病院の怪談 ④
奈々枝は突然 体調を崩し、入院することになった。いつものように多佳子が身元引受人になる。多佳子があちこちに電話し確かめた結果、息子と名乗っていた男性は奈々枝の昔の知人の息子だと判明した。
「めんどうだから息子と言っていたの。そうでないと財前目当てと彼が言われるから。とにかく、私の財産は今まで私を診てくれたY先生と病院に寄付する。知り合いの弁護士に何もかも任せているわ。昔の友人たちには形見分けの気持ちで200万円さしあげると遺言状に書くことにしたの」
奈々枝は急激に弱っていったが、お金に関しては恐ろしいほどしっかりしていた。自分が死んだ後の財産の分け方についてはいろいろ計画していたようだ。多佳子にはそんな様子はおくびにも見せなかったが。
(きっと私にも少しは分けてくださいますよね)
(この人には渡さない。今まで私の引き出しからいくら盗み出したことか。私は知っている。でも、あなたほど何もかも完ぺきに世話してくれる人はいないからクビにはできなかったのよ)
(私だってもう80代。いつ働けなくなるか分からない。息子のためにも少しはまとまったお金が欲しいのです。お願いです。生きていらっしゃる間に現金で少しください。形見分けのつもりで)
「最近急に現れた友人とかいう方たちに200万円遺贈するのなら……」
「なら?」
「私にも少しは分けてくださいません?」
多佳子はある日思い切って言った。
遠慮している余裕はない。このまま奈々枝が死んだら働き口もなくなるし、退職金さえもらえなくなる。
「銀行まで連れていってくださいな。500万円おろすから」
(私に現金で少しはくれる気だわ)
しかし、奈々枝は全額を菓子箱に入れ入院グッズの入った大きなトランクに入れた。
「病院に持ってゆくのは危ないですよ。盗まれるかもしれないし」
多佳子は納得できない。
(あの世まで持っていけるわけでもなし、どこに寄付しようと勝手だけど、今までオシメ洗いまでしてきた私に少しくれるのは、人として当然でしょう)
ある日、弁護士が多佳子に言った。
「何人かの人に遺贈するのなら大木さんにも遺贈すると遺言書に書いたほうがいいのではとアドバイスしました」
しかし、弁護士の作った案の「大木多佳子に100万円を遺贈」の文字には鉛筆で二重線が引いてあった・
「奥様は、なぜ、この条項を消したのでしょう」
「できるだけ多く病院に寄付したかったからでしょう。あなたには謝金をきちんと払っているし、豪華なランチや金のネックレスをプレゼントしたから十分だと」
弁護士は内心思った。
(病院にほとんどを寄付すると約束したと言っていたけど平静な判断力があったのだろうか……ま、いいか。相続人はいない。誰に贈ろうと本人の勝手だ)
病院の特別室で医師は奈々枝の手を握っていた。医師の顔を見ているだけで奈々枝は幸せだったし、絶対に死なないような気がした。
あの子は死んだ……。
夫とともにマレーシアで暮らしていたときだった。お手伝いさんや車の運転手、子守まで会社から手当されて、御殿のような家に住んでいた。二ホンの商社マンとして輝いていたころだった。
それなのに、娘は激しい下痢をした後、あっけなく死んだ。
7歳だった。
あの子と先生の名前は同じ。友理奈……。
先生は友理奈の生まれ変わり。
顔もどこか似ている……。
「だいじょうぶです。安心してください」
医師は奈々枝の細い手を握りしめた。
(もうあとひと月はもたないだろう。抗がん剤は気休め。苦しまないように一番弱いのを少し打てばいい)
多佳子は奈々枝の持ち込んだ菓子箱を開けた。
100万円の札束が五個。
何回かに分けて、奈々枝が銀行にお金をおろしに行くのに多佳子は付添った。
(遺言状に私の取り分を書いてくれないのなら、この中からいただく。
神様、いいでしょう?)
外はすみれ色に黄昏てゆく。
廊下をひたひた歩き回る足音が聞こえる。この病院で死んだ人たちの幽霊がこれからお迎えの晩餐会を開くのだ、と多佳子は思った。
幽霊たちがナイフやフォークをガチャガチャ響かせながら小さな声で笑いさざめいている。
目を開けてはいけない、そっとしておこう……。
多佳子は奈々枝の手を握りしめたまま深い眠りに入った。
終わり
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