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ショートショート「街の冬」

優しい兄でした。私たちは仲の良い兄妹でした。兄は先月、亡くなりました。50歳でした。生涯、独身でした。兄は毎日、体が不自由な私のために吉野家の牛丼を買ってきてくれました。民生委員の杉山さんは、毎日毎日、牛丼なんて体に悪いわよって言うけれど、私には十分でした。体に良い食事をしたところで、私の手足は自由になるわけではありません。

兄は長い間、市役所で働いていました。生活保護課でケースワーカーをしていました。河北市役所のあの事件を境に、兄は別人になってしまいました。

冬のある日、40歳代の姉妹が河北市の自宅アパートで孤立死しました。死因は餓死でした。姉妹は生活保護の申請を受け付けられず餓死したことで、市役所の対応に批判が集まりました。事件は大きな話題になり、全国ネットのワイドショーで取り上げられました。テレビが言うには、姉妹の申請を断った市役所に苦情の電話が殺到している、断った担当者の名前がネットに実名で晒され叩かれている、とのことでした。

どうやら兄がその担当者だったようで、杉山さんが言うには、大変なことになった、危険な人たちが兄に危害をくわえようとしている、だから家から出ないで、とのことでした。

兄はその日を境にふさぎこむようになりました。私にはネットで叩かれるということがどういうものなのか分かりませんが、兄の様子を見て相当なものだと分かりました。やがて兄は仕事に行けなくなり、一日中家にいて、ぼんやり窓の外を眺めていました。

やがて、兄は市役所を辞めました。その前日、私に話がありました。話す前から、話す内容は分かりました。私は言いました。「自分の思うとおりにして。私のために無理することだけはしないで」

その後、兄はトラック運転手やタクシードライバー、警備員になりました。しかしどれも長くは続きませんでした。兄は真面目に仕事をしましたが、1ヶ月くらいしたら、もう来なくていいよと言われるようでした。私にはそう言われる理由がよく分かりました。もともと兄は不器用で無口なタイプでしたが、事件を境に、さらに何と言うか負のオーラのようなネガティブな印象を発するようになりました。そのような人が職場から敬遠されるのはよく分かります。それでもなお、兄が家族、つまり私のために懸命に頑張ってくれてるのだと思うと胸が苦しくなりました。

「コンビニを始めようと思う」しばらくして、兄は言いました。「バイトじゃないよ。店を買って店長になるんだ。ちょっとばかりお金がかかるけど、退職金があるからなんとかなるさ。店長になればクビになることもないし、コンビニだったら客は来るし、いい場所に立地できるし、潰れることもないから」

兄は駅前の一等地にコンビニをオープンさせました。店長になってから、生活は一変しました。私の夜ごはんは、吉野家の牛丼から、賞味期限の過ぎたコンビニ弁当に変わりました。兄は私に弁当を届けると、またコンビニに戻りました。自分がシフトに入ってバイトを減らさないと利益が上がらないのだそうです。それでも売上は思うように上がらず、頻繁に、コンビニチェーン本部の大学出たてのエリア担当に怒られているようでした。兄はみるみるうちに痩せて、やつれていきました。

そんな中、事件が起きました。兄と顔見知りの生活保護受給者の数名が兄に気づき、店のイートインのスペースにたむろしはじめたのです。兄は黙認しました。かつて姉妹を死なせた負い目が兄にはあったのかもしれません。彼らは特に悪さをするわけではありませんが、体から独特の酸っぱい臭いを発する人たちが何時間も居座るので、兄の店は浮浪者が集うコンビニとして、一般客からクレームが殺到しました。そのことでエリア担当者の怒りを買い、イートインスペースの貼り紙を強制的に「長時間利用禁止」から「生活保護利用禁止」に変えさせられました。兄は貼り紙に対する人種団体などからのクレームにも悩まされることになりました。

兄は目に見えて疲弊し、おかしくなっていきました。充血して焦点の定まらない目、ボサボサの髪の毛、土色の肌。聞き取れない独り言をブツブツと呟くようになりました。そして、すぐその後、決定的なことが起きました。兄の店の目の前に同じチェーンのコンビニがオープンしたのです。他のチェーンの進出を防ぐため、同じエリアにいくつも出店させるフランチャイズの作戦で、ドミナント戦略と言うのだそうです。そうなればもう勝ち目はありません。真向かいに同じコンビニがあるのなら、生活保護受給者であふれ、おかしな様子の店長がいるコンビニに誰が行くと言うのでしょうか。もはや店を畳むしかない経営状況に追い込まれました。しかし、店を畳めば本部から多額の損害賠償を請求されてしまう。行くも地獄、戻るも地獄、八方塞がりとはこのことです。

訃報が届いたのは、それから2週間後のことでした。冬の早い朝、兄は街の川に飛び込んで、還らぬ人となりました。死亡解剖の結果、普段まったく飲めない多量のアルコールが検出されました。冬の川はどれだけ寒かったろうか、自死する覚悟で飲めない酒を飲む兄の心境はいかほどか、私はそれを思うと涙が止まりませんでした。

兄の死から1か月が経ちました。兄の自死は大きなニュースになり、コンビニチェーンのエリア担当者がネットで叩かれていることも知りました。大学出たてのエリア担当者は今、行方不明だそうです。私は誰かを責める気はありません。誰も責める気はありません。誰もが生きるのに一生懸命で、ちょっとだけ他人を思いやる余裕がないだけだと思います。兄は不器用でした。兄は少しだけ生きるのに向いていなかったのだと思います。ただ、兄は優しかった。私は優しかった兄をいつまでも覚えていよう。それだけで十分なのだと、私は思うようにしています。

私たちは仲の良い兄妹でした。少しずつ平穏な生活を取り戻しはじめました。私はヘルパーさんにお願いして、1か月に1度だけ、吉野家の牛丼を食べます。民生委員の杉山さんは体に悪いって言うけれど、私は吉野家の牛丼が好きです。

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