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彼らはそこを名付けた希望ケ丘ニュータウン

パワーシャベルで削った 丘の上幾つもの 同じ様な小さな家 彼らはそこを名付けた希望ケ丘ニュータウン(浜田省吾「マイホームタウン」)

みなさん、こんにちは。
本日は少しお時間をいただきましたので、「限界住宅地の現状とその活用について」と題しまして、私自身の体験を交えながらお話しさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

それでは、スライドをご覧ください。
いきなり、浜田省吾「マイホームタウン」の唄い出しを引用してみました。
歌詞がパワーショベルで始まる唄ってなかなかないと思うんですが、この唄がシングルで出たのが1982年。まさにこの時期こぞって、この唄で描かれるように、山の上をパワーショベルで削って住宅団地が乱開発されました。時代はバブルの入口かやや手前ですね。
本当に、「希望ケ丘ニュータウン」って日本中にあるんですよ。今では、各地で「絶望ケ丘ニュータウン」と化しているわけですが。

次に、今日のテーマ、「限界住宅地」って何?ということですが、その前にまず1点目、「限界集落」。
これはよく聞きますね。漁業とか農業、林業の第一次産業に従事する人たちで形成された、元からある昔ながらの集落。いわゆる過疎地域ですね。
これが、市町村合併が進んだ2000年代以降、社会インフラを維持できなくなってきている。
過疎地域の公立病院の閉鎖、公立小中学校の統廃合、公共交通の撤退。買い物弱者の問題。これには高齢化、免許返納の問題も絡んでくる。まあ、よくある話ですね。はい、次ページ。

2点目、最近、「限界ニュータウン」というのがちょっと話題になってきています。
多摩ニュータウンとかが例に出されたりしますが、これらは先ほど言ったバブル期ではなくて、高度経済成長期。列島改造、田中角栄の時代ですね。
この時代の開発の特徴は、官製主導で、巨大だということ。それが今、街自体が老朽化して、住人も高齢化して問題視されていると。
ただ、限界集落に比べると、医療、教育、交通、生活環境は維持されています。はい、次のページ。

ここからが、今回のテーマ「限界住宅地」の話になります。
前の2つと比べて、限界住宅地はほとんど話題にもならないですが、官製の巨大な限界ニュータウンが楽園に見えるくらい、実は一番深刻なんですよ、という話を今日はしたいと思います。

ではまず、限界住宅地の定義ですが、限界ニュータウンよりもうちょっと小規模の、バブル期に造成された民間開発の住宅団地で、さまざまな要因があって、今は衰退、崩壊している地域を指します。
時代背景として、バブル期には、土地神話、新築一戸建て信仰がありました。とにかく飛ぶように住宅が売れますから、民間デベロッパーの団地造成は土地と安さを求めて、どんどん山奥、山の上に向かいます。

限界住宅地の特徴の大きな点ですが、分譲開始したけども、街としての完成を見ることなく、バブルが崩壊して、デベロッパーが倒産してしまったということが挙げられます。
この問題は、ダメなデベロッパーの存在も大きくて、個人的にはダメロッパーって呼んでるんですけど、負の遺産の典型的な例としては、道路が公共に帰属されることなく私道のまま倒産してしまうと。
そもそも開発するときは、インフラはデベロッパーが整備して、地方自治体に寄附するのが一般的ですが、ダメロッパーは少しでも安く上げようと、道路を市道の基準を満たす規格にしなかったり、公共上下水道を整備しないで、「集中井戸」「合併浄化槽」で済ますことが多い。「私道」も含めてこの3点が、限界住宅地の特徴的な点になります。

次のページには、レアなケースとして、「越境住宅地」を紹介しています。
ちょっとイメージしにくいかもしれませんが、限界住宅地は山の上が多いので、行政境界近くにできることが多い。それ自体、悪くないんですけど、所在地がB市なのに、唯一の出入口を下りた先の生活圏がA市といった場合がまれにあります。
これは最悪ですね。学校も、ごみ収集も、コミニュティバスも行政サービスは市単位での運営なので。なんせ隣の市を経由しないと行けない、実質、隣の市の住民ですから、真っ先に切り捨ての対象になります。公費を投じる理解を得られにくい。あっという間に、陸の孤島と化してしまう。
ではなぜ、こういうことが起こるのか。
ムチャな開発計画にA市はストップをかける。許可しない。そもそも山の上は市街化調整区域ですからね。けれども隣の過疎地域のB市は、人口減少を食い止めるのが最大の課題で、なりふりかまっていられない。ムチャな開発と分かってて許可するんです。だからこんな、隣の自治体寄生団地みたいな事態になってしまう。

次に、ここからは、私が体験したことになるんですけど、私自身も限界住宅地の出身です。
限界住宅地がどういう経過をたどるのか、私の体験をもとにお話しします。
私が住んでいた開発団地、(仮称)希望ケ丘ニュータウンは全体計画が400区画くらい。昭和が平成になった頃、私は小学生でしたが、たぶんその辺りがピークで、80世帯くらいだったと思います。病院はおろかコンビニもスーパーもない。
印象としては最盛期でもスカスカでしたね。でも、住民の年代層が近いせいで、同級生が5人くらいはいました。
希望ケ丘は、過疎集落のさらに山の上にあって、入口の急坂には簡易モノレールがありました。
団地内に学校予定地とバス営業所予定地はありましたけど、もちろん空き地です。子供心に、こんなとこにバスとか学校とか来るわけねえよって思ってましたね。
団地内を歩いて、モノレールで下界に下りて、やっとそこが過疎集落で、そこからコミニュティバスに乗って40分かけて学校に行ってました。
私はそんな閉鎖的な環境がイヤで、また両親との折り合いが悪かったのもあり、高校で一人暮らしを始めてから35歳で結婚するまで20年間、一度も実家に帰りませんでした。
帰ったとき、覚悟はしてたんですが、あまりの衰退ぶりに衝撃を受けました。最盛期、80世帯いたのが、そのときはもう12世帯。そして、住民の平均年齢は76歳。

スライドの上の写真。私が20年ぶりに帰ったときの写真です。
錆びて朽ち果てたモノレールですね。もちろん今はもう動かないモノレール。
ピンクの「希望ケ丘」のロゴが痛々しい。まあ「希望ケ丘」と名付けた彼らは倒産してますからね、希望もなにもあったもんじゃないですよね。

スライドの下の写真。
雑草が生い茂る区画と、舗装が剥がれてガタガタの道路。市道じゃないんで道路はどうしてもこうなるんですけど、本当に怖いのは夜で、1個も街灯がないんですね。それに、空き家・空き地ばっかりなんで、本当に闇なんですよ。もうね、森と変わらない。夜に出歩けるか、とか議論の余地ないくらい暗い。

この街に一体何が起きてしまったのか。
さきほど、限界住宅地の特徴として、「私道」「集中井戸」「合併浄化槽」の3点を挙げました。地獄の3点セットですね。
デベロッパーは倒産してますから、これらを自分たちの管理組合で維持しなきゃいけないんですが、これが途方もなく大変で、途方もない金額で。
モノレールも管理組合所有なんですけど、モノレールまで手が回らない。
あと、地味にヤバいのがプロパンガス。都市ガスなんてものは当然なくて、プロパンガス一択です。ピザ屋も宅配を断る辺境ですから、管理組合単位で契約してるんですけど、まあバカ高い。プロパンガスってほぼ言い値ですからね。ボンベを持って行かないって言われたら終わりですし、結局1世帯あたり月2万から3万くらい取られる。

結婚して数年後、私自身にも子供が生まれて、実家との関係が少しは改善された頃、母から連絡がありました。
父に少し認知症の症状が出てきて、車の事故を起こしてしまったらしく、幸い軽傷で済んだけれども、もう運転できる状態ではないので免許返納させたいと。でも、この地で車がないのは死ぬのと同じだと泣きつかれました。
母は運転しませんから、その気持ちは分かりました。私は20年もの間、実家を棄てた身なので、とやかく言える立場ではないんですが、今すぐ引っ越ししたいが、団地の付き合いがあって出られない、管理組合を脱退するのに50万円払わないといけないと聞いたときは、さすがにそれはおかしいと思いました。そんなバカな話があるものかと。

次のスライドをご覧ください。
2012年のとある事件の新聞記事を抜粋しています。
F町で、住民同士による刺殺事件がありました。記事には隣人間の何らかのトラブルとしか書かれてませんが、この被害者は団地の管理組合長でした。
これが「限界住宅殺人事件」ですね。あまり知られてないですけど、この手の事件、実はめちゃくちゃ多いんですよ。管理組合費がバカ高いし、脱退するときは規約で法外な違約金を取られますから、トラブルになりやすい。新聞記事ではご近所トラブルの一言で片付けられてしまいますが。

私は迷いましたが、母に代わって組合長と交渉をすることにしました。私が首を突っ込む立場ではないとは思いましたが、車がなくては両親の生活が成り立たないのは目に見えていましたし、引っ越しを認めないとか、違約金を払えとか、そんなことはあってはならないという義憤の気持ちもありました。
もう希望ケ丘では暮らせないから引っ越しする、違約金は払わない、そう伝えるつもりでした。
組合長、一体どんな悪党なのかと。私は決闘に行くような気持ちでした。しかし、実際に会った管理組合長は私のイメージした人物像とはまるで違いました。(後半へ続く)

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