ぱられるわーるど
わたしは金融機関に勤めているが、男女比率はほぼ半々。
男女平等に活躍する機会が与えられているとはいえ、女性にしか分からない悩みもある。
銀行を舞台にした映画やドラマの登場人物のように、薄いビジネスバッグを片手でスタイリッシュに持って身軽に取引先に出かける、なんてことは一切ない。
一日に何箇所も回るとなると、あれやこれやと持ち物が増えるので、エスパー伊東が入れるサイズの鞄を担ぐ。
スケジュールがパンパンなので、大荷物でダッシュすることも日常茶飯事。
女性にとってはなかなかハードだ。
女性は車の運転が苦手だと言われるが、わたしもそういう意味では典型的な女性だ。
営業職の時は、月から金まで毎日乗っていたが、なぜこんなに苦手なままなのだろう。
駐車しようと何度も切り返すが、周囲から見ているとハラハラするようで、頼んでもいないのに守衛さんがオーライオーライと誘導してくれる。
自力で駐車できたのに、出庫する時には周りに大きめの車が停まっていてお手上げだったので、お客さんに「すいません、そこまで車出してもらえますか?」と車のキーを渡したこともある。
女性ならではの悩みを共有したり、鬱憤を発散したりすることも、たまには必要だ。
ある日、女子会をしようと後輩2人を誘った。
茶子(仮名)と猫子(仮名)は、わたしの残業が終わるのをマクドでポテトを食べながら健気に待っていてくれた。
平日の真ん中だったので、3人ぐらい入れるだろうと、特にお店の予約をしていなかったが、2人は待ち時間を利用してお店を見繕ってくれていた。
アクセス・ゴッド(仮名)というお店。
駅から近くて、お酒も食事も種類が多くて、お手頃価格らしい。
「さっき電話したら、今空いてるので3人で入れるみたいです」と猫子は言う。
なんてできた後輩だ。
スマホのマップを見ながらそのお店まで先導してくれる。
「ここです、ここの3階です」
エレベーターで3階まで上がると、すぐにお店の入り口があった。
「さっき電話した者ですけど。3人で」
猫子は20代前半ぐらいの店員のお兄さんに伝えた。
店員「え?お電話ですか?今日ですか?」
猫子「ついさっき電話したんですけど・・」
店員「お電話、こちらにですか?こちらにお電話ですか?ちょ、ちょっと待ってくださいね」
お兄さんは焦って奥に何か確認しに行った。
猫子「あれ?席取れてないのかな?」
茶子「てか、電話したのこのお店で合ってる?」
お店の入り口の看板を見てみる。
ひらがなやったんや。
茶子「グルメサイトではカタカナでアクセス・ゴッドってなってたよね」
猫子「でもマップの位置はここで合ってますけど」
どういうこと?
パラレルワールドに迷い込んだってこと?
お店の奥に確認しに行った店員のお兄さんが出てきた。
「申し訳ないんですけど、ちょっと、お電話を受けたという者が居なくてですね」
とても申し訳なさそうな表情で、言いにくそうにお兄さんは言う。
「すみません。お電話かかってきたかどうかも分からないし、誰かが受けたとかも分からなくて」
わたしは自分で唱えたパラレルワールド説が真実味を帯びてきたような気がして、少し踏み込んで聞いてみることにした。
「あの〜、ちなみにお店の名前ってひらがなですか?」
わたしは入り口の看板を指差した。
店員「あ、これですか?そうですね、ひらがなでやらせてもらってます」
私「グルメサイトにはカタカナのアクセス・ゴッドっていうお店が載ってて、そこに電話したんですけど、こことは別のお店ですか?」
店員「いや、それはここで合ってます。なんか、カタカナの時もあったりで。カタカナの方がカッコイイかなという感じで」
残念ながら「アクセス・ゴッド」と「あくせす・ごっど」は同一店舗らしい。
パラレルワールドではなかったようだ。
店員「そんなことより、お電話いただいたのに、ちょっと分からなくて、ホントすみません」
このお兄さんは髪色が明るくて少しチャラッとしてそうな見た目だけど、真面目で純朴で一生懸命だ。
テンパると口数が増えるタイプらしく、早口で謝り続けている。
なんだかよく分からないが、お兄さんは申し訳なさそうに謝ってるし、生ビール一杯分ぐらいはワクワクしたので、良しとしよう。
平日だから他にもどこか空いているお店はあるだろうし。
私「あ、空いてないなら全然大丈夫です。こっちも急に電話したんで。また来ます」
店員「いや、お席は全然空いてるんですけど」
???
店員「お席は全然空いてるんですけど。すいません、お電話誰が受けたか分からなくて。男性でしたか?女性でしたか?」
???
茶子「あ、電話は男性が出られましたけど」
店員「男性でしたか〜、でもすみません。さっき奥のスタッフに聞きに行ったんですけど、誰が対応したかが分からなくて」
私「で、お席は?」
店員「全然空いてるんですけど」
さっき電話したというお客さまが来店するも、電話を受けた形跡がなく、テンパってしまったようだ。
「電話を受けていないこと」が頭から離れないお兄さんは、会話的にも物理的にも、入り口から先に進めない。
しばらくの間、お店の入り口でよく分からない会話を何ラリーも繰り広げたのち、ようやくわたしたちは広めの席に案内された。
ファーストドリンクを注文して出てくるまでの間も、お兄さんはわたしたちのテーブルの近くにつきっきりで謝っている。
店員「電話で話したの男性っておっしゃいましたよね、ちょっともう一回確認してきます」
私「あ〜、もう大丈夫です、確認しなくても。ちなみに、今日ってお席は・・?」
店員「お席は全然空いてます!」
「お席は全然空いてます」の言葉を何度でも聞きたくて、お兄さんと随分お喋りしてしまった。
最終的には、お兄さんが何曜日に入っているかのシフトも覚えてしまったほどだ。
アクセス・ゴッドの夜は、パラレルワールドに迷い込むよりもずっと楽しかった。
決してお兄さんをからかっていた訳ではない。
きっと誰しも似たような経験があるはずだ。
わたしが営業職で外回りをしていた頃。
お昼にびっしり詰まったスケジュールをこなし、取引先との話を終え、ようやくお昼ごはんが食べられると、取引先の事務所横の駐車スペースに停めていた営業車に乗り込んだ。
コンビニにでも行こうと発車させたその時。
ドンッ
プシュ〜〜
右折で車を出そうとした際に、タイヤを横のコンクリートにぶつけてパンクさせてしまった。
お腹がすいたから早くコンビニに行きたくて、いつもより内輪差を甘く見てしまったのかもしれない。
慌てる様子のわたしに気づき、取引先の担当さんが事務所から出てきてくれた。
「どないしたんや?」
「あの、わたし、お昼ごはん食べようと思って」
「あ〜パンクか、やってもたな」
「コンビニでお昼買おうと思って、わたし」
「後ろにスペア積んでるやろ?ほら、あったあった」
幸いその取引先は工業系の会社で、担当さんはこの手の作業はお茶の子さいさいだ。
鮮やかな手つきでジャッキを使い、いつの間にかスペアタイヤに取り替えてくれている。
それを他人事のように眺めながら、上司に電話で連絡を入れる。
「もしもし?あの、わたし、お昼ごはんを食べようと思ったら、タイヤが」
「え?タイヤ?どうした?」
「タイヤをぶつけてしまって。なんかスペア?リペア?スペア?なんか今やってもらってて」
「怪我はないんか?どういう状況?」
「怪我はないんですけど。わたし、あの、お昼ごはんを、お昼ごはんを食べようと思ってたんです」
早くお昼ごはんを食べたいと急いだから、内輪差を甘く見てしまったのではないか、という反省と焦りのあまり、「お昼ごはんを食べようと思っていた」ところから話が進まない。
自分の不注意のせいで、お客さんにこんな迷惑をかけてしまうなんて。
タイヤをパンクさせたなんて、嘘であってほしい。
嘘じゃなくても、タイヤがパンクしていない世界線のパラレルワールドに逃げ込めたらいいのに。
そして、「ふぁみりーまーと」で早くお昼ごはんを買いたい。
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さて、次回の #クセスゴエッセイ は
「知っててやるのか、知らずにやるのか。」
をお届けします
お楽しみに〜
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