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ニンニクなしギョウザはエモさが足りない

先日、中華料理が食べたくなった。

そこらへんにたくさんいる腹ペコ大学生の一人なのでお上品な奴は望んでいない。おカニ様・おフカヒレ様には海に帰ってもらおう。いつかは迎えに行きたい。

大学とちょっと汚い中華料理屋は必ずセットで存在している。定食山盛りが標準装備されている。大体美味しい。

うちの大学の近くにも中華料理屋があるのでそこに行った。天津麺とチャーハンのセットを頼む。炭水化物&炭水化物であることは気にしない。

料理を待っている間、普通のメニューをめくっているとギョウザに目がとまった。ギョウザといえば王将である。大阪王将と餃子の王将の違いは知らん。ただ、何年か前に餃子の王将に行った際に壁に貼ってあった。

「ニンニクなしギョウザ」

のことを思い出した。なんだったんだあれは、今もあるのだろうか。ニンニクなしギョウザは人の欲望の終着点に限りなく近い代物であると思う。ギョウザはニンニクの臭さと引き換えに強烈な旨味を口に放り込んで飯を食らうものではないのか。

「ギョウザは食べたいけどクサいのはイヤ~」とか甘えた考え方すんなよ。クサいの嫌ならギョウザ食うなよ。その程度の覚悟でギョウザ食うなよ。クサいの嫌なら食後に牛乳飲めばええやん(圧倒的知識)。

イヤな部分をそぎ落としていいところだけ享受しようとするはいたって自然な流れだと思うんですがどうなんですかね、思い出とかに残らなくないですかそれ。ディズニーとかユニバとかそうじゃないですか、並ぶのも思い出の一部というか、金払ってファストパス買うか悩むのも思い出として残らないですか?

熱心なキャラクターのファンだったら別として、普通の遊びに来ている人たちは思い出を作りに来てると思うんです。ただ淡々とアトラクションに乗り続けるだけだったら思い出としてめちゃくちゃ弱いと思う。開園直後にアトラクションに走るとか、なっがい待ち時間の他愛もない雑談の上にアトラクションの興奮が乗っかってきて初めてアトラクションの興奮が輝く気がします。そういうのが感じられないんですよ、ニンニクなしギョウザには。

ほかに似たようなのがあるだろうかと考えていると料理が届いた。ギョウザを追加で注文した。僕は柚子胡椒と酢で食べるのが好きです。

で、この文を書いているときに調べてみたら餃子の王将にこんなのがあるらしい。今度食べに行こう。


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