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どうする、ニッポン

1.2.2 先進国首脳会議

1973年のシュルツ財務長官が開催した世界経済の課題についての会議を受けて、1975年に第1回の先進国首脳会議がフランスのランブイエで、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本を招いて開催されました。会議に招待されていないイタリアのモーロ首相が乗り込んできて、先進国首脳会議はG6になりました。イタリアの政治的に不安定な状況はその後も続いて、1978年にモーロ首相は極左テロ組織「赤い旅団」によって暗殺されています。第1回先進国首脳会議を主催したフランスのジスカールデスタン大統領は定期的に首脳会議を開催することを提案して、各国が毎年持ち回りで会議を開催することが合意されました。

余談ですが、日本の番がきて話を始めるというより書類を読み始めると、ジスカールデスタン大統領は新聞を出して読み始めたというニュースが流れたことがあります。

第2回会議はアメリカの担当でプエルトリコのサンファン開催が決まりました。首脳会議のメンバーはヨーロッパ勢が4か国となったので、フォード大統領はバランスを取るためにカナダの参加を要請しました。カナダのGNPは日本の約40%で7位、中国は8位でした。GNPの大きさから判断すると、1位のアメリカから7位のカナダまで工業化された民主主義国が占めています。カナダが先進国首脳会議のメンバーとなってもおかしくはありませんでしたが、カナダは他のメンバー国とは違って唯一植民地を経験した国です。カナダの参加で先進国首脳会議はGroup of Seven(G7)となり、G7サミットと呼ばれるようになりました。G7のGNPは世界のGNPの約半分を占めていました。1991年になるとG7はサミット枠外での会議にロシアの参加を許しました。1998年の先進国首脳会議(G7)以降GDPでは発展途上国レベルにあるロシアが加わったので、G8サミットと呼ばれるようになりました。しかし、2014年になるとロシアの参加は停止されてG7に戻りました。また、2008年からは先進国に新興国を加えた主要20か国による会議(G20)がG7とは別に開催されています。

超大国がなくなり多極化する世界で先進国に留まり続けるには、対等の付き合いができる外交が重要です。書かれた文章を棒読みするだけでは対等の付き合いはできません。相手の理解を求めるならば、自らの言葉で話すしかありません。対等とは相手の文化を理解して、自分たちの文化を理解してもらうことです。特に、相手の文化を受け入れることは重要です。相手の文化を理解することは教養がなければできません。自分たちの文化を伝えることも教養がなければできません。誰とでも対等の話し合いをするには相手を知る知識が必要ですが、教養はもっと重要です。教養は学校で教えてくれる類の知識や学問ではありません。教養は一人ひとりが自らを磨いて身に付けるしかありません。教養を身に付ける最適の方法は読書です。読書と言っても情報や知識が得られる本だけではなく、古典を多く読むことが大切です。洋の東西を問わず多くの人が読む価値があると判断してきた証として、月日のふるいを通ってきたのが古典です。

たとえば、古代ローマに関する本を読めば、ラテン文化を知って現代のヨーロッパを理解する手がかりになることがあります。日本の古典からは日本独自の文化を学ぶことができます。学んで理解し自ら考えることが教養となります。教養を身に付けることが国際社会では必要です。対等の話し合いの交渉は、意見を堂々と理路整然に言うことから始まります。自分たちは民主主義だから自分たちの主義、主張は正しいと押し付けてくる文化に対して、同じ民主主義でも違う文化があることを正々堂々と話して理解、納得してもらうことが対等の話し合いです。外交は教養と教養の腕比べです。民主主義の顔をしながら、実際は“力”に頼って意見を押し付けることは外交とは言えません。双方が“自分たちの意見は正しい”と言い張って、対等の話し合いができなければ戦いしかありません。

交渉はお互いの文化を理解することから始まります。ロシアがウクライナに侵攻したのは、自分たちの主張を相手に納得させられなかったからです。自分たちはあなたたちと違う文化を持っており、自分たちの文化に基づいた考え方があることを、十分説明し納得させることができていれば武力に訴えることもなかったように思います。また、西側諸国が世界には違う文化があることを意識して、ロシアの文化を理解してきたとも思えませんので、対等の話し合いをしてきたとは想定しにくいです。相互に相手の文化を理解しようという意志があれば、違った状況があったかもしれません。理解しない方が悪いからといって、侵略が正当化されるものではありませんが、ロシアには交渉で解決するという強い意志が必要でした。西側には相手の言い分を十分に聞いて文化を理解する態度が必要でした。

日本がかつて戦争を選んだのも同じような状況ではなかったか思います。異民族の文化は、お互いにどれほど理解しにくいことでしょうか。それぞれが違う歩みをして長い歴史の中で育んできた文化は重く、数百年くらいのスパンで動かせるものではありません。文化が違えば“自分たちは絶対に正しいので、相手が間違っている”という、二者択一的な考え方に基づいた行動があることを知っておく必要があります。自分と見方や考え方が違うといって争うよりも、違う生き方があることを認め合う世界を作らねばなりません。異文化による摩擦の解決は、話し合いが唯一の手段です。いつでも、どこでも、誰とでも、対等の話し合いができる人を育てることが必要です。日本は八百万の神の国です。キリスト教やイスラム教の神様は八百万の神のうちの一人と言えなくもありません。私たちは教養を身に付けることによって、違う文化を理解することができるのです。これからも私たちが先進国であり続けるためには、どのような相手とも対等の話し合いができる人を育てていかなければいけません。

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