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「もの食ふ」枕草子 ③

今夜彼がt訪ねて来るの。何出そうかな。一緒にステキなレストランに行こうかな。やっぱり、手作り料理出そう!なんて胸弾ませるのは現代人。平安時代の人たちは食事で接待なんてタブー。食事を出したら、男が興ざめして去っていった、という話も『伊勢物語』に残ってるぐらいです。食べる姿を見せあうのは、風流や雅(みやび)とは対極の『みっともないこと』でした。

雅にチョーこだわる清少納言、枕草子187段(3巻本)にこう書いています。

宮仕へ人のもとに来などする男の、そこにて物食ふこそいとわろけれ。食はする人もいとにくし。

宮仕えしている女性は才色ともに選び抜かれたエリート。男が忍んで来るなんて当たり前。男が寄り付かない女なんて宮仕えする資格なし。そんな女のところに通って来る男は絶対、そこで何か食べちゃダメ。すごくみっともない。食べ物を出す女も女。とっても憎たらしい。

思はむ人の、「なほ」など心ざしありて言はむを、忌みたらむやうに、口をふたぎ、顔をもてのくべき事にもあらねば、食ひをるにこそはあらめ。

自分を想ってくれる女が、どうぞどうぞ、と出すのを、汚らわしいように口を手でふさいだり、顔をそむけるのは失礼だから、我慢して食べてるのよ。それぐらい分かりなさいよ!

いみじう酔(ゑ)ひて、わりなく夜ふけて泊まりたりとも、さらに湯漬けをだに食わはせじ。心もなかりけりとて来ずは、さてありなむ。

恋人がとても酔っていて、しかたなく局(つぼね・女房が生活している部屋)に泊まらせることにしても、私の美意識としては、絶対に『湯漬け』だって出さない。それで、彼氏が、ああ、ぼくのこと好きではないんだな、と思って去っていっても、それはそれでいい。その程度の男なんだから。

当時、お茶は丸薬で、飲むお茶はありません。喫茶の習慣が入ってきたのは平清盛が日宋貿易一生懸命やって、宋から取り入れてから。今の神戸のエキゾチックぶりを造ったのは清盛なんです。だから、お茶漬けではなく、お湯に浸した『湯漬け』が軽食として重宝されました。

里などにて、北面(きたおもて)より出だしては、いかがはせむ。それだになほぞある。

宮中から退出して実家にいるときに彼氏が来て、台所から召使なんかが食事を出したときは、もう仕方がない。そんな場合は召使が気がきかないのよ。雅を知らないのよ。何も出すなって!

今なら、お茶とお菓子ぐらい出すべき、時間によっては夜食だって出すのが気がきくこと、でしょうね。

当時は、菓子というのは、木菓子(木の実類)、水菓子(桃、枇杷、柿、柑子と呼ばれたみかんの先祖など)、唐菓子(米、麦、などをつぶして丸めてごま油で揚げたもの、今のかりんとうや揚げパンみたいなもの)の3種類。

今の果物、水菓子なんてチョーぜいたく品!

野菜も種類が少なくて、日本原産の物は、大根・かぶ・人参・キノコ・茄子、ぐらいですが、南方から渡来した枝豆は平安時代には食していたようです。餅とか粥によく使う小豆はインドから、大豆は中国から入ってきた舶来品です~

食材の歴史を見ると、縄文時代のころから、南方や大陸から多くの植物が丸木舟で、あるいは難破船でもたらされたようです。 まさに、地球はグローバル。食材はインターナショナルなんだと私はとても感動しました。

お茶一つにも長い歴史がある、感謝して飲みたいと心しています。






ドン三栖行こうかな。

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