8.龍伐湾の怪物(5/5)
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「オラアアアアアアアアア!!」
漁船の操舵室天井を蹴って跳ねたブロイラーマンは、海面から飛び出していた銛の尻に渾身のパンチを叩き込んだ。それは以前、刀蔵の父親が撃ち込んだものであった。
対物《アンチマテリアル》ストレート!
ズギュッ!
更に深く銛が押し込まれ、呑龍は苦痛にびくんと体を跳ね上げた。リップショットと刀蔵の隣を反れて行く。
ブロイラーマンは大暴れして振り回した呑龍の尻尾を蹴り、その反動で甲板に飛び移った。そのときにはもう日与の姿に戻っている。
昴と刀蔵が漁船甲板に引き上げられた。
「やれ、凛風!」
昴はその場に腕があるかのように念じた。鯨撃砲に残してきた彼女の白骨の腕が曲がり、捕まっているレバーを下ろす。
ガチャン!
数万ボルトの電撃が流し込まれ、呑龍の内臓を焼き尽くす!
「ギシャアアアアアアア!!」
呑龍は悲鳴を上げてなおも一層激しく身をよじった。
数秒後、恐ろしく長大な呑龍が感電した小魚と共に海面に浮かび上がってきた。その目は煮魚のように真っ白に変色しており、二度と身動きすることはなかった。
「やった! やったぁあ!」
昴は大はしゃぎで日与に抱きつき、日与は会心の笑みで彼女を抱き上げた。
「ハッハー! どんなもんだ!」
* * *
そのころ、少し離れた砂浜では。
青い肌をした人魚じみた人影が砂浜に這い上がった。その体はすぐに人間のものへと変わって行く。
「ええい! 人間《血無し》相手にこんな醜態をさらすとは!」
そう吐き捨てた彼女は歌女《うため》家のローレライ。思念波で異態生物を操る能力を持つ血族であり、血盟会の銀バッヂである。一ヶ月前から海中に潜んで呑龍を狂わせ、龍伐湾の船を沈めていた張本人だ。
ローレライも電撃を多少受けたが、距離があったので致命傷には至っていない。痺れる体を引きずって海辺の道路に上がると、そこに黒塗りの乗用車が待っていた。
運転席にいた黒服の男が助手席のドアを開けた。翼を意匠化した銅色のバッヂを着けている。ローレライの部下の血族で、ネレイスという名だ。
ローレライを乗せると、ネレイスは車を出した。
「山岡は別ルートで逃がしました」
「そんなことはどうでもいい! すぐに血盟会の救援を呼べ! ブロイラーマンとリップショットが連中に手を貸していた……」
「あっ」
ネレイスが目を見開いた。
反対車線からバイクが走ってくる。それに乗ったライダースジャケットの男は、右手に抜き身の刀を持っていた。
それは血盟会がこれまで何度も雇った暗殺者だった。ネレイスは驚きのあまりその男の名を叫んだ。
「人斬り斬逸《きりつ》!?」
バイクと車がすれ違った次の瞬間、斬逸の刀が閃いた。次の瞬間、ローレライの首は胴体から離れていた。スプリンクラーめいて噴き出した鮮血が車内を真っ赤に染め上げる。
「うわあああ!?」
ネレイスは驚いて急ブレーキをかけた! 道はカーブに差し掛かっており、車はガードレールに突っ込んで停まった。
ガシャン!
ネレイスは恐る恐る顔を上げ、首のないローレライを見た。フロントガラスから助手席のドアにかけて真一文字の切れ込みが入っている。斬逸が抜刀して車越しに首を跳ねたのだ。
ネレイスはヒイッと悲鳴を上げ、慌てて運転席から飛び出した。
タイヤでアスファルトを切りつけながらUターンしたバイクが戻ってきて、ネレイスを追い越し際にその足を跳ねた。
スパン!
切断されたネレイスの右足がアスファルトを転がっていく。
「ああああああ!!」
バイクを急停止させた降りた斬逸はネレイスを見下ろし、刀を肩に担いだ。
ネイレスは彼に向かって喚いた。
「貴様、裏切るのか!」
「裏切るも何も、ここ最近はお前らが放った刺客の相手で大忙しだぜ。ブロイラーマンを殺すのに失敗したんで俺はもう用無し、だが多くを知り過ぎてるんで生かしとくのもアレってんだろ?」
「待て! 俺を殺せば滅却課が、血盟会が黙っているわけがないぞ!」
「心配すんな。お前を殺すのは俺じゃない……俺なんかよりもっとおっかねえヤツだ」
ドムッ!
斬逸は刀背でネレイスの首を打ち、気絶させた。
* * *
「さあさあ、こいつを見て下せえ! 百年に一度の大物だ! 競り落とせば世間が大注目すること間違いなし。初マグロなんか目じゃあないですぜ!」
組合長は大型クレーンに吊るされた呑龍を手で示し、歯切れよくテレビカメラに向かって喋っている。
牙貫漁港にはマスコミや野次馬のほか大企業のエージェント、異態生物ブローカー、異態生物学者、物好きな金持ちなどが詰めかけ、大変な騒ぎになっていた。入札開始を前に群衆のテンションは最高潮を迎えている。
呑龍の骸には驚くべき高値がつくだろう。その売り上げは船と家族を失った漁民に分配されることになっている。
刀蔵は日与と昴にも取り分を渡すと言ったので、二人はそれを斬逸の口座に振り込んでくれと頼んだ。今回の報酬だ。
斬逸はふてぶてしく鼻を鳴らした。
「お前のことが気に入ったわけじゃねえぞ、血羽。だが仕事は仕事だ」
斬逸はそう言い残し、早々に立ち去った。
日与と昴は駅のホームで帰りの電車を待っていた。刀蔵たちに別れの挨拶もろくにしていないが、長居するつもりはなかった。
日与は滅却課血族から情報を引き出し始末したことを永久に伝え、スマートフォンを切った。目前に広がる光景に目をやる。駅は丘の上の高台にあり、牙貫漁港とその前に広がる海が一望できる。
日与は隣に立っている昴にふと切り出した。
「あー、昴。竜骨のことだけどさ」
「うん?」
「お前が竜骨を殺すって言うなら協力する。だけど、もし許したいって言うんなら……」
「言うんなら……?」
「それでも、やっぱりお前に協力する」
昴は大きな目をぱちくりさせた。
「いいの? 人殺しの血族でも?」
日与は不満げに鼻を鳴らした。
昴が流渡の件を決断しかねているのは、弱いからだと日与は思っていた。だが彼女は迷うことなく子どもを助け、呑龍に向かっていった。
日与にもだんだんわかってきた。昴は優しいのだ。それがゆえに強く、また弱くもあるのだ。
「お前がそうしたいって言うんならしょうがねえ。どうするにせよ、俺は必ずお前の側につく」
昴は心から嬉しそうに笑った。
「ありがと」
「ただ、今のままじゃ俺もどっち側にも立てないぞ」
「うん……そうだね。わかってる」
いつか決断せねばならない。流渡を殺すのか、それとも……
昴はふと漁港に視線をやった。埠頭に大漁旗を持った男と、彼に肩を抱かれた子連れの女が見えた。
(続く……)
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人斬り斬逸はこちらの短編に登場します。良かったら読んでみてください。
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ほんの5000兆円でいいんです。