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幼少期の事③小学校3-4年 復讐の季節

さて名前の事で虐めにあい暗黒の小学校1-2年を過ごした私であるが、暗黒時代である事には変わりはないものの、転機が訪れる。

3年生になると同時に、虐めの主犯格が親の仕事の都合で転校したのである。
それまで力でやり返そうとしてもどうしてもこいつには喧嘩で勝てず、状況が悪化するだけなので諦めていた主犯格が学校から居なくなったのだ。
そんな経験をした結果、私は虐めに対して反抗する事すらしなくなっていたのだが、恩も恨みも生涯忘れないねちっこい気質の私である。
その主犯格が居なくなったその日、いつも通りに私の事をキンタマとはやし立ててきた愚か者に反撃をする事となる。
私は基本的には運動音痴側の人間で、力もそれほど強くはない。
だが、主犯格の下でのほほんと、虐めに同調してきていた様な腰巾着共とは覚悟が違った。
初撃からリミッターの振り切れた攻撃を行う事で、即座に圧勝を勝ち取った。

そしてそれでも靡かなかった2名を同じように屈服させる事に成功し、残りの3名はその話を聞いただけで私へちょっかいを出す事は無くなった。帰り道の同じグループ=私をのけ者にしていたグループのメンバー6名を支配下に置くことに成功した。

だが恨みは決して忘れぬ気質の私である。私が虐められない、こんな事で満足などしよう筈もない。
待ち望んだ復習が始まる事になる。
最初のターゲットはK君。残ったグループの中では一番下っ端を手始めに、復讐の第一ターゲットとした。
グループのNo2クラスではなく最下位クラスを虐めのターゲットにする事はすんなり受け入れられた。
そして、そこまで私が当時考えていたかどうかは定かではないが結果的にこれが良い見せしめとしても機能したのだろう。
結果、私の「今日はだれを虐める?」という言葉に異論をさしはさむメンバーはいなくなり、私以外のグループのメンバー誰もが虐められうる、そんな集団心理を形成した様に、今振り返ると考えられる。

ただ、実は私はK君の事はそれほど嫌いではなかった。
K君は主犯格に言われてやむを得ず、私への虐めに参加してはいたが、1対1の時は対等に話をしていたし、キャラクター的にも天然系の憎めない奴だった。
どこかにそんな気持ちもあったのだろう。K君の事は1か月くらいターゲットにはしていたが、内容も帰り道にランドセルを3人分持たせる、という程度のもので、直接的な暴力や嫌がらせ、仲間外れ等まで発展する事は無く、次のターゲットに移る事になった。

次のターゲットはいよいよ本丸である。
積極的に私の事を馬鹿にしたり、キンタマ等とはやし立てていたI君に移行することにした。もはやグループメンバーは私が「明日からI虐めなー」というだけで、従う状況になっていた。

ちなみにこのI君は直接喧嘩で手を下した相手ではない。
3人がやられた話を聞いただけで靡いた、腰抜けである。私の事を散々馬鹿にしておいて、この腰抜け具合というのが、滑稽である。
当時の私もそこまで意識していたかどうかは分からないが、4年生までの残り約2年はこのI君が基本的なターゲットとなる。
たまに気分で「今日は○○虐めな」等と言う日もあったが、基本的にはI君が私の復讐の多くを引き受けることとなった。

I君への虐めは、当時の知恵の範囲では恐らく最大限の虐めであったと思う。
私がやられた仲間外れはもちろんのこと、木の棒で道端の犬の糞を半ズボンの脚(当時の私の住んでいた地域の小学生は真冬でも半ば強制的に半ズボンだった)に擦り付けたり、全員のランドセルを持たせて歩かせたり、直接的な暴力をふるったり、思いつく限りの事はやった様に記憶している。

I君にとっても、私にとっても不幸中の幸いだったのは、当時小学校3~4年生の私の頭では最大限でもその程度の事しか思いつかなかった事。
そしてインターネット等で酷い嫌がらせのアイデアに触れる様な機会もなかった事であろう。
もちろん暴力や犬の糞の時点で十分酷い事には違いないが、性的な嫌がらせや、刃物等の凶器や炎を使ったり、親の金を盗ませたり、万引きをさせたり、真冬の湖沼に飛び込ませたり、という直接的に命にかかわる様なレベルまでは至らなかった。

これは良心があったというよりは、率直に言ってそこまでの行為が思いつかなかっただけで、思いついたら正直やって(やらせて)いたと思う。
I君にとっては地獄のような日々だったと思うが、私は当時も今もはっきり言って1㎜も後悔や謝罪の念は無い。
この時の虐めは私にとっては正当な復讐であったし、今でもそう思っている。
私自身が死なずに自尊心を保って生き抜くために復讐は絶対に必要な事であったし、I君にとっては身から出た錆、はっきり言って自業自得だからである。

氷河期世代のいじめと言うのは、公的な逃げ場も解決策も無く、親世代には認知されず、自力救済がほとんど唯一の解決策である様な、環境であった。
私も主犯格が転校していなければ、また違った運命を辿っていただろう。
あるいは、低学年の時に成し遂げなかった自殺を別の方法で成し遂げていたかもしれない。
我々の就職氷河期世代でいじめに遭い、親や教師や社会の仕組みに助けられるというのはほとんど奇跡的な事象であったと思う。
少なくとも私自身や、私の復讐を受けたI君に、誰かから手が差し伸べられる事は無かった。
そんな世代である。

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