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病院の怪談「5」~②

私には一億円近い資産がある。土地成金の一人娘で、親の資産をすべて相続した。今住んでいるマンションも私名義。
お金はじゃぶじゃぶあった。今までも、たぶん、これからも。でも、家族の縁と愛には薄い人生だった。
私に何か問題があったのではない。それが私の宿命だったのだ。人は自分の宿命のもとに生きるしかない……。

いざというときのケア付き病院との契約は身元引受人のキミ子と公認会計士ですべてやってくれた。キミ子にはそれなりの謝金を渡してあるし、遺産からいくばくか贈与もするつもりだ。
必要経費を除いたすべては盲導犬協会に寄付するように、公正証書遺言を作成中だ。すべて淡々と進めてきた。

自分の人生の幕引きは自分でちゃんとやる……。

だが誠二と付き合うようになってから、綾子の心に迷いが出てきた。お金で若い誠二の心を釣ろうなどとは思わない。そういうことをしてはいけないと心底思っている。
お金を目の当たりにすると人の心は変わる。両親の持っていた雑木林の辺りが一大ショッピングモールになるという計画が生まれ、土地の人たちが億万長者となり、多くの人たちがバブル塗れになって身を滅ぼした……。

でも、それはそれ、
あの人の画の勉強の資金ぐらいは……。
病院も辞めたいと言っていたし。
あしなが叔父さんみたいに、秘密に援助できないかしら。バカな……。子どもの夢みたい……。
絶対にお金を出してはいけない。出したが最後恋は終わってしまう……。
それに……。

あの人が私の資産を狙っていないとは限らない。
まさかまさか、絶対にそれはない。
私は夫の遺族年金でつつましく暮らしていると言っているし、あのマンションは夫の親戚のものだとも言った。
私が資産家であることだけは知られたくなかったから……。

誠二の車で郊外にドライブした。
「そのベンチに座ってくれますか。そうそう。日傘を肩に……ああ、モネの画みたいだ」
「美人でなくて申し訳ありません」
「いえ、いえ」
誠二は屈託なく笑った。
幼いころ、消えてしまった母を思い出す。ほのかな記憶のなかの母。父と母に何があったかは分からないが、母は自分と父を置いて出て行った。母自身にしか分からない何かがあったのだろう。

母がこの女性ぐらいの年だったら、たぶん、こんな感じの人だろうなあ、なぜだかそう感じてしまう……。母はよく窓辺で本を読んでいた。よく公園に連れていってくれた。自分と走り回ってくれた。

綾子を見ていると、なぜか、失ったあの日々を思い出す。
この人と一緒に暮らしたい……。ふと誠二は思った。
バカな……。それは無理だ。なぜ無理だ?彼女には夫はいない。障害は何もない。僕は彼女の老後のケアもするつもりだ。その覚悟はある。

男と女の立場が逆だったらたまにあることではないか。70代の男性と20代後半の女性の結婚。特に珍しくもない。
逆はなぜ悪い?なぜあり得ないことだと決めつける?

誠二は揺れる心を立て直す。早春の陽気で少しのぼせたのだ。水でも飲もう。さて、この線は少し不自然だな。もう少し、髪はふわりとなびかせる。あ、これでいいか。

誠二は現実を忘れていた。自分が闇バイトの仲間に引き入れられていることを。逃げても逃げても追いかけてくる黒い集団が自分を見張っていることを。

   独り暮らしの高齢者だ。金を巻き上げろ。1千万円ぐらい簡単に出せ
   る女だ。それで、お前の仕事は終わだ。約束する……。
   あの女はどうせ余命数か月らしい。だが、いやにしぶとい。
   もう1年近く持っている。

そんな声が耳元で聞こえる。
幻聴だ……。
自分は心を病んでいる。だから幻聴が聞こえるのだ。

どこからどこまでが現実で、どこからが空想で、どこからが願望か。
誠二にも分からない。

肉親の愛に薄かった自分、資格を取って自立できるようになった。なぜ、レントゲン技師だ?
人間の骨組みをとことん見つめたかった。好きな画をきわめるために……。
自分は綾子さんの骨に恋したのか?
いや、ただ、ただ、彼女をモデルにしたかった。母を感じるあの女性を。 
 
           続く





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