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恐怖の草男(13)離婚への執念

身軽に動ける今のうちに家に置いてきた冬物の衣服を運んで来よう。アクセサリーで売れるものがあるかも知れない。何回か通って出来るだけ多くの物を持ち出そう。

友理奈に電話で告げると、
「小型録音機を預けるから、家の中の物音すべて録音すること。写真を撮ること。貴重な情報が得られると思うから」と指示された。  
美恵は、外気をほぼ完全にシャットアウトするという特殊性のマスクを送ってくれた。

薄暗いころ家を出てバスと電車を乗り継ぐ。夏の盛りの山々、光る川、遠く聞こえるこだまのような水の音、色とりどりの小さな家々、水色の海……すべてが煌めいていた。クーラーの快さに身を委ね涼しい夢を見る。

家を出て五時間ほど、花ミズキ駅に着いた。

良いことは何もなかったのにどこか懐かしい駅と町。花ミズキの街路樹が続く路を歩く。花の終わった木々は青々と光る葉を茂らせていた。

行き交う人影はまばらで、誰も京子を気にも留めていない。もうすぐだ。胸が動機を打つ。街灯を曲がったとき、一本の木のように京子の足は地に張り付いた。

家は雑草と蔓草に覆われた巨大な緑の塊になっていた。数か月前まで自分が住んでいたとは信じられない。自分がいたころは、蔓草はこれほどはびこっていなかった。夫に怒鳴られながらも死に物狂いで引っこ抜いていたから。

緑のカーテンのような葛を掻き分け玄関のドアを探り当てる。鍵穴にキーを差し込み重い扉を開ける。草めいた臭いと熱気がワッと京子を包んだ。

植物の荒ぶる『気』が襲いかかる。京子の全身が防御態勢に入る。込み上げて来る激しい咳。特殊マスクで顔の下半分を覆う。

録音機のスイッチを入れ、廊下を進んだ。廊下にまで葛や蔦やシダが腕のように茎を伸ばしている。

X惑星はきっと草で覆われていたのだ。草男たちは、数万光年もかけて地球に飛来してきたのだ。友理奈と美恵の話を思い出す……。

「メスが絶滅したから、地球に飛来したのよ」「植物の生存力は凄いからどの惑星でも生き延びられる。ソテツは二度の氷河期を乗り越えて二万年も生き延びて今も生きている」「なぜ、メスの草だけ絶滅したかは研究者たちにも分からないらしいわ。ある種の病原菌がメスだけを殺したのかも知れない」

「研究者の中には、生き残りのメス草が存在しているのではないかという説もあるわ」「あの地下工場で栽培されていたのはメス草ということもあり得るね」「草男たちの目的は、地球を草で覆い、メスの草を再生すること。人間に替わって地球の支配者となり、地球を太古の姿に戻すこと」 

「手遅れにならないうちに草男たちの実態を知らなければ」「京子さんの情報、待っているわ」

かつての自分の部屋に足を入れた。全身が緑に染まりそうだ。呼吸が苦しい。逃げ出したい。いけない。自分の目的は夫に出会えたら離婚届けに印を押してもらうこと。出会えなかったら離婚届を夫の部屋の扉に張り付けておくこと。もう一つ、友理奈と美恵に託された仕事を成し遂げること。

衣装ケースからセーターやカーディガン、ズボン、厚手の下着、アクセサリー類を手当たり次第取り出し、リュックに詰めこんだ。

次は離婚届。二階の扉に張り付けておこう。

立ち上がろうとしたとき、後ろに何かの気配がした。
振り返ると、夫と見知らぬ若い男が立っている。夫は濃い緑色の、もう一人は薄い緑色の背広を着ている。

人間ぐらいの樹が二本立っているようだ。

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