あなたみたいに優しいヤクザはいない(3/7)
3/7
カダヴァーはドアを閉ざした。
流渡、雨奈ともに防霧マスクを装着している。流渡は雨奈に微笑み、ごく当然のように世辞を口にした。
「とてもキレイだ」
雨奈はそれが自分にかけられた言葉だとわかるまで一瞬の時間がかかった。自分のドレス姿を見下ろし、落ち着きなく手でしわを撫で付けながら、戸惑った顔で言った。
「あんたみたいなヤクザっていないよ」
流渡がタクシーを捕まえ、パーガトリウムに向かった。
タクシーの中で雨奈は流渡を見つめた。ぱりっとしたドレススーツ姿が似合っている。生まれながらに着こなしを知っているかのようだ。
「あんたってもしかして……すっごくお金持ちの生まれだったりする?」
「すっごくお金持ちの家に仕えてたコックだった」
雨奈は納得した顔をした。
「でも王子様みたい」
流渡は悲しげに笑った。
「僕は家来だった。そこのお嬢様の」
「そのお嬢様って言うのが、あんたの好きな人だったり?」
「……」
流渡の表情に影が差した。雨奈はまずいことを聞いたと悟り、それきり黙ったが、好奇心が押さえ切れないのがありありと見えた。
* * *
こうして物語は冒頭に戻る。
流渡と雨奈は問題なくパーガトリウムの潜入調査を負え、店を出た。タクシーで街角に向かい、カダヴァーたちが待つワゴンに乗り込む。ワゴンはフォートに戻り、肋組本部にほど近い施設へ向かった。
そこは潰れた企業の研修合宿所を肋組が買い取ったものだった。流渡たち新入りの戦部衆はここで共同生活を送り、協調性と連帯感を育むのだ。
だいぶ遅い時間で他の組員の姿はない。雨奈は先に休ませ、血族三人はがらんとした食堂で話をした。
流渡は厨房で残り物を漁り、手早く三人前の夜食を作った。鶏肉の団子(刻んだ軟骨が入っている)入りカレースープに、茹でたインスタントラーメンを入れたものである。
鶏の骨で出汁を取る時間があればもっといい味になったのだが、今日のところは化学調味料で済ませた。
カダヴァーはそれを食べながらスマートフォンを見た。ドローンが送ってきた映像が映っている。
「今日のところはデッドフレッシュはいなかったな。だがショーで拷問してた野郎は血族だ。見た感じでわかった。デッドフレッシュ子飼いの銅バッヂだろう」
肋組の宿敵である血盟会は、巨大企業ツバサ重工を裏から操る強大な闇の組織である。両者はこの天外市の縄張りを争い、もう何十年にも渡って一進一退の抗争を繰り広げていた。
血盟会のメンバーは翼を意匠化したバッヂをメンバーの証として着けている。銀色のバッヂは幹部クラスで、銅色のバッヂはその下で働く部下である。
流渡はラーメンをすすりながら聞いた。
「襲撃はいつやるんですか?」
「ドローンをパーガトリウムの事務所に忍ばせといただろ。アレは盗聴器としても使えるわけよ。今日から聞き耳を立てて、デッドフレッシュが来る日を確かめる。その日に万全の体勢を整えて襲撃をかけると、そういうわけだ」
流渡は感心した。なるほど、カダヴァーは確実な仕事をする男だ。むやみに敵陣に攻め込んだりはしないわけだ。
「さすがは兄貴ですね」
「ヘッ! お世辞を言うのはウマにやらせとけ」
ウマノホネがスープをすすり、いつもの下品な笑い声を立てた。
「ヘッヘッヘ! そういうこった。兄貴の頭のキレは組で一番だぜ」
流渡はふと、二人に聞いた。
「あの……雨奈はどういうなりゆきで肋組に?」
ウマノホネとカダヴァーはニヤついた。
「おっ。ニイチャン、あれが気に入ったのかい? ヘッヘッヘッ!」
「あいつはドローンをどこに隠したんだろうなあ? 自分の眼で確かめたいよなあ、えぇ?」
こういうときは年下の男がからかわれると決まっている。流渡は居心地の悪そうな苦笑を浮かべてやりすごした。
カダヴァーが言った。
「肋組の下部組織にKILL-DEATH《キルデス》ってストリートギャングがあってな。雨奈はそこのリーダーの女だった。ところがそのリーダーの男が下手打ってなあ、組から借り入れた金を返せなくなっちまった。で、雨奈が何でもするから男の命だけは助けてくれって言った。それで借金を二分して男と雨奈の両方に背負わせたのさ」
「雨奈はその返済のためにここで働いてるんですか。男はどうなったんですか?」
「カニ漁船に乗せた。今ごろ凍てつく北の海でカニを獲ってる……と、雨奈は思ってるんだろうがな」
ウマノホネがバカにしたように笑った。
「その男はよう、別の女と逃げようとしたんだ。だから兄貴の命令でアッシが殺した。生命保険で返済させるためにな。バカな野郎だぜ! 二~三年も我慢すりゃ、まあ二度と食えねぇくらいカニが嫌いにはなっただろうが、生きて帰れたってのによ」
「雨奈に言うんじゃねえぞ。男が生きてると思わせておけば言うことを聞くからな。ところで若造、お前の作るメシうまいな。おかわりだ」
「アッシも! 大盛りで頼むぜ」
流渡は嬉しそうに笑った。
「喜んで」
話し合いを終えると、カダヴァーとウマノホネはそれぞれの自宅に帰った。流渡は食器を洗い、厨房の後片付けをして自室に戻った。
ベッドと机、クローゼット、テレビしかない独房のような個室だ。だがマンションの大部屋で雑魚寝している人間の部屋住み組員に比べればずっと上等である。
流渡は部屋に入ろうとしてドアを開け、その直後に仰け反るくらい驚いた。ベッドに雨奈が腰かけている。服は脱ぎ捨ててあり、下着しか身に着けていない。
流渡はドアノブにしがみつきながら、呆気に取られて聞いた。
「な……何してるの?」
「見ればわかるでしょ」
「わからない」
「抱いてよ」
雨奈はお茶でも出すようにあっさり言った。
流渡は目をしばたたかせた。
「何で?!」
「お喋りが多いね」
雨奈は呆れたように笑い、上目遣いに流渡を見上げた。その仕草に流渡はどきりとさせられた。
「あたし、ひと目でしたいって思った人とはしたい。したくないって思った人とは……イヤだけど、それも仕事だし。あんたとは、したい。ねえ、脱がせてよ」
雨奈は立ち上がった。胸が大きい。腰がくびれ、ゆるやかなラインが大きく張り出した尻に続いている。全身からバニラのように甘ったるい香りを漂わせていた。
その体は真っ白で、隅々にまで潤いが満ち溢れていた。思わず手が伸びそうになるほど柔らかそうだった。
流渡は思わずドアを閉めた。閉めたくはなかったが、彼女の裸身を人に見せるわけにはいかなかった。それっきりその場から動けないでいる。
雨奈は眉根にしわを寄せた。
「ねえ、イヤなの?」
「別に君がキライじゃないんだ。でも……」
流渡は言葉に詰まった。雨奈が一歩前に出ると、流渡は思わず背中をドアに押し付けた。
雨奈は言った。
「目を閉じて、あんたの好きな女の子のことを考えていればいいよ。今だけそのコだと思って」
(ど……どうなってるんだ、外界の女は?! みんなこうなのか?)
とある高級フォート育ちの流渡は戸惑い、そしてはっとした。
「あ……もしかしてカダヴァーの兄貴に言われて来たの?」
雨奈は頷いた。
「うん。そうだけど、あんたならイヤじゃない」
流渡にもやっとどういうことかわかってきた。これはつまり、カダヴァーが流渡を兄弟として受け入れるため、また男同士の結束を高めるための一種の儀式なのではないか。
(カダヴァーの兄貴! あなたのことは尊敬してますけど、そういう意味でも〝兄弟〟になれって言うんですか?)
流渡は雨奈に触れないよう、こっけいなくらい体を傾けながら、ベッドから毛布を拾い上げた。それを雨奈の肩にかけ、ベッドを指差した。
「座って。そっちに」
「え?」
「話すだけならいいよ。それ以上のことはしない」
雨奈は戸惑った。彼女は流渡に戸惑ってばかりだった。
「何で?」
「言っただろ。僕には好きな人がいるんだ」
その目には固い決意が込められていた。雨奈はすごすごとベッドに上がり、膝を抱いて座った。
流渡は机の椅子に座り、微妙に雨奈から視線を外しながら言った。
「前を閉めてくれると話しやすいんだけど……」
雨奈は言われた通り、毛布の前をかき合わせて閉じた。そして興味深そうに言った。
「どんな人なの? あんたの好きコって」
「すごくキレイな女の子だった。君も美人だけど、タイプの違う美人って意味でね」
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