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帰ってきた『イ・サン』

朝の韓ドラが『イ・サン』になったことに気づかず第4話から見た。いろいろな思い出が浮かび上がってきた。

ようやく入手した主題歌のCDをレコ―ダーに入れたまま、車を中古車販売店に出してしまったこと。
あの時は、夕方、販売店に電話した。「車がないから私が取りに行くことはできない。もしあったらうちのポストに入れておいてください」と頼んだ。ダメ元、もうあきらめていたのだが、翌朝、ポストに大きな紙袋に入ったCDが。ほんとうに嬉しかった……。

もう10年以上も前になるか。
韓ドラファンの生徒Aさんと『イ・サン』の話で盛り上がった。主題歌を覚えたいという私のために、Aさんが歌詞を韓国語で書いて、フリガナを打ってくれた。
「テレビに耳をくっつけて必死に聞き取った発音だから違うかも知れないけど」と。
私は別紙に日本語の歌詞を書いて覚えた。まだCDを買っていなかったときだ。どんな手段で日本語歌詞を入手したのか覚えていない。
この紙切れ三枚は私の宝物だった。バス停でバスを待っているとき、だれもいないのを幸い、自分にうっとりしながら韓国語で歌ったものだ。

それから歳月が経った。
Aさんは車もバイクも手放し、通うことができなくなったと、クラスを辞めた。

それからまた歳月が流れ……。
あの紙が見当たらなくなった。
必死で捜したが見つからなかった。しばらくあきらめていたが、久しぶりにAさんに電話した。

彼女はあのドラマのテープ(というのかどうかよくわからないが)をもっていて、あの主題歌をまたフリガナまでつけて書き送ってくれたのだ。
その二日後、行方知れずとなっていたあの3枚の紙切れが見つかった……。
沢山の資料に交じってファイリングされていたのだ。その場所も何回も捜した所だ。なぜあのときは見つからなかったのだろう。

『イ・サン』はいつも私のもとに帰ってきてくれる……。

第4話を見たとき、懐かしい主題歌に胸がキューンとなった。要所要所であの歌が流れるだけで胸がいっぱいになってしまう。
あれからいろいろなことがあった。
とにもかくにも私は生きている。そしてまだ古典を教えている。コロナを乗り越えて、生徒さんもまだ勉強を続けている。

いろいろなことに一区切りついた今思う。
生き方そのものを大きく変えるつもりはないが、年齢なりに変わらせること、終わらせることも必要になってきた。
これからは自分が何か習いたいと強く思う。ストレスにならず、義務感に追われることもなく、「てげてげ」でやれるものを。

「てげてげ」というのは鹿児島弁で「いい加減」か「適当に」とかいうニュアンスだが、翻訳不可能なので「てげてげ」と書いておきます~
そうだ。ハングル講座でも受けようか。
少しぐらい原語で聞き取れたほうが楽しいだろうし。試験勉強ではないから、ついて行けなければやめればいいし……

「なんていい加減に考えてるの?」と自分で可笑しくなってしまう。
でも『イ・サン』だけは実に綿密にフリガナをつけ、ハングル文字までつけ、完ぺきをめざした。
そんな思いでが蘇る。

テレビの前に釘付けになり、王朝ファッションに見とれ、孤独な春宮イ・サンに同情し、主題歌にうっとりしながら……
   帰ってきてくれてありがとう、イ・サン。
       これを『推し』というのだ、と今わかりました!


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