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なぜウオールデンは「note」に再上陸するのか

「note」に上陸して百本をこえるコラムやエッセイや手紙や短編小説を打ち込んでいたが、どうもぼくの体質の合わずにもう撤退すべきだと思案に陥っていたが、しかし次なる思考が生まれるのだ。

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「note」には打ち込んだサイトには、訪れた訪問者の数が記録されているが、いまでは十万近い訪問者があったと記録されている。最も再生されたエッセイはなんと五千という数が記録されている。ちなみにそのエッセイに投じられた《スキ》なる数は二十に過ぎなかった。そのエッセイは二十人の読者を獲得したということではなかった。その数は年月とともにさらにふくらみ、六千、七千、八千と増え、やがて一万の人々にそのエッセイは読まれるのだろう。これは驚くべきことだった。

「note」に打ち込むことによって、その文章が収納され保管されていく所蔵庫ともアーカイブともなるという発見もあった。しかもそれらの文章がクリック一つで取り出せる。やがて「草の葉」が所蔵している小宮山量平さんの六百枚の原稿、帆足幸治さんの一千五百枚の原稿、菅原千恵子さんの一千枚の原稿、星寛治さんの数十篇の詩、やがて鮮やかに登場していく山崎範子さんの原稿などを相次いで打ち込んでいくだろう。それらの作品が、次の時代の人々が取り出し、新生の息吹を注ぎ込んで、その時代に投じられていくかもしれない。

 そしていま再上陸をせままれたのは、ぼくたちの仲間がこのコロナ禍で、その存在の危機に見舞われていることだった。営々として築きあげていった砦がずるずると崩れ去っていく。彼らが見舞われているその危機にぼくはなにもできない。しかしその危機はまたぼくたちに襲いかかっている危機なのだという共振のメッセージを放つことができる。ともに発するその共振のメッセージから、ともかくこの危機を乗り越えようという意志や希望や新しい展望が生まれてくるかもしれないのだ。

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「note」に再上陸するとき、抵抗しなければならぬものがある。それは《スキ》なるシステムだ。この《スキ》というシステムが「note」の最大の売りなのだろうが、ぼくにはむしろ欠陥のシステムだと思っているのだ。《スキ》の数によって投じたそのサイトが、その文章が、その創造が序列化されている。《スキ》が一桁しか投じられないサイトなどゴミのような存在になるのだ。したがって《スキ》を上げるためのビジネスまでが誕生している。まったく馬鹿げたビジネスだ。

《スキ》が何百と投じられたサイトは、どれほどのレベルの創作がなされているのかとそのページを開いてみると、そこにはあきれるばかりの空っぽな、まさにゴミのような文章が書き込まれていた。こんな吹けば飛ぶようなゴミのような文章に、三百、四百、ときには一千、二千という《スキ》が投じられている。

 一方、たった三つとか四つとしか投じられていないサイトを開くとき、そこには深く鋭く迫ってくる言葉が刻み込まれていた。いつの日は「note」の創業者や運営者と対話、対決する日が来るかもしれないが、そのときは彼らにこの《スキ》なるものを取り払ってもらいたものだと告げるだろう。《スキ》なるものは投稿者を励ますよりも、むしろ投稿者の言葉を荒廃させていくのではないのだろうか。

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 「note」に再上陸するぼくは、相変わらず《スキ》の飛んでこないエッセイやコラムやこの地上を去っていった人々の創造を刻み込んでいくが、その最初の試みに、やがて「草の葉ライブラリー」で刊行する、ちょっと規模の大きなレポートをこの「note」に組み立てようと思うのだ。それは1964年のことだった。その年の四月に上巻が、五月に下巻が相次いで刊行されるのだが、しかし六月にその上下二巻の本は「猥褻文書」として警視庁に押収されるのだ。D・H・ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」である。その本を刊行した出版社の社長、そして本の訳者伊藤整は逮捕起訴される。その全貌を描くレポートを、一か月をかけて「note」に打ち込んでいく。

 七年にも及ぶ裁判闘争が展開されるが、その裁判闘争のピリオドを打つ最高裁判所は、その長編小説の十二か所が猥褻にあたるとして摘発され(その十二か所の膨大の量の英文と二つの日本語訳をすべて打ち込んでいく。読者はロレンスが刻み込んだ英文と、その英文に果敢に取り組んだ二者の日本語をしっかりと読んでほしい)、「チャタレイ夫人の恋人」は猥褻文書として断罪されるのだが、この小説の主題といったものはその冒頭に書かれている。

Ours is essentially a tragic age, so we refuse to talk it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We’ve got to live, no matter how many skies have fallen.
This was more or less Constance Chatterley’s position. The war had brought the roof down over her head. And she had realist that one must live and learn.

「現代は本質的に悲劇の時代である。だからこそわれわれは、この時代を悲劇的なものとして受け入れたがらないのである。大災害はすでに襲来した。われわれは廃墟の真っ直中にあって、新しいささやかな生息地を作り、新しいささやかな希望をいだこうとしている。それはかなり困難な仕事である。未来にむかって進むなだらかな道は一つもない。しかしわれわれは、遠まわりしたり、障害物を越えて這い上がったりする。いかなる災害がふりかかろうともわれわれは生きなければならないのだ。これが大体においてコンスタンス・チャタレイの境遇であった。ヨーロッパ大戦は、彼女の頭上にあった屋根を崩壊させてしまったのだ。その結果として彼女は、人間は生きて識らなければならぬ物があることを悟ったのである」(伊藤整訳)

 生を見失った現代人がいかにしてその生を取り戻すかの物語なのである。この小説を猥褻文書として断罪した日本のチャタレイ裁判を、われらの地点に立って断罪していく渾身のレポートである。このレポートは「草の葉ライブラリー」で刊行される。

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