なぜ価値“観”は“感”という漢字ではないのか?
【草】を【分】けて、開【拓】して【弥】(ひろくゆきわたる)
どうも草分拓弥です。
価値感って書いちゃう人々
よく仕事柄、ビジネスチームメイトとお話をするため
価値観や職業観や人生観や倫理観という言葉を使います。
そして、パッとそのメモを見ると
だいたい
価値感
って書いてあります。
それを見ると指摘するんですが、だんだん指摘してるうちに
なんで“感”じゃないんだろう?
“感”じゃなんでダメなんだろう?って僕が不思議になってきました。笑
答えは
感は先天的な直感による感じ方。
観は見るという後天的な選択。
つまり、価値観というものは、自分で変えていけるものだから
“観”となっているということです。
何を価値と見るか?見ないか?
は選択できますよね。
プレイステーションが何よりも欲しかった。あの頃。。
なのに、バーチャコップという銃で撃っていくゲームがセガサターンで出た途端、プレイステーションじゃなくてセガサターンを買ってしまい、
中学のクラス9割がプレイステーションを買っていて
話についていけなくなったあの頃。。
何に価値があるか?はその時々で、選択できます。
故に成果が出てる人に価値観を合わせることは可能である。
よく価値観の不一致で解散します。とか別れます。とかありますが、
合わせていくことは可能なんですね。
それをしたくないっていう価値観だからしょうがないのですが。
上手く行ってる人の価値観に自分がなっていくことは絶対に可能です。
僕自身がそうしてきたからです。
何を価値とすると、成果が出るのか?結果が出るのか?
それを把握して体得することが成功への近道だと思います。
と言ってもまだまだ100%受け入れられていない価値観もたくさんあるので、勉強して価値観を変えていかねばと思います。
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