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多田 進吾「想いを形にする」

1.沖縄第3の都市

沖縄本島中部に位置する「うるま市」。

那覇市、沖縄市に次ぐ沖縄第3の都市として知られている。

2005年に2市2町が新設合併して誕生した新しい市だが、勝連半島と平安座島(へんざじま)を結ぶ全長4.7kmの海中道路はドライブコースとして人気のスポットだ。

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そんなうるま市には、モンゴル遊牧民の「ゲル」を彷彿とさせる沖縄初のドーム型の宿泊施設「うるまドーム」がある。

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各ドームが独立しており、全棟キッチン・家電付きになっているため、中長期滞在者にも利用しやすい施設だ。

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「ホテルとは謳っていないんですよ。バーベキューをやって泊まって帰るというニーズもあるでしょうし、社員研修で歓迎会に使って、そのまま泊まってっちゃおうというように、多様な使い方をして頂きたいという思いがあるんです」

そう話すのは、うるまドームを運営する地球ホテル株式会社の代表、多田進吾(ただ・しんご)さんだ。


2.接客業への憧れ

昨年7月にこの施設をオープンした多田さんは、1972年に栃木県足利市で生まれた。

両親は、子ども服の下請けなどの縫製加工業を営んでいたが、家業を継ぐつもりはなかったという。

高校生から20歳までの間に、焼肉店やスーパー、カフェ、引越し業者など、さまざまなアルバイトに従事。

多くの仕事に携わっていくなかで、多田さんがもっとも魅力を感じたのは接客業だった。

「接客業の最高峰って何だろうと考えたら、そのとき頭に浮かんだのがホテルマンだったんです。ホテルマンを目指すんだったら英語ぐらいは喋れるようになりたいなと思って、専門学校へ行きました。大学で4年費やすよりも、当時は早く社会に出てみたいと思っていましたね」

高校卒業後は上京し、東京外語専門学校に進んだ。

ところが、学業よりもアルバイトや遊びに熱中しすぎてしまい、出席日数が足りなかったため、就職活動に専念することができなかった。

「なんとか日常会話くらいは喋るようになりましたけどね」と笑う。

卒業後は地元へ帰郷し、ブライダル会社に就職した。

そこでウェイターを経て、ウェディングプランナーなどあらゆる業務をこなしていった。

「ちょうど晩婚化などの社会問題が叫ばれるようになった時代だったんです。ブライダル業界の将来性を考えたときに、このまま働き続けていくのは厳しいんじゃないかと思うようになりました。それに、社長の近くで仕事をしてきたんですが、『もっと地域に目を向けたほうが良い』という私の意見と『新店舗を広げていきたい』という社長の意見とが食い違うようになってきたんです」

13年勤めたブライダル会社だったが、33歳のときに退職。


3.不動産業界へ

次に多田さんが飛び込んだのは、不動産業界だった。

「今度は何がやりたいというよりも、生き残っていける業界が良いなと思ったんです。人間の生活に不可欠な衣食住のなかで、『住』としての不動産を担う業界に入ってみたいと考えたんです。私は、富裕層への接客が得意だったので、東京の高級賃貸マンションを扱う会社に入りました。自分の力を試してみたかったので、初めて歩合制の会社を選んだんです」

主に内見案内の仕事に携わっていた多田さんは、これまでの経験を活かし、多数の成約を取っていった。

とてもやりがいのある仕事で、成果を出した分だけ収入も増えていった。

そして、資産を活用するために、投資を検討していたときに、不動産投資に出合う。

そのときに民泊の存在を知り、2016年から民泊経営を開始した。

「1件目は東京の築地で、2件目は沖縄の南城市でしたね。代行会社が間に入って全部やってくれるんですけど、私は自分で分からないと嫌なんで、お客さんとメッセージのやり取りをやったり自分で部屋に行ってプレゼントを準備したりしていましたね。民泊の法律が改正されちゃったので、どちらも撤退しましたけど」

うるまドームを開業後も2ヶ月間は不動産会社で働きながら、沖縄でスタッフを雇用して経営を続けていたが、あるときに一念発起し、13年勤めた不動産会社を退職。

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4.父からの後押し

今年6月からは、本格的に沖縄へ移住を果たした。

「不動産会社で働いていたとき、確かにやりがいはあったんですが、毎日楽しくなかったんです。お金を稼げて何もかも満たされていたけれど、やりたいことをやっていたわけではなかったですから。2019年1月に父親が76歳で他界したんですよね。父親は、いつも「好きなことをやりたい」と言っていたんですが、70歳で退職してから、好きなことなんてできずに毎年のように入院していました。だから、『お前は好きなことやれよ』という父親からのメッセージのようにも思えたんです」

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開業当初は宿泊客の70%以上は外国人旅行者で、今年2月にはオフシーズンにも関わらず稼働率が65%を超え、民泊最大手のAirbnbから「スーパーホスト」の称号を得ることができた。

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しかし、世界全土を襲った新型コロナウイルス感染症により事態は一変。

営業再開後は、国内旅行者を迎え入れるために奮闘中だ。

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「3週間くらい滞在してくれたアメリカ人と、滞在中の夜に何度かお酒を酌み交わしたことがあったんです。ある意味、家族のような存在になっていました。彼が帰国したあと、わざわざクリスマスプレゼントを送ってきてくれたことがあって、すごく思い出に残っていますね」

そう語る多田さんは、ブライダル業界で13年、不動産業界で13年の経験を経て、うるまドームを開業した。

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5.おもてなしの心

業種は異なれど、根底に流れているのは、おもてなしの心を持って相手に接するという接遇の心だ。

「昔から人の心を動かすのが好きで、喜ばれたり感謝されたりすると自分の存在意義を感じることができる喜びはもちろんあるんですが、自分が何かサービスを提供することで、相手に影響を与えられることが、この仕事の魅力ですね。その旅が最高の日になるかどうかは、人次第だと私は思っています。ゆくゆくは、うるま市へ人を呼び込んで、市全体を盛り上げていきたいですね」

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「誰かのために、あんなことをしたい」、そういう想いを持っている人は多い。

けれど、想いを抱くだけであれば誰でもできるのだ。

それを目に見える形で表現しなければ他者には伝わらない。

接遇のベテランである多田さんは、そうした想いを可視化することができる人なのだろう。

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通販事業を始めたり、収束後に安心して遊びに来られるように数量限定でお得な「みらい宿泊券」の販売を始めたりと、多田さんはコロナ禍の中でも出口を探して走り続けている。

こうした努力は、いつか寄せては返す波のように、また多田さんのもとに戻ってくることだろう。

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うるまの爽快なエメラルドブルーの海が僕らを待っている。

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さぁ、旅に出よう、そして多田さんのもとへ会いに行こう。

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