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幼少期の事②小学校1-2年 いじめを受ける

私の次の鮮明な記憶は小学校の入学式だ。
晴天の元、まだそのころは大好きだった母親と子供用スーツに身を包み記念写真を撮られた場面をはっきりと覚えている。
だが、ここから私の長い暗黒時代が始まる。

虐めである。私の名前はペンネームで本名とは異なるが、この時代の事を再現させるためにあえてこの「近汰(きんた)」という名前にしている。
こういう名前の子供がどのような仕打ちを受けるか。
明白である。一文字加えるだけで、キンタ→キンタマとなる。
クソガキというのは下ネタが大好きである。ウンコ、チンコ、不思議とマンコが出てくるのは中学生頃だが、キンタマは十分小学校低学年から出てくるワードだ。

現代ならこういった問題は「キラキラネーム」として顕在化しており、同情されたり、親が非難されたりもするだろう。
しかし氷河期世代、我々の子供のころは違った。
こんな馬鹿にされるのが分り切った名前を嫌がる事すら許されなかった。
周囲の大人曰く「親が付けてくれた名前」である。
親自身もそういう意識で、自らを省みる事などない。
就職氷河期世代というのは、単に就職氷河期に苦しんだだけではなく、それ以前の旧世代の悪弊・旧弊にも苦しめられ続けた世代なのだ。

当然の事の様に私にはキンタマ、というあだ名がついた。
本人はもちろん惨憺たる気持ちである。
そしてある程度近所でまとまって登下校していた中のリーダー格を中心として、虐めが始まったのである。
私とだけ一緒に帰らない、キンタマとは帰りたくない、キンタマは死ね、キンタマは(以下略
人生経験のあるまともな大人であれば、子供にこういった名前を付ければ、こうなる事くらいわかって居たであろうに、この呪いの様な名前を付けたのだ。
当時はまだそこまでの知恵が働かず、親を憎む事までは至らなかったが、これがすべての始まりである事は間違いない。

とにかく私の小学校1-2年生の時代はただ何かある毎にキンタマと馬鹿にされ、あらゆる場面で仲間外れにされる。そういう日々であった。
私は将来気性の穏やかなタイプではないので、このストレスは相当の物である。
もちろん喧嘩をしようとしたこともあったが、リーダー格には全く歯が立たなかった。
そしてさらに抑圧される事になる。
今の虐められっ子も辛いと思うが、様々な救済手段がある。
先生にチクれば、少なくとも当時よりは虐めに対してまともな対応が期待できる可能性は高いだろう(まともな対応がされるとは言っていない可能性の話である)。
だが当時は、相手の子がそういう事言うには何かキミにも原因があるんじゃないの?だの言われた上に、相手の子に教員から伝わりよりひどい虐めになる。そういった事がむしろスタンダードであった。

氷河期世代というのは幼少期からの保護すらも不足していた世代なのだ。

そうして打開策無きまま、私の小学校生活は暗黒の中で過ぎていった。
小学生の1年というのは今40を超えて感じる1年とは比べ物にならない永遠にも感じる長さである。

ちなみに母親にももちろん、この話はしていたが「一緒に帰らないでも死にはしない」という程度の反応が精々だったり、旧華族の出でプライドだけ高い祖母になど話そうものなら「家は華族の家系、たかが農民の子なぞと付き合うな!」という調子で、寧ろ怒られてしまう様なザマである。

ある時は、祖母が見ていた時代劇に影響されていたのであろう。包丁で切腹、割腹自殺を試みたこともあった。
もちろん腹を切り裂く勇気も力もなく、かすり傷一つ追うことなく断念したのだが、そこまで追い詰められている小学校2年生に対して発せられた言葉は「お前ごときに切腹など出来るものか!猿真似をするようならテレビなど見るな!」という言葉である。
私が何に追い詰められているのかなどどうでも良い、何の助けにもならない家庭であった。

勉強の方は生来地頭は悪く無いらしく、体育を除き、ほとんどの教科で最上位かその次の評価以外無かったが、それも「家族の家柄なのだから当たり前」と言われ褒められる様な事はなかった。

学校でも家でも暗黒しかない。自分で書いていても不憫に思われる、そんな時代だった。
我々就職氷河期世代の育った時代は、もちろん人によって違いはあるだろうが、全般として、今の様に子供の個性を伸ばそうとか、体罰はいけないとか、そういった価値観はまだまだ無く、この様な破綻した家庭も多かったし、それが特に問題視されたり非難されたりする様な土壌もない、厳しい環境に置かれた子供にとっては救いのない時代であった。

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