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山合の谷歴史民族博物館(僻地からの手紙)

山合の谷歴史民俗博物館で暮らしはじめて、しばらくすると、奇妙な事象に見舞われました。夜の夜中になると、若い女性の声がするのです。「ド、ド、ド、ド、ド、サ、サ、サ、サ、サ」
博物館はもちろん、人っ子一人いない山奥です。
「ド、ド、ド、ド、ド、サ、サ、サ、サ、サ」
夢と現実をうつらうつらしている夜更け前、若い女が私の枕元に立っている、そんな気がして目を覚ますと女はいない、そんなことが二度、三度と繰り返されました。ただ、ドとサの余韻だけが、枕元に残されました。

それから数ヶ月がたったでしょうか。誰も来るはずのない博物館に来訪者が訪れました。大熊田元館長でした。大熊田元館長は山合の谷の集落で暮らしはじめてから、顔の八割が髭で覆われ、もはやどんな顔をしているのか判別できぬ容貌と化していました。「ド、ド、ド、ド、ド、サ、サ、サ、サ、サ」
大熊田元館長はドサ弁を話しました。もしかしたら大熊田元館長のドサ弁は初心者向けに発話されていたのかもしれない、不思議なことに私は彼の喋るドサ弁を理解していました。
「心の声で聴け」大熊田元館長はそう言っているのが分かりました。「心の中の漂流者の耳で聴け」

その日を境に、枕元に立つ若い女の言葉が分かるようになりました。毎晩、夜の夜中にやって来て、夢か現かの時間帯、私は女の言葉を聴きました。女は、自分は迫害され、虐待され、自害した少女たちの魂の総体であると述べました。彼女が語る物語は、PTSDに起因する摂食障害や自傷行為や性的放縦、強迫行為についてでした。それを私は聴きました。

私は再訪してきた大熊田元館長に感謝の言葉を述べました。大熊田元館長の全身の九割は固い羽毛で覆われ、山道を歩くと、草木と一体化して、手に持つ杖が無ければ人間とは判別できぬ容貌と化していました。

あなたに手紙を書くのは最後かもしれない、私は最初にそう言いました。もしかしたらドサ弁で書かれたこの手紙は、あなたには読めないのかもしれない、いや、聡明なあなたは、心の眼でこの手紙を読み解くのかもしれない。読み終えたあなたは、果たして何と言うのでしょうね。知的なあなたは「心因的逃走」とでも言うのでしょうか。あるいは「解離性遁走」とでも。
思えば、私はずっとあなたに負い目を感じてきました。元はと言えば、私なんかよりあなたの方がはるかに優秀なのです。それは私も分かっているし、あなたも分かっているはずです。ところが結婚したとき、私は市役所の仕事を取り、あなたは世界を飛び回る仕事を捨て、家庭に入った。なぜあのような選択をしてしまったのか。それから20年が過ぎ、静かに心身を壊し、静かに壊れていくあなたを見るのは辛かったです。私は僻地の博物館に異動希望を出し、逃げるようにこの地に来ました。私はもう戻りません。こっちに来るということはそういうことなのです。

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