をさっと昴に差し出した。昴は不思議そうに受け取った。

「私に?」

「うん」

 紙袋の中を覗き込んだ昴は眼を丸くし、ぱっと笑顔になった。
 フォート経営者令嬢の作法的な笑顔ではなく、昴の本当の笑顔だった。

「やったあ! ありがとう、リューちゃん!」

 流渡は照れ笑いを返した。それもまた来客用でない、彼自身の笑みだった。

「そっちに行ったぞ――!」

 男の叫び声にふたりは振り返った。警備員たちが向こうから走ってくる。

「お嬢様に近づけるな――ッ!」

 彼らに追われ、鎖を引きずった黒い獣がこちらにものすごい勢いで走ってくる。

 番犬の大きなドーベルマンだ。涎をしたたらせ、鋭利な牙を剥き出しにしている。

 犬は橋を駆け上がると、たくましい四肢を躍動させ、あずま屋に向かって跳ねた。テーブルにぶつかって倒しながら転がり込む。

 ガシャア!

「うわ!?」

 巻き込まれかけた流渡が飛び退く。

 犬はすぐに立ち上がり、狙いを定めるように昴を見つめた。見開かれた目には凶暴性が剥き出しになっている。

「お嬢様、逃げてください!」

 警備たちが悲鳴のような声を上げ、息を切らして駆けてくるが、庭園は広大で間に合いそうにない。

 誰もが慌てふためく中、昴だけが歴戦の戦士めいて落ち着き払っていた。凍りついた鋼のような眼で犬を睨み返す。

(右から来る!)

「昴!」

 犬と昴、両者が身構え次の行動に移ろうとした瞬間、突然昴は押し倒された。
 流渡が覆い被さり、身を挺して盾になったのだ。

(ちょっと?!)

 犬は右側の柱にジャンプしそれを蹴って昴に飛びかかったが、すんでのところで流渡が押し倒していたため、二人の上を越えて行った。

(もう、リューちゃん!)

 昴は憤慨しながらも、左手で流渡の頭を抱き寄せて視界をふさいだ。
 警備員たちの目は倒れたテーブルに遮られていることを確認し、右手を構える。

 その右目が鬼火めいた青い光を帯びると共に、右手が燃え上がって白骨と化した!

 白骨の腕はカタカタ、ギシギシと乾いた音を立ててボーガンに変形し、方向転換してふたたび飛びかかろうとしていた犬に矢を放つ!

 カシャン! ドッ!

「ギャン!」

 心臓に矢を受けた犬は弾かれたようにその場から吹っ飛ばされ、あずま屋の柱に縫い止められた。

 すぐに昴の腕が元に戻り、同時にその矢もボロボロに崩れ去って消える。

 犬の体がどさりと床に落ちた。


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