横浜、andymori『16』
最近、横浜にいた19か20の頃の夢をよく見る。あの頃はとにかく金がなくて、時間と体力だけはいつまでも尽きなくて、毎日申し訳程度のアルバイトと読書の時間で暇を埋めては横浜駅界隈を文字通りさまよっていた。単純な労働で小銭を稼いでは、西口の有隣堂で溶かし、すき家か家系ラーメンで腹を満たすだけの日々だった。あの時代にぼくは、戻りたいのかなあ。
冬だって夜だって関係なく銀杏BOYZだとかtetoあたりのパンクロックばかりを聴いていた。今思えば躁鬱の典型的な症状だった音楽への依存症が、あの頃の僕を形作っていたんだと思う。友達は数えるほどしかいなくて、前髪は美容室に行く金がないからいつもぱっつんキノコ頭で、なんとなく将来は横浜を出るんだろうなという予感を抱いていた。故郷の形を確かめるように、毎晩汗だくになるまで歩き続けていた。歩数計が3万歩を越える日も珍しくなかった。
あの頃付き合っていた黒髪ショートの彼女はいつも小山田壮平の歌を聴いていて、彼女と街を歩くたびにandymoriの『16』や『青い空』を二人で聞いた。貧乏学生の不甲斐なさを恥じる僕に彼女はいつも「お金持ちになったじゃんもんくんなんか、私全然見たくないよ」と笑っていた。あの子は僕に色んな呪いをかけていったけれど、社会人になった今でも僕が貯蓄に興味を持てないのだって彼女のせいだ。積み立てNISAなんて言葉、聞くだけでも身構えてしまうし。やんなっちゃうね。
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僕は今、八ヶ岳のふもとにある街で新たな暮らしを手に入れた。お金にはそんなに困らなくなったし、結構昼飯におしゃれなカフェにも行けたりする。先日はとある邸宅で友人の捌いたハクビシンを僕が調理して振る舞ったりもした。中国語で「果子狸」と書くように、ハクビシンは果実を好んで食べるせいか肉に臭みがなく、上品でとてもおいしかった。
ジビエの調理まで自力でやり遂げてしまった自分。大人になったな、という感覚よりも、本当に遠いところに来てしまったんだなという方が実感に近い。なんだか今の自分なら素敵な恋人を見つけてマイホーム建てて幸せに暮らしてしまいそうな気がする。それが寂しいのだ。
この街は冬がとても長く厳しくて、寒さに強い僕も流石に夜散歩をする気持ちにはなれない。ベランダで夜空を眺めながらちょっとした喫煙をするぐらいしか夜を摂取する方法がない。狂おしいような寂しい夜を、ただ独りで過ごすだけだ。あのちゃんの番組で、昔と変わらない調子で『16』を弾き語りする小山田壮平のことを見て、少し心が落ち着いた。穏やかな春が来てくれますように。