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4.リップショット(4/6)

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4/6

* * *


 購坂フォート、藤丸家。

 正装した昴とその父親は食卓についていた。
 一流のスタイリストに整えられた昴はドレスとアクセサリで着飾り、メイクも髪型も一夜限りの美術品と言うべき完璧な仕上がりになっている。

 キャンドルが灯るテーブルの向かい側には別の家族が着いている。若い男とその両親で、購坂フォート最高経営責任者である昴の父親の知り合いだ。

 昴は幼いころからこうした付き合いの晩餐を父と共にしてきた。
 笑顔の作り方から喋り方、話題の選択まで、その作法は一切の誤りなく教科書通りであった。

「お会いできて光栄です……」

「はじめまして、昴お嬢様。何とお美しい……」

 見え透いた世辞と自慢話、退屈な仕事の話、味のしない料理。
 昴は胸の内側を石のように硬くし、周囲が望む通りの女の子らしい女の子に成りすます。

 『ライオットボーイ』が大好きで、お姫様とドレスが嫌いで、ついさっきまでフォートを抜け出して犯罪者を蹴飛ばしていたリップショットはここにはいないのだ。

 向こうの息子はフォート内のアカデミー区にある大学生で、以前フォート外に出かけたときに強盗を撃退したという自慢話をした。

「向こうはぼくに銃を突きつけてきたんです。あれはドレッドノート88という銃でした。俺はそれを奪って逆に足を撃ってやったんです。命は助けてやりましたがね。それから市警を呼んだんです」

「勇敢なんですね。それに何でも知ってる」

 銃の知識まで披露してみせた彼に昴が世辞を言うと、向こうはまんざらでもなさそうだった。

 彼が言った銃なら昴も知っている。
 彼女は成敗した悪党から奪った銃火器を隠し場所に山のようにコレクションしており、その中にドレッドノート88もあるからだ。

(ドレッドノート88は大砲みたいにでっかい銃で熊みたいな大男でなきゃ撃てないし、人間の足なんか撃ったらちぎれて絶対死ぬし。「威力がある銃」でネット検索して出てきたのを言ってるんだろうな)

 昴は暗い気持ちになった。
 こんな日々を繰り返しているうちに、自分はいつか実際石のような人間になってしまうのではないか。目の前にいるような、外面は整っていても内面は冷たくてカチカチな人たちのように。

 正装した流渡が食後のコーヒーを運んできた。
 流渡はそれぞれの前に順番にカップを置いて行った。

 昴は雇い主の娘と使用人という関係を考慮した控えめな笑みを向けて彼に礼を言い、コーヒーに視線を落とした。

(……ブフッ)

 昴はぎりぎりで噴き出すのをこらえた。
 コーヒーには見事なラテアートで「ちょょと待て!」と言っているライオットの顔が描かれている。

 『ライオットボーイ』単行本にある誤字のシーンで、ファンのあいだでは有名なネットミームだ。

 肩を小さく震わせ、頬を引きつらせながら必死に真顔を保つ。
 幸いにも父親と来客は別の話に熱心で、昴の異変に気付いた様子はない。

(……リューちゃんってば! もう~!)

 咎めるような視線を向けると、流渡は昴にウインクして厨房へと下がった。


* * *


 晩餐会が終わり、客人が帰ったあとも藤丸家使用人の仕事は終わりではない。

 流渡は厨房で夜勤警備員の弁当作りに取りかかっていた。修行を兼ねて父親に任されているのだ。

 余った食材でローストビーフのサンドイッチ、ラビオリ入りのミストローネ、青豆のサラダといったものを手際良く仕上げて紙器に盛り、紙袋に包んで行く。
 警備員たちは晩餐会の夜は残り物にありつくのを楽しみにしていた。

「あなたはきっとお父様と並ぶコックになるわよ」

 皿を拭いていた年配のメイドが微笑むと、流渡は笑い返した。

 メイドが続けた。

「警備員たちが話してたけれど、狂犬のほうはどうなったの?」

「獣医の先生が死体を持ち帰ったみたいですよ」

「おかしな話よね。外じゃ汚染霧雨でおかしくなった犬が人を襲うとは聞いたけれど、フォートの中でねえ。流渡くん、犬からお嬢様を守ったそうじゃないの」

「いやあ、僕は何も……」

 そんな雑談をしているうちにメイドは仕事を終え、流渡と厨房の奥でデッキブラシをかけている流渡の父親にひと言あいさつしてから退出した。

「お先に失礼しますわ、コック長」

 流渡の父親は頷き返して見送った。息子と同じで物静かな男なのだ。

 メイドはすれ違いざま流渡に含み笑いし、囁いた。

「あなたのお料理にはきっとお嬢様も虜になるわ。ホホホ……!」

「……お疲れ様です」

 流渡は頬を赤らめ、曖昧な笑みで答えた。

 しばらくは流渡が紙袋に夜食を包む音と、流渡の父親がデッキブラシで床をこする音だけがしていた。

「流渡。昴お嬢様はダメだ」

 不意に父親が言った言葉に、流渡はぎょっとして顔を上げた。

「え?」

 父親は掃除を続けながら言った。

「お嬢様はダメだと言ったんだ。今でも距離が近すぎるくらいだぞ」

「……」

「ここの旦那様はそりゃあ立派な人だ。外界生まれで素性も知れん俺を、料理の腕だけを見込んで雇ってくれた。だがな、お嬢様のことはまた別だ」

 その背には「外界生まれ」の差別を受け続けてきた苦労が滲んでいた。

 父がフォートに留まるために――外界で妻と幼かった娘を合法麻薬《エル》中毒の強盗に殺されて以来、〝雨ざらしの地獄〟から息子を遠ざけるためにどれほどの辛酸を舐めてきたか、流渡はよく知っている。

「……うん」

「わかっているならいい」

 父子は各々の仕事に戻った。

 すべての仕事を終わらせ、二人は厨房を出た。
 晩餐会の準備からぶっ続けで働いている。へとへとだが、明日も朝一番から仕事があり、流渡はその合間にテスト勉強とやることは山積みだ。

 その一方でフォート生まれの金持ち生徒は、授業で茶番じみた劇をしていればほとんど自動的に単位が出る。
 これがフォートの現実だ。

 流渡はふと、廊下の窓越しに庭園のあずま屋を見た。
 ドーム天井に投影された疑似月の下に昴の姿が見える。ドレス姿のままだ。
 いつもなら晩餐会が終わるとすぐに部屋着に着替えてしまうのに。

 流渡は父親に言った。

「父さん、先に行ってて」

 返事を待たず引き返し、厨房に戻って裏口から庭に出た。
 あずま屋に行き、昴と距離を置いた場所に座った。使用人が藤丸家ご令嬢の隣に座るなど許されないからだ。

 昴は苦笑いした。

「もう! さっきのアレ」

 ラテアートのことを言っているのだ。流渡は笑い返した。

「うまいもんだったろ? こっそり練習してた」

 月明かりを浴びて青白く輝く昴は一際に美しい。
 不意に彼女を抱いたときの感触を思い出してしまい、流渡はひどくどぎまぎさせられた。

 二人は短く雑談した。
 話しているうちに、流渡は昴の様子がおかしいことに気付いた。何かを胸の内に閉じ込めようとしているような……

 ふと昴が言った。

「いつだっけ? リューちゃんが初めて漫画を読ませてくれたのって」

「えっと……二人とも六才のときだったっけ?」

 流渡は懐かしそうに眼を細めた。

 出会ったばかりのころ、昴と仲良くなりたかった流渡は親のタブレット端末をこっそり持ち出し、「面白いものを見せてあげる」と言って昴を庭園の繁みの中へ連れ込んだ。
 そこで二人でフォート自治法によって有害指定されている少年漫画雑誌、週刊少年ボンドを読んだのだ。

 流渡と昴はいつも幼馴染であり、無二の親友であり、そして共犯者でもあった。

「私、パパの買ってくれた本しか読んだことなかったからすっごく驚いた。どんどん人が死ぬし、汚い言葉は出てくるし。〝クソクソクソクソ! みんなクソ!〟とか」

「女の子はみんなムチムチだし」

 二人は笑いあった。

 ふと会話が途切れ、昴は大きくため息をついた。

 流渡が辛抱強く待っていると、彼女は眼を伏せてぽつぽつとつぶやいた。

「晩餐会のあとね、お客様をお送りしたあとにパパに呼ばれてね。パパ、こないだの健康診断で霧雨病って診断されたんだって。若いころに外界に出てムチャしてたって言ってたから」

「そうなんだ……気の毒に」

 流渡は心から昴に同情した。昴の父親は購坂フォートをよく治め、多くの人々の尊敬を集めている。流渡の父の恩人でもある。

「パパが言ったの。この病気は治らないし、自分はもう長くないって。それでもしこの病気のことがフォートの経営会社の人たちに知れたら……」

 昴は涙をこぼし、グスッと鼻をすすった。

「パパの後釜を巡って必ず争いが始まるって。社内の誰が何をするかわからない。スキャンダルとか、脅迫とか、暗殺とか。そういうことを平気でする人たちだから。そうなったとき私を守ってくれる人が必要だから……パパはね、自分が生きているうちに、私に結婚をして欲しいって」

 流渡の心臓がどくんと波打った。

「結婚!? だ……誰と!?」

「今日いらっしゃった人たち。渦島《うずしま》様のご長男。家柄も地位も申し分ないって」

「結婚……? 昴が……?」

「パパはね、死んだママに約束したんだって。必ず私の花嫁姿を見届けるって。パパのことは大好きだし願いは叶えてあげたいけど……でも……どうすればいいんだろう」

 流渡は何も答えられなかった。胸が苦しい。息ができない。

 昴は涙を拭い、精一杯流渡に笑った。

「話したらちょっとスッキリした。ありがと、リューちゃん」

「ううん……」

「私ね……リューちゃんが友達でホントに良かった。リューちゃんがいなかったら色んなことに耐えられなかったと思う」

(僕は君が好きなんだ! 初めて会ったときからずっと、ずっと……)

 喉元まで迫ったその言葉を、流渡はとうとう口に出来なかった。
 昴の友人、父親、そして昴自身の言葉が次々に浮かんでは消えた。

(((それに衛木くんじゃ家柄が違うでしょ)))(((お嬢さんはダメだ)))(((友達でホントに良かった)))(((友達で……)))(((友達で……)))

 昴は席を立った。

「そろそろ着替えなきゃ。リューちゃんもお父さんを待たせてるんじゃないの?」

 流渡はほとんど茫然自失のまま立ち上がった。

 昴は心配そうに言った。

「ねえリューちゃん……私が誰かと結婚しても友達のままでいてくれる?」

 流渡は笑った。笑おうとした。

「……当たり前だよ。ずっと友達……だから」


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