社会の中での幸せ

〜誕生日の1時間前に25歳を振り返る〜

 こんにちは。こんばんは。おはようございます。くしゃくしゃです。 

社会人2年目になって久しい今日この頃、会社で仕事をしながらよくこんなことを考えます。(真面目に仕事しろ)

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 ほとんどの人間は社会の中で生きている。もっと言えば人間は社会の中で生きることを余儀なくされている。そこに選択の余地を与えないことで秩序が発生し、その秩序は社会という名前をしている。

 人間は生まれた瞬間にはそのことを自覚できていないが、年齢を重ねるにつれて社会という秩序の中で生きていることを思い知らされることになる。社会はその中で生きる人間に、その中で生きなければならないという不自由と、その中で生きる限りにおいての自由の二つを差し出す。その不自由と自由に気が付くまでの過程のことを成長と呼ぶ。

 だから成長は順応の別の名前だということができる。まだ未熟な人間には社会秩序が朧げにしか見えていないので、自分に与えられた不自由の意味がわからず憤慨したり、無限の自由を求めたりもする。

 自由には不自由が伴うことを正しく理解したときに人間は社会の中で生きる者として成長する。そして特定の自由を手に入れるために自ら不自由に手を伸ばす勇気が沸いたのなら、その結果手に入れた条件付きの自由はきっとその人にとっての幸せと呼べるのだろう。

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