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チャタレイ夫人の恋人  羽矢謙一

「チャタレイ夫人の恋人」は、だいたいこんにち一致しているところでは、1926年10月にはじめられ、1928年1月上旬に完成したということである。この期間に、それぞれ独立した完全な小説として通る草稿がふたつもかかれたのであった。現在、このふたつの草稿も、それぞれ、「初稿チャタレイ」「ジョン・トマスとジェーン夫人」と題されてねロンドンのハイネマンから単行本としてだされている。

「チャタレイ夫人の恋人」は、かかれたのはイタリアであったけれども、作品の舞台は主として第一次大戦後まもなくの、イングランド中部地方であって、「恋する女たち」の終曲部以来、海外にとびだしていったロレンスの作品の人物たちも、いま、ふたたびイギリスへと帰還したわけであった。しかし、イギリスに帰ってきても、コニーと森番が社会体制からの離脱者として生きねばならぬことには変わりはないのであって、そこに、このふたりの人物の孤独があるのだ。

 もちろん、この小説の終わったところで、まもなく、コニーは、森番という比較的に楽なしごとから、ほんとうの労働者にもどったメラーズの妻となり、チャタレイ准男爵夫人であることをやめて、ただのメラーズ夫人になることだろう。しかし、コニーが労働者のすまいにはいっても、労働者階級の人間であることを拒否して生きることはできるのだ。メラーズもまた、ラグビー邸の森番というしごとにめぐまれて、森のなかで暮らすことによって、世間から離れ、ひとりの孤独をたのしんでいたのだ。

 メラーズは、労働者階級のひとびとが、ベーコンのねだんが一ペニー高いか安いかで大さわぎするような、みみっちさをもっていることも知っている(第十章)。また、小説のさいごの部分にあるコニーにあたえたメラーズの手紙のなかに示されているように、メラーズは、産業大衆の若者たちが、体制のなかにおさえこまれ、消費的な生活のなかで堕落し、快楽だけを追い求めているこを知っているのである。ぼくには大衆がベーコンのねだんに大さわぎすることを非難することはできない。けれども、ロレンスだってそのくらいのことはじゅうぶんわかっていたと思うのであって、ロレンスは、おかねにふりまわされて生きることをこらえられないでいる大衆のひとりであることを、拒否したかったのだと思う。

 コニーとメラーズの孤独とは、そういうひとたちから離れることを意味したのである。もっとも、メラーズは小説の終わりのところでは農場ではたらいており、こののちコニーといっしょになっても農場ではたらくことであろう。産業大衆にくらべれば、メラーズのまだ現代社会の悪に染まらない労働者であることができるかもしれない。農場ではたらくひとたちは産業大衆にくらべれば、ずっと「あたたかいこころ」をもっているひとたちであるかもしれない。しかし、農場ではたらくひとたちも労働者大衆であることにはかわりはないのであって、問題はおなじことだと思う。それに、そんな農場のしごとも、現代世界ではますますせばめられていくだろう。

 コニーとメラーズが真実に生きるためには、いっさいの階級を離れた人間として生きていくことに耐えねばならないのである。しかし、それは、社会の現実からの逃避であってはならないのであって、それどころか、すこしでもよい社会へ向かうための、「未来に向かう」ための、たたかいの根拠地とならなければならないのだ。ぼくらが、孤独とかさみしさとかいうようなことばを感傷的になげかけてはおれないことなのだ。
 晩年のロレンス夫妻はイタリアで「チャタレイ夫人の恋人」をかきながら、ビラ・ミランダという貸し住宅に住んで、たぶん、はたらくひとたちの近くで暮らしていた。もっと長く生きていたら、もういちどイギリスに帰ったのだろうか。そこはなんともいえないのだけれど、たとえ、イギリスに帰っても、イギリス社会のなかでの放浪者であることをやめなかったであろう。

 「チャタレイ夫人の恋人」の小説の終わったあと、コニーとメラーズは、文字どおりはだかで、孤独で、しかし、かつてのメラーズのように、ひたすら世間のわずらわしさをのがれて、たったひとりでの孤独のなかでではなく、ふたりいっしょでの孤独のなかで、勇気をもって絶望的な現代世界のたちむかっていくことだろう。じっさい、「チャタレイ夫人の恋人」がかかれていた時点は、やがてイタリアのファシスト独裁法が成立し、世界的な経済恐慌がおこり、いよいよ激動の三十年代にはいっていくのであった。ぼくはいつも、「チャタレイ夫人の恋人」のあのさいごの部分の、メラーズの手紙のなかの一節を思いだすのだ。「とにかく、ぼくにはら大きな白い手が空にあって、生きよう、おかねをこえて生きよう、とつとめるひとたちみんなののどにつかみかかり、にぎりしめようとし、いのちをしぼりだそうとしているのが感じられるのだ」

 「チャタレイ夫人の恋人」のなかで、肉体に不正をくわえられて生きることを強いられるコニーのすがたは、とりもなおさず、物質主義の現代文明にしいたげられ、生命的なものをうばわれて荒廃していくイングランドのすがたであり、また、現代世界そのもののすがたである。小説のはじめのほう、第二章で、白いクリスマスローズの花の上に、工場の煤煙の黒いすすがつもる、というあの一節が印象にのこる。コニーの肉体の復権へのめざめは、とりもなおさず、死にかかったイングランドと、ひいてはまた、現代世界の肉体の復活、再生にもつながっていかねばならないはずのものであることを、この小説は、たしかにあきらかにしているのである。

 ロレンスが「チャタレイ夫人の恋人」の初稿や第二稿にくらべ、より強烈に性の場面をえがいていることは、いったいどういうことなのだろうか。初稿本では、ふたりの恋人の強いエゴとエゴの対立や階級意識のさけめがきびしくえがかれ、追求され、第二稿本では、ふたりの恋人のかなしみが強調されているのだ。ロレンスが決定稿で、性をあれほど大うつしにして、はげしくえがいたというのはどういうことであるのか。

 ふたりの恋人が、自分をこえ、階級をこえ、かなしみをこえて、真実、ひとりの男とひとりの女として生きていくために、その拠りどころとならねばならない、いのちというもののきびしさ、はげしさ、とうとうさを、ロレンスはどうしても語らないではおられなかったのだと思う。ロレンスは決して性を売りものにするようなひとではなかった。コニーとマイクリスの情事のように、意識に支配された性、意識化された性というものは、ロレンスにとってはさかだちした性であって、性のほんとうにあらねばならないすがたから離れていたのであった。性は意識をかりたてるものでなければならなかったのである。

 しかし、問題は性にあるよりも、むしろ、性ののちにくるものにあると思う。真実、ひとりの男となり、ひとりの女となった人間が、そこではほんとうにたましいとたましいのむすびつきをもち、ふたりいっしょでの孤独のなかで生きるということができるためには、なにか、そこには飛躍が必要であるように思うのである。もちろん、いくらロレンスでも、そこまではぼくらに語ってくれない。いや、たぶん、だれにもそこのところは語れないのであり、それは、宗教的なレベルの問題であるのだとぼくは思う。

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チャタレイ裁判の記録
序文  記念碑的勝利の書は絶版にされた
一章  起訴状こそ猥褻文書
二章  起訴状
三章  論告求刑
四章  福原神近証言
五章  吉田健一証言
六章  高校三年生曽根証言
七章  福田恒存最終弁論
八章  伊藤整最終陳述
九章  小山久次郎最終陳述   
十章  判決
十一章  判決のあとの伊藤整
猥褻文書として指弾された英文並びに伊藤整訳と羽矢訳
Chapter2
Chapter5
Chapter10
Chapter12
Chapter14
Chapter15
Chapter16

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