欲張りじいさんを応援してみた
「おむすびころりん」は、正直で働き者のおじいさんに対し、欲張りなおじいさんが登場するお話である。
(※出典によって設定は変わりますが、強引に進めます)
このお話における「正直」「働き者」「欲張り」の定義がよくわからないが、ひとまず前者が真摯にねずみ達とやり取りする様子は正直といえるだろうし、後者は小判欲しさ(欲)に「猫の鳴き声」という相手の弱点を利用してしまったわけだ。
「弱点の開示は相手との関係性によって吉にも凶にもころりんちょする」という教訓を教えてくれる物語である。
しかしこの欲張りじいさん、先駆者の情報を元に「大量のおむすび」という多額の投資をしたにも関わらず、途中でヒントを聞いてわざわざ作戦を変更してしまったのである。
もはや、欲張りとは違う問題のような気もする。ジジイよ、機を待て。
とはいえ、「先駆者とはやり方を変える」ということ自体は大事な視点であり、一つのチャレンジである。その点においてはじいさんの行動は評価できる。
私は性格的に「お手本通りにこなす」のが苦手なため、じいさんと同じようなことをしてしまうかもしれない。(根底ビビリなのでしょっちゅうジレンマに陥るが)
失敗は経験値であり素材なので、「この失敗を次にどう活かすか」と考えるとよい。その失敗は将来の成功フラグかもしれないのだ。
今回のケースにおいても「じいさんがこの失敗をもとに、この先どのような成功を収めるのか」という期待ができる。
話によっては彼に「次」はないようだが、あまりフィクションを真に受けすぎないように、とだけ言っておこう。
(「創作物の健全化」のようなものに私は疑問を抱いているが、「昔のものと違って登場人物に『次』がある」と解釈すると良い時代にはなっているのかもしれない)
(……と思ったら、欲張りじいさんの存在そのものが抹消されているあらすじもあるようではないか。さてはアンチだなオメー)
正直でも、欲張りでも、ルートが違うだけで、それぞれ成功にたどり着けるのではないかと思う。
このお話はたまたま「正直な人間にとって最適なルート」だっただけで、正直でも泣きを見る時はあるのだ。