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瀬戸内寂聴さんの生き方

寂聴さんが亡くなった。強烈な意志をもって平和を訴え続けた作家がまた一人いなくなった。数々の小説を書き続けたこと自体、ものすごいエネルギーあってこその偉業だが、高齢になっても平和運動に身を投じていた勇気と行動力は偉大としか表現できない。

大輪の真っ赤な花のような人、そして生き方だと思う。

多くの番組で寂聴さんを取り上げていたが、どれも恋愛遍歴と女性たちの悩みの受け皿となった出家後の生き方に焦点を当てていた。

それも素晴らしいことだが、湾岸戦争に反対しハンガーストライキを実行したこと、原発反対運動のデモに参加したこと、憲法九条を守る運動に身を投じたことなどは取りあげてはいなかった。新聞には報じられていたが。

寂聴さんは古典の解説書を数多く出している。ずいぶん参考にした。古典の見方が変わった。遠い時代の「架空の人物」でしかなかった多くの姫君や公達が生身の人間だと知るきっかけとなった。

今でもありありと覚えているのは『川口リリア』での寂聴さんの講演だ。もう30年以上も前のことだと思う。

「私は源氏の中でいちばん可哀そうな不幸な女は紫の上だと思います」

「自分が出家したから分かるのですが、宇治十帖は紫式部が出家後、宇治辺りに籠って書いたのだと思いますよ。出家の場面が実にリアルで、体験しないと書けないと思います。宇治十帖は誰か他の人が書いたという説がありますが、私はそうは思わない。桐壷から宇治十帖まで一貫したテーマがある。文体が違うと言うけれど、10年も経てば、作家の文体は変わって当然です」

「女流作家が多く出現したのは、あの時代、戦争がなかったからです。そりゃ、いろいろ揉め事はあったけど、国家規模の戦争はなかった。そのおかげです」

「たとえ、日本が滅びても、日本のすべて消滅しても、大仏も法隆寺もすべて焼失しても、源氏物語は残る。源氏物語は永遠に残ると思うのです。日本という国がなくなっても」

「源氏の中の多くの女たちが出家しますが、出家した瞬間、女の心の丈が光源氏を乗り越えてすっと高くなるのです」

「男上位の社会の中で、女が受ける苦悩や理不尽から救われる道は出家するしかない、という確固たる方向づけが最初からできていたのではないでしょうか」

そんな言葉を今も私は覚えている。授業しながら、ふと過る言葉の端々。それは、あの遠い日の講演会で聞いた言葉なのだ。

そして、テレビニュースで見た。90歳を過ぎた寂聴さんが車いすで国会前のデモに参加していた姿……何のデモだったかは忘れたが、深い深い感銘を受けた。

彼女はまさに行動する作家だった。生身で拝見したのはあの講演会だけだったが、あの時の言葉の端々は、今も私の脳裏にきらめいていて、授業の中のどこかにひょこんと顏を出すのだ。



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