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坂道を上って下りて花野あり

肉眼では分からなかったが、車の運転を習っていたころ、この辺りは坂だらけだと知った。

当時はマニュアル車だったから坂道発進時はよく失敗して、ズルズルと後ろに滑り落ち、教官に叱られた.。

「あんた、ここに住んでいる限り、坂道発進出来ないと車動かせないよ!」と。

今はオートマ車だ。坂をずり落ちることはない。でも、やっぱり坂はあったんだ、と散歩してしみじみ思った。

退院後、運動を兼ねて毎朝、散歩している。

マニュアル車と同じで、坂を上るのがたいへんだった。上まで来ると、息切れして、この写真の辺りで杭にもたれて息を整えた。

我ながら体力が落ちたと思った。癌が発見されるまで、自分は元気だ、老いてなんかいないと信じ込んでいた。目いっぱい、アクセルを踏んで走っていた。

あのころからもう癌は巣食っていたのだろうか。そう思うと怖い。貧血がもとで癌が発見されてラッキーだった!

今、自分は人生の秋を迎えているんだなあと実感している。

それでも、毎朝、散歩し、朝食にサバ定食だのホルモン定食だのしっかり食べている。そして抗癌剤治療が終了!。

薬を飲まなくなってから息切れしなくなったのだ。

気が付くと、歩幅が大きくなり、足の運びが早くなっている。坂の上で一休みしなくても歩いている。

足は正直だ。

体調をしっかりと告げてくれる。退院した当時は、ちょっと外出しただけで、疲れ切って横になっていた。

今は、一日、散歩だけで三千五百歩、家事などで千歩、病院に行ったり、町まで用足しに行くとすぐに三千歩になる。合計,六千歩から七千歩は歩いている。

一万歩には届かないが、よくここまで体力が戻ったと思う。仕事も少しずつ再開している。(生徒がいればの話だが)

食欲不振も気だるさもない。ただひたすら、坂のある道を上り下りして、餌場(定食屋さん)を目指す。餌を食べてから、家をめざす。韓流ドラマを見たい一心で、エッサエッサ歩く。

その積み重ねが足を元気にしてくれたのだろう。あれ、わたし、息切れしていない、と発見した時は嬉しかった。

目の下の隈のようなシミさえ除けば万事順調だ。今はマスクと眼鏡で隠している。コロナのおかげでもある。

サバや豚のホルモン煮には感謝しなければ。連れだってくれる娘にもね。

振り返ると坂を上ったり下りたりしながらの人生だった。平坦な道などなかったような気がする。

終戦後、引揚船で赤痢が蔓延、多くの子どもや赤ちゃんが赤痢で死んだ。兄の記憶では子供と赤ちゃんの三分の一近くが死んだのではないかと。

引揚船の実態は記録さえ残ってはいない。

ミルクも母乳もなく、米のとぎ汁だけ飲んで、四日間を生き抜いたわたし自身、奇跡の命なのだ。

今、しみじみ思う。生かされた命だったのだと……。

人は生きている限り、坂を上ったり下りたりする。それが、生きていることなのだ。

そして、秋は秋の美しい花野に出会う。

             坂道を上って下りて花野あり

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