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村上春樹さんについてと僕が走ることについて

このnoteのタイトルを読んだ人は、僕がそうとう、村上春樹さんの小説を読んでいて、それを語るに値するやつなのかと思ったに違いない。
そして、この本のタイトルのように、自分でも「走ること」について
語れるのやつなのかと、期待させてしまったに違いない。
全く違うのに、こんなタイトルにしてしまった。

僕は村上春樹さんの小説を読んだ事がない。
読書が好きな人、また、村上春樹ファンからしたら、
うそ!なんで!信じられない!と思うかもしれない。
なぜ?と理由を探しても、特別、理由は見当たらない。
只、ご縁がなかったというしかない。

もちろん、村上春樹さんの存在は知っていた。
歳は、1949年生まれだから、僕のちょうど20歳年上。
新しく出る作品は必ずベストセラーとなり、
次の作品を待ちわびている、熱狂的なファンが多いこと。
ちなみに今週末の7月18日には、新しい短編小説集が発売になるらしい。
短編集としては6年ぶりで、小説としては3年ぶりらしい。

日本人として3人目となるノーベル文学賞の候補者に毎年なっていること。

ご本人はマラソンランナーで、それも相当なレベルの人。
一般的な小説家のイメージとは違い、健康で、常に身体を鍛えていること。

僕が知っていたのは、それぐらいだった。

この「走ることについて語るときに僕の語ること」の存在も知っていた。
ずっと気になっていた。村上作品を読むなら、この本からと決めていた。
ふと、今かな? と思い、読んでみた。

ある人は、数多くある村上作品の中でもこの本が一番好きと言っていた。
ある人は、この本は、村上春樹さん自身の事を書いた内容で、
それはとても珍しいとことだと言っていた。
(このあとに2冊ほど、ご自身のことを書いた本が出ていることを
 後から知った。)

本が届いて、前書きの部分を読んだら、一度置いて、
改めてじっくり読もうと思っていたのに、どんどん進んでしまう。
最初の印象は、なんて、読みやすい文章なんだ。だった。

竹村俊助さん(株式会社WORDS 代表取締役)は、note でこのように
書いている。
「読みやすい文章のたったひとつの条件」
読みやすい文章とは、読み手が「読む速度」と「理解する速度」が
一致するものだ。

まさしく、村上春樹さんの文章は、その通りだった。

この本の中で、一番印象に残った部分を先に2つ書いてみると。
まずは、いつ小説を書こうと思ったのかの、くだり。(p49-p50)

小説を書こうと思い立った日時はピンポイントで特定できる。
1978年4月1日の午後一時半前後だ。
その日、神宮球場の外野席で一人でビールを飲みながら野球を観戦していた。神宮球場は住んでいたアパートから歩いてすぐのところにあり、僕は当時からかなり熱心なヤクルト・スワローズのファンだった。
空には雲ひとつなく、風は暖かく、文句のつけよようのない素敵な春の一日だった。その頃の神宮球場の外野にはベンチシートがなく、斜面にただ芝生が広がっているだけだった。その芝生に寝ころんで、冷たいビールをすすり、ときどき空を見上げながらのんびりと試合を眺めていた。
観客は ー いつものように ー 多くはなかった。
ヤクルトはシーズンの開幕ゲームの相手として、広島カープを本拠地に迎えていた。ヤクルトのピッチャーは安田だったと記憶している。
ずんぐりとした小柄な投手で、ひどくやらしい変化球を投げる。
安田は1回の広島打線を簡単に零点に抑えた。そしてその回の裏、先頭バッターのデイブ・ヒルトン(アメリカから来たばかりの新顔の若い内野手だ)がレフト線にヒットを打った。
バットが速球をジャストミートする鋭い音が球場に響きわたった。ヒルトンは素早く一塁ベースをまわり、易々と二塁へと到達した。
僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだ。晴れわたった空と、緑色を取り戻したばかりの新しい芝生の感触と、
バットの快音をまだ覚えている。
そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、僕はそれをたしかに受け取ったのだ。

小説を書こうと思ったその日にちと時間と、試合の回数と誰が投げていて、そのバッターはだれで、そして、そのバッターが打った瞬間。
ここまで詳細に覚えているものなか。
本当に忘れない瞬間とはまさにこのことなのか。
このくだりは、何度も読み返してしまった。

僕にも少しだけ似た経験がある。
サラリーマンを辞めて、独立しようと思った瞬間だ。
今から11年前、2009年。
しかし、日にちや時間はここまで詳細ではない。

場所は都内、確か江東区のどこかの駅の近くだったと思う。
ドトールコーヒーを出た際に1本の電話があった。
その電話の朗報に感動しながら、横断歩道を歩き出した。
その瞬間に独立しようと決めたのだ。
村上春樹さんが言う「そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、
僕はそれをたしかに受け取ったのだ」が、ここにあたる。
でも、村上春樹さんほど、詳細ではない。

この文章で、村上春樹さんのものすごい記憶力と、リラックスした状態で、流れるような時間の中でも、一つ一つの出来事に真剣に向き合っている頭の中が見えてくる。

もう一つはフルマラソンに出るたびに感じるという、くだり。(p102)

しかし当時書いたこの文章を久しぶりに読み返して発見したのだが、それから二十数年が経過し、年数とほぼ同じ数のフルマラソンを完走した今でも、42キロを走って僕が感じることは、最初のときとまるで変化していないみたいだ。今でも僕はマラソンを走るたびにに、だいたいここに書いたのと同じ心理的プロセスをくぐり抜けている。
30キロまでは「今回は良いタイムがでるかもな」と思うのだが、35キロを過ぎると身体の燃料が尽きてきて、いろんなものごとに対して腹が立ち始める。そして最後は「からっぽのガソリンタンクを抱えて走り続ける自動車みたいな気分」になる。でも走り終えて少し立つと、苦しかったことや、情けない思いをしたことなんてけろっと忘れて「次はもっとうまく走るぞ」と決意を固めている。いくら経験を積んだところで、年齢を重ねたところで、所詮は同じことの繰り返しなのだ。

このくだり。
村上春樹さんほどのベテランのランナー、ベテランという言葉だけだは片付けられない、その長年の経験とかなりレベルの高いランナーであり、身体を鍛えることにストイックで、相当な準備と計画をして大会に臨んでいる村上春樹さんですら、このように思うのか。

正直、ほっとした。
この文章で救われた。

僕は47歳の時にフルマラソンに初めて挑戦して、今まで6回大会に出た。

フルマラソンに挑戦するきっかけは、近所に住む80歳を過ぎた年配の方の言葉だった。
朝、近所を走ったり歩いたりしている時に、その年配の方と顔見知りになり、会えばひと言、ふた言、話すようになった。
ある日、その方が僕に言ったのは、
「私がフルマラソンをはじめたのは47歳の時だった。」
「それから世界中の大会に出て来たよ。」
「始めるのに遅いなんてことは何もないんだよ。」
「でも、今はどこに行っても、最高年齢で表彰されるけどね。笑」と。

この方がはじめた年齢が47歳で、その時の僕の歳だった。
だったら僕も挑戦してみようと思い、初挑戦から4年が過ぎた。

まだ、たかだか6回の出場だが、出るたびに思うし、感じるのは
村上春樹さんのこの文章の通りだ。
あんなに辛い思いをしても、またすぐに次回の決意をしてしまう。

そんな、僕は、何のために走るのか?
この本を読んだので、改めてその理由を考えてみた。
決して、健康のため、長生きのためという訳ではない。
ちょっと太っちょな僕のダイエットのためでもない。

何のために走るのか?
それは、いい仕事をするためだ。
僕の仕事はイベントや展示会の設営だから、ある意味、体力勝負の仕事だ。
決して、自分が現場で作業をする訳ではないが、現場の時は監督として、
ずっと立ったまま、その進行を見守っている。
現場がない日は、パソコンに向かって、デザインやプランをするけど、
それには気力と集中力がいる。
疲れていてはいい仕事はできない。
いいアイデアも出ない。

その気力と集中力は、どこから来るのか?
それは、自分の体力から来るものだと信じている。
だから僕は走るのだ。
このあたりはきっと村上春樹さんも同じだろう。
いや、「小説を書くことについての多くを道路を毎朝走ることから学んで
来た」と言われるぐらいだから、その意味はもっともっと深いんだろう。

この本には、他にも凄い重要なことが書いてある。
・小説家にとってもっとも重要な資質は?
・自分で書いた小説がとても好きで、
 自分の内から出てくる次を楽しみにしていること。
・走ること、走り続けて来たことに誇りを持っていること。
など、揚げればきりがない。

僕は、この本を読んで、村上春樹さんが好きになってしまった。
でも、これから作品を読むかは、また別の問題。
読めば読むほど、ハマっていく自分も想像出来る。
今は、小説家としての村上春樹さんではなく、ランナーの大先輩として、そして、仕事に対する姿勢と自分の身体を信じ、挑戦する生き様、
そこに心がひかれてしまったのだ。

この本に出会って、「走ること」もずっと続けていこうと思った。

いい仕事をするために、いい挑戦をするために
この本を読んで良かったと思う。

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