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長谷川 雅文「鳴り止まない鼓動」

1.クリニックとダンススタジオをつくった男

京都市街地のほぼ中央に位置する京都市中京区塩屋町。

クリニック内装②

三条通りに面したビルの3階と4階に、2021年6月1日に小児科と児童精神科を併設するクリニックはせがわこどもクリニックと24時間レンタル可能なダンスレンタルスタジオであるHKC Rental Studioが同日オープンした。

スタジオのロゴ

クリニックとダンススタジオという一見すると何の繋がりもない2つの場所だが、興味深いことに、両方のオーナーは同じ人物で、それがこのクリニックの院長を務める長谷川雅文(はせがわ・まさふみ)さんだ。

診察室-min

長谷川さんは、1982年に京都府京都市で2人兄妹の長男として生まれた。

父の転勤により、長谷川さんが小学校2年生のとき、一家で福岡へ転居。

中学受験を経て、福岡県久留米市にある中高一貫教育を提供する私立の中学校・高等学校へと進んだ。

「再び親の都合で転校することが分かっていたので、それを避けるためにこの学校を選んだんです。中学3年のとき、次の転勤で両親だけ関西に戻ったので、自分だけ福岡に残って高校卒業まで寮生活を送りました」と当時を振り返る。

1993年にはJリーグが発足し、日本中に空前のサッカーブームが巻き起こり、長谷川さんもサッカーを始めるようになった。

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中学・高校でもサッカーを続けたが、何度か怪我を繰り返して通院していくうちに、医師を志すようになったという。

現役で合格することは叶わなかったため、京都の予備校へ通いながら、受験勉強を続けた。

二浪の末に、20歳のとき、鳥取大学医学部へ首席で入学。

2年間運動をしていなかったこともあり、知り合った友だちとダンス部へ入部した。

特にリズム感があったわけではないが、練習すればするほど結果が反映されていくダンスの面白さに魅了されていったようだ。

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当時はテレビ番組『スーパーチャンプル』が流行するなど、日本にも少しずつストリートダンスが浸透し始めた時代で、長谷川さんは特に激しい動きから突然静止しポーズを取るスタイルが特徴の「ロックダンス」へ打ち込むようになった。

ダンサー仲間とショー

現在のようにYouTubeもなかったため、ビデオを観て研究を続けながら、さまざまな技を習得していったようだ。


2.医師とダンスの両立

卒業後は京都へ戻り、市内の医療機関で研修医として2年間勤務した。

内科や外科など多くの診療科を巡るなかで、医学生の頃から子どものこころとからだの両方を専門的に診察することができるプライマリケア医の必要性を感じていた長谷川さんは、興味のあった小児科と精神科を併せて1年ほど経験。

ところが、長谷川さんが学ぼうとしていた児童精神科の領域は専門医も少なかったことから、悩んだ末に、まずは小児科での経験を積むために、そのまま同病院で修練医として勤務を続けた。

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小児科での研修を積んだあとは精神科に転科という形で、2013年からは大阪府堺市にある大規模な精神科病院に転院し、児童精神科病棟で働き始めたというわけだ。

いっぽうで、研修医として京都で働き始めた頃から、本格的にダンスも習い始めた。

ZINとYOUの二人組で構成されるストリートダンスユニット「Hilty & Bosch(ヒルティ アンド ボッシュ)」を師事し、仕事の合間を縫って、ダンス教室に通っては技術を学んでいった。

韓国でHiltyのWS受講

「研修医の頃は、仕事がハードで週2回くらいが限界でしたけど、その後は週6で通っていました。当直以外は全て通っていた感じです。徹夜明けにダンスをしに行って、再び病院へ戻ることもありました」

続けていくうちに、バックダンサーとして参加するなど、プロの現場に挑戦する機会も貰えるようになった。

インストラクターとしてナンバーショーケース(本番)

そうしたなかで、歌を歌ったり絵を描いたりすることと同じように、自分の思いを表現するツールとしてのダンスの可能性を感じるようになった長谷川さんは、言葉を使ったコミュニケーションが苦手な障害のある人たちにもダンスを取り入れたプログラムができるのではないかと考えるようになった。

「ダンスを続けていることに対して後ろ指を刺されないためにも、本業の仕事も必死で行いました」と語る。

「プロで活躍できるダンサーは一握りだし、インストラクターとして食べていける人も少ない世界なので、多くの人たちがダンスの世界から離れていく姿を目にしてきました。ダンスをすることが仕事にも繋がっていく流れをつくりたいと思うようになったんです。そのためには自分が関わっている医療とダンスを繋げて、医師の立場からダンスの価値を伝えていきたいと思ったんです」

インストラクターとしてナンバーショーケース(集合写真)

当時勤務していた病院でダンスセラピーを取り入れるようになったものの、入院患者が退院してしまえば、そこで関係性は終わってしまう。

「外来でもダンスセラピーを行っていきたい」と訴えてみたが、なかなか現状を打破することはできなかったようだ。

そこで、ダンスセラピーを提供できる環境を備えたクリニックをつくるために、3年前から独立を決意し、開業の準備を進めていった。

クリニック入口

「子どもだけでなく、その保護者にも寄り添った診療ができる場所をつくりたいと考えるようになりました。そして、疾患の治療だけでなく健全な生活のための包括的な支援を行いたいと思い、院内のリハビリ室でダンスセラピーをはじめとした治療プログラムが提供できるクリニックを開院するに至ったんです」


3.鳴り止まない鼓動

発達障害や不登校の問題が知られるようになったことで、児童精神科を受診したい子どもの数は近年ますます増えている。

精神疾患の発症のピークは10代後半~20代前半と言われており、早期治療が求められる領域であることは間違いない。

しかし、求められるニーズに比べて、長谷川さんのような専門医の存在は圧倒的に少ないのが現状だ。

クリニック内装①

その理由のひとつには、子どもの診療が困難な点にある。

子どもは大人と比べて、自らの状態を正確に言葉で医師に伝えることが難しいため、その診察には丁寧な聞き取りが必要になる。

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さらに、言葉には表れない子どもたちの心境を、さまざまなアプローチで分析していくなど、高度な専門性が問われる仕事なのだ。

「ダンスセラピーを通じて、個性を発揮できる子どもたちが増えてくれることを願っています。そして、将来的にはダンスセラピーを養成するプログラムなどを通じて、ダンサーの働く場をつくっていきたいと考えています」と長谷川さんは夢を語る。

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長谷川さんは医療とダンスを繋ぐ架け橋役として、これからも実践を続けていくことだろう。

「自分が関わらなくなってしまうと説得力がなくなるので、小児科としての臨床を保ちつつ、ダンサーとして今後も活動をしていきたいんです。幸いなことに、クリニックは夜になれば自分のトレーニングにも使えますから」と話す。

スタジオ内装①

長谷川さんは、ダンススクールに通ったことで、多くの仲間に出逢うことができた。

それは、日々のモチベーションを向上させ、本業への仕事の意欲にも繋がっていったことだろう。

医師が処方する薬ではなく、地域のつながりが人を健康にしていくことだってある。

それは「社会的処方」なんて呼ばれているけれど、コミュニティが持つ場の力の大きさを長谷川さんはよく知っている。

診察内容

「はせがわこどもクリニック」で、これからどんなコミュニティが生まれ、どんな人たちが集っていくのだろうか。

耳をすませば、聞こえてくるだろうか。

地元の竹林の里オフショット-min

まだまだ長谷川さんの胸の高鳴りは鳴り止みそうにない。


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