私たちはどこからきて どこへ向かうのか

半年前、妹が男の子を産んだ。

子のいない自分にとって、初めて出来た甥という存在。
あまりに身近な人間が産んだ子供。
その存在に対して私は何を思うのか、産まれるまで想像もつかなかった。

ううん、今だってわかってない。
彼に触れるたびに、今まで味わったことのない感情が駆け巡り、蓄積され、混ざっていく。
本は沢山読んできたはずなのに、有り余る言葉に触れてきたはずなのに、どう表現すれば良いのかわからなくてもどかしい。

彼が産まれた日のことを覚えている。

妹は札幌の病院に、私は東京の自宅にいた。
母が様子を伝えてくれていた。

妹は、無痛分娩を選択していた。
無痛分娩は欧米では一般的らしいけれど、日本ではまだ否定派が多いということを今回目の当たりにした。我が家でも両親は安全面の懸念から懐疑的だった。祖母もはっきりと反対していた。私自身は特に主張も知識も持ち合わせていなく、ただ傍観する立場を取っていた。

祖母が反対する理由が、自分には独特に思えた。

無痛分娩は計画分娩を伴うケースが多いという。あらかじめ出産日を決めておいて処置するという方法をとる。
それに対して祖母は、「天が決めた運命を人間が操作してはいけない」というようなことを言った。そんなことをすると災いが起きるかもしれないと感じているようだった。

私は、祖母が繋がっている"なにか"の存在を感じた。
人間の思考を超えるなにかが存在する。巨大な渦の中に彼女がいて、抵抗することなく流されていく。横目にもがく人がいる。逆らっていく人がいる。それでも終いには皆流される。

そこまで想像して我に還った。
数年前祖父が亡くなってから、眠りにつく前に手を合わせ祈る彼女の姿を何度も見ている。



アマゾンの先住民に、ヤノマミという民族がいる。

ヤノマミの女は、森で一人で出産するという。
子を産むと、その子を人間として迎え入れるか、そのまま森に還す(=殺す)か決める。
これは、人間はもともと精霊であるという考えに基づいているらしい。
精霊は地上で人となり、死ぬと精霊に戻る。それが彼らの考えだ。

私たちはどこからきてどこへ向かうのか。

そんなことを考えたことも無かったけれど、祖母の言葉を聞いてから、ときおり身体を外側に拡張するような、外側にある存在を感じ取ろうとするような意識を持つようになった。



結局、妹は計画分娩で出産した。

その日に甥が産まれたことは、半分正解で半分不正解のような気がした。
だけど、産まれたての甥と彼を見つめる妹の柔らかな表情を見て、これ以上考える必要はない、起きたことをただ受け入れればいいのだ、とも思った。


奇しくもその日は、私の誕生日だった。

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